「和敬清寂(わけいせいじゃく)」という言葉を見かけたことはあるでしょうか? 茶室の掛け軸に書かれていることがあります。どこか遠い世界の言葉のように見えるかもしれませんが、その中には、人と暮らしへのやさしい視点が宿っているようにも思えます。
この記事では、「和敬清寂」という言葉について、深掘りしていきましょう。
「和敬清寂」とは? 意味をわかりやすく解説
茶道の世界で用いられる「和敬清寂」という言葉には、日々の人間関係や心のあり方にも通じるヒントがありそうです。まずは、「和敬清寂」という言葉の基本的な意味や背景について辿っていきましょう。
「和敬清寂」の読み方と基本的な意味
「和敬清寂」は「わけいせいじゃく」と読みます。辞書では次のように説明されていますよ。
わけい‐せいじゃく【和敬清寂】
引用:『デジタル大辞泉』(小学館)
茶道の精神を表現するのに用いられた語。和敬は茶事における主客相互の心得、清寂は茶庭・茶室・茶道具などに関連する心得。
「和敬清寂」とは、茶道の精神を表す禅語です。「和」と「敬」は主客の心得を、「清」と「寂」とは茶庭、茶室、茶器などに関する心得を指します。

和・敬・清・寂、それぞれの意味
先述したように、「和敬清寂」という四字熟語は、茶道の精神をあらわす言葉です。それぞれの語には、次のような意味が込められています。
「和(わ)」は、亭主(茶の湯で茶事を主催する人)と客とが、心をひとつにして場をつくることを意味します。
「敬(けい)」は、相手を思いやる気持ちです。
「清(せい)」は、心の清らかさ。それと同時に、袱紗(ふくさ)さばきに象徴される清めの意識にも通ずる茶道の心を表しています。
「寂(じゃく)」は、わび茶の美意識を示し、心静かな姿を意味していますよ。
「和敬清寂」は誰の言葉? 千利休との関係は?
千利休(せんのりきゅう)によって大成された「わび茶」の精神を表す言葉として、「和敬清寂」は後世に伝えられました。ただし、この言葉自体が利休本人の創作というわけではないようです。
もともとは、鎌倉時代の末に中国・宋から日本に戻った僧侶、大応国師が伝えたとされる『茶堂清規(さどうせいき)』という書物に由来するものだと考えられています。この書は、宋の文人・劉元甫によってまとめられたとされています。
また、江戸時代中期に成立した茶書のなかには、「和敬清寂」は室町時代の茶人・村田珠光が唱えたと記しているものもあります(『珠光問答』など)。ただし、この説には十分な裏づけがなく、伝説的な位置づけとされています。
いずれにしても、千利休がこの精神を茶の湯の精神の中心に据えたことで、今日の茶道における重要な理念として定着しているといえるのかもしれません。
参考:『日本大百科全書』(小学館)、『世界大百科事典』(平凡社)、『日本国語大辞典』(小学館)

「和敬清寂」をもっと身近に感じるために
「和敬清寂」という言葉には、日本の伝統文化の奥深さが込められています。その一方で、私たちの暮らしの中にも、そっと寄り添うような考え方として息づいているようにも思えます。少し目をとめてみるだけで、身のまわりにその気配が感じられるかもしれませんよ。
「和敬清寂」の考え方を日常に生かすなら
日常のちょっとした場面でも、「和敬清寂」の考え方は生かせそうです。
例えば、人とのやりとりに思いやりの気持ちを添えてみること。それは「敬」の心かもしれません。部屋をすっきり整えることは、「清」を意識するきっかけになります。静かな朝の空気に耳を澄ませるような時間には、「寂」という感覚がふと心にしみることもあります。

「和敬清寂」の英語表現は?
「和敬清寂」を英語で表すとき、一つの英単語で表現するのは難しいかもしれません。それぞれの言葉に込められた意味をていねいにたどることで、英語圏の人にも伝わるニュアンスに少しずつ近づくことができそうです。
harmony, respect, purity, tranquility
これは、「和」「敬」「清」「寂」をそれぞれ英単語に置き換えた表現です。それぞれの語が持つ空気感をイメージとして届けることができます。
the spirit of tea ceremony
茶道の精神を示す「和敬清寂」を、ひとまとまりの考えとして伝える表現です。「茶の湯の心」をひとことで伝えるとすれば、こういった言い方も可能でしょう。
最後に
「和敬清寂」という四文字には、静かで深いまなざしが込められているかのようです。茶道の場だけでなく、人との関わりや日々のふるまいの中にも、その心はそっと息づいているのかもしれません。
この言葉を思い出す瞬間、毎日の暮らしの景色が少しやわらぐこともあるのではないでしょうか。
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