“日本人のあたりまえ”が生きづらさの原因に!?
日々、なんとなく生きづらさを感じているという人は少なくないはず。それにはさまざまな背景があると思いますが、日本人の“あたりまえ”が原因になっている可能性が……!
「“日本人のあたりまえ”はわかりやすい例でいえば、『本音と建前』『察する(空気を読む/暗黙の了解)』『周りと合わせる』『極端に人の目を気にする』など。
日々日本で診療をしていると、これらは優れた社会スキルとして機能している反面、しがらみとなり、日本人の心の不調や生きづらさの原因となってしまっていることが、多いのに気づかされます」
————そう語るのは、イタリア人精神科医のパントー先生。パントー先生は、イタリアと日本の医師免許を取得。今は日本で日々精神科医として診療(カウンセリング)などをしているそう。
そこで、パントー先生の著書『イタリア人精神科医 パントー先生が考える しあわせの処方箋(Tips)』より、イタリア人(外国人)そして精神科医の視点から、カウンセリングを通じて見えてきた、日本人の心の特性や日本特有の文化についてご紹介。
計4回にわたる連載を通して、日本社会で暮らしながら、どうすれば日本人はもっとしあわせになれるのかについてのヒントを探っていきます。
※書籍より一部引用・再編集してお届けします
抑圧された感情が病気につながる
「我慢強い」との言葉もあるように、日本社会の中で「我慢」の捉え方は、耐え難いことに苦しむ、一種のストイックな能力と思われ、美徳、エートス(ある民族や集団の特徴をなす道徳、慣習、習俗)かのように認識されています。
苦しいときに最善を尽くし、自制心と規律を保つ意味も含まれるでしょう。
文化人類学者でサンフランシスコ大学神学・宗教学科長のジョン・ネルソン氏は、ナショナル・ポスト紙にこう語っています。
「日本文化では、精神的資源を内的に収めることで、苦しむことにある種の気高さを感じる」
ただ、社会精神医学的な観点で言えば、美徳、秩序、市民性、自身の欲求を押し殺す我慢は、良いところばかりではないと断言できます。
心理学でいえば、我慢は「感情を抑圧する行為」に等しいもの。
苦痛を避ける方法として、「ネガティブ」と思われる感情を抑圧し続けることは、自身が意識するかしないかにかかわらず、一時的に「あり」だとしても相当の努力が必要となります。
やがて、この「努力」が限界を迎えると、交感神経系の活動が必要以上に高まり、〝心身ともに不健康〟という結果をもたらすことになるのです。
ネガティブな感情の努力的な抑制は、易怒性、被刺激性、ストレスによる循環器に対する負担についても、即時的および遅延的な影響を与えることが研究により示唆されています。
感情の抑制と死亡率の関連性を示す証拠については、1970年にロナルド・グロサルト=マティチェクが実施した、ユーゴスラビアのコホート研究で初めて得られています。
長期の絶望感はガンと、怒り、心臓病と関連していたのです。
また、12年間の追跡調査による感情抑制と死亡リスクに関する別の研究では、感情抑制は、ガンによる死亡を含む、早期死亡のリスクをもたらす可能性があると結論づけています。
数々の研究データからもあきらかなように、嫉妬、恐怖、怒り、罪悪感、自責の念など、自身の表現力を「我慢」することは、深刻な結果を伴ってしまうのです。
「自身の表現力」を我慢しない!
適応障害は、決して軽んじる病気ではありません。劣等感、発達障害などの誤った診断(誤診)などだけではなく、自殺のような極端な結末もあり得るのです。
自殺は日本において依然として、重大な社会問題となっています。
では、「我慢」という怪物に遭遇し、押しつぶされそうになったら、どうすればいいのでしょうか。
我慢に我慢を重ね、ストレスを溜めすぎ、抑うつ気分に落ちてしまうと、すべてが悲観的に見えてしまいます。
「絶対これから良くならない。絶対これからしあわせになれない。希望がない。この苦しさが続くものであれば死んだほうが楽」―。
このような考えは「極端すぎる!」と、思うでしょうか?
実は、このような思考になることは、うつ病ではけっして珍しいことではありません。
ただ、ここで注意したいのが、これは「症状の一つ」に過ぎないということ。うつ病(抑うつ気分)によるもので、本心ではそんなことは望んでおらず、いわば突発的な感情だということです。
それだけ、追い詰められてしまっているともいえるでしょう。
たとえば消化不良などになってしまい、お腹をくだしたときに、「もう絶対、何も食べない!」と思ってしまったことはありませんか?
ですが、それは痛みに対して自暴自棄になっているからであり、お腹が治ったら、いつの間にか、また自然においしく食事を楽しんでいるのではないでしょうか。
うつ病も同じです。
「もう生きたくない」と思っても、治ったらそれは絶対消える気持ちなのです。そこで、極端な行動に走れば、本当に取り返しがつきません。
もし、あなた自身が「いなくなりたい」という気持ちを持ったなら、勇気を出して「(自分の)話を聞いて!」「助けて!」とSOSのサインを出し、我慢―自分の感情(表現力)を我慢するのをやめてください。
病院などの敷居が高い(あるいは、病気だと自覚していない可能性もある)のであれば、家族や信頼できる友人に訴えてもかまいません。
「わがまま!」と思われても、いいではないですか。
そう感じた人は、〝自分にとって大切な人ではなかったんだ〟という、思い切った割り切りも必要です。
だって、自分の大切な人に「話を聞いて!」といわれたら、あなたはどうしますか?
絶対に話を聞くはずですよね。本心をあかされなかったら、悲しいですよね。だからあなたも、思い切ってSOSを出してください。
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TOP画像/(c)Adobe Stock
『イタリア人精神科医 パントー先生が考える しあわせの処方箋(Tips)』(パントー・フランチェスコ 著/あさ出版)
私たちは皆、幸せになりたいと願っています。しかし、異なる文化のレンズを通して観察すると、多くの理論家が最も普遍的な感情と考えている幸福でさえ、独自のニュアンスを持っていることに気づきます。
幸せは十人十色、つまり個人によります。それと同時に住む文化によって、異なる可能性があるのではないか――。
ある国(文化)の中で生きていると、それが「あたりまえ」となり、実は「世界的に見るとかなり変わっている」ということが、少なくありません。
いわゆる「カルチャーショック」ともいわれるものですが、日本は古くからその筆頭格ともいわれる国であり、その文化やそれにもとづく国民性について、かなりの研究がされてきました。
わかりやすい例でいえば、「本音と建前」「察する(空気を読む/暗黙の了解)」「周りと合わせる」「極端に人の目を気にする」などですが、優れた社会スキルとして機能している反面、日々診療(カウンセリング)をしていると、それらがしがらみとなり、心の不調となってしまっている日本人が多いことに気づかされます。
日々、日本で診療をしている、イタリアで生まれ育った精神科医が、カウンセリングを通じて見えてきた「日本人の心の特性」「日本文化の特有性」そして「日本社会で暮らしながら、どうすれば日本人はもっと幸せになれるのか」について、外国人・精神科医の視点からまとめた1冊。