あなたの身の回りに、何を質問してもすらっと答えられる物知りな人っていませんか? 膨大な知識量があり、適切な場面で必要な知識がポンポン出てくる様子を見ていると「すごいな…」と感心してしまうかもしれませんね。そんな人のことを「博覧強記」と言います。
そこで本記事では、「博覧強記」の意味や使い方、類語・対義語を解説します。どのような場面で使う言葉なのか、ぜひチェックしてみてくださいね。
「博覧強記」の意味
「博覧強記」は、「はくらんきょうき」と読みます。意味を辞書で確認していきましょう。
広く書物を読み、いろいろな事をよく記憶していること。「―の人」
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
「博覧強記」とは、数々の本を読み、それらをよく記憶していること。転じて、豊かな知識を身につけていることを言います。「博覧」は、「書物を読み、物事をよく知っていること」。「強記」は「記憶力が優れていること」です。
本を読んだり、人から教わったことを知識として頭の中に記憶して、必要な時に活用することができます。論文を書いたり、人に物を教えたりするときなどに役に立つスキルとも呼べるかもしれませんね。
使い方を例文でチェック!
では実際に、どのような場面で「博覧強記」が使われるのか、例文を見ながら確認していきましょう。
1:その学者は、世界のあらゆる植物に詳しい博覧強記の人として有名だ。
「博覧強記」は、幅広い知識を身につけている学者や教授などに使われることが多い言葉です。難解な専門書や学問書などを読み漁り、常人では考えられないような膨大な情報量を脳の中に詰め込んでいるような、博識な人物が当てはまるでしょう。1を聞くと10返ってくる人は、「博覧強記」かもしれませんね。
2:美術館の学芸員であるA子さんは博覧強記な方で、展示物に関するあらゆる質問に答えることができる。
アートに関する知識が豊富で記憶力がいい人にも、「博覧強記」が使えます。職業柄、自分の蓄えた知識を、お客様への説明や接客に活かすことができるのは良いことですね。画家の人生や作風、美術史などの知識を身につけているからこそ、どんな質問にも答えることができるのでしょう。
3:読書家の兄は博覧強記を自負している。
本を読み、幅広い知識を得ている人の中には、自分の才能や記憶力に自信を持っている人もいるはず。自分の得た知識を世の中のために使っている人もいれば、ただ単に周囲に自慢して知識をひけらかしているだけの人も…。物知りであることに自惚れないよう、気をつけたいですね。
類語や言い換え表現は?
「博覧強記」の類語には、よく似た「博学多才」「博聞強記」があります。意味をチェックしてみてくださいね。
1:博学多才
「博学多才」は、「はくがくたさい」と読みます。意味は以下の通りです。
[名・形動]広く諸学に通じ、才能が豊かであること。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
幅広い学問に通じ、才能豊かなことを「博学多才」というようですね。「博覧強記」のように記憶力があるというよりは、いろいろな学問を吸収し、才能を開花させていることに重きを置いた表現と言えるでしょう。
(例文)
・私の父は非常に博学多才な人だ。
・博学多才なことを生かし、研究で成果を上げた。
2:博聞強記
「博聞強記」は、「はくぶんきょうき」と読みます。「博覧強記」とは一文字違いでよく似ていますね。どのような意味でしょうか?
広く物事を聞き知って、それらをよく記憶していること。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
「聞」という漢字が使われていることから、人の話や情報を耳で聞いて、物知りであることを「博聞強記」と言います。先生から聞いて学んだことや、ラジオ、近年ではポッドキャストなどの音声配信サービスを利用して情報を得ている人も多いでしょう。ちなみに、「博覧強記」の「覧」は、「ご覧ください」というように「見ること」を意味する言葉です。
(例文)
・兄は博聞強記な人で、他人が言ったことを全て覚えている。
・私は聞いたことをすぐ忘れてしまうので、とても博聞強記にはなれない。
対義語は?
「博覧強記」は、書物を読み、いろいろなことを記憶していることを指すため、対義語としては、「知識が浅く、ものをよく知らない」という意味を持つ言葉が当てはまるでしょう。ここでは、「寡聞浅学」「浅学非才」を紹介します。
1:寡聞浅学
「寡聞浅学(かぶんせんがく)」は、「浅学寡聞」とも言います。「寡聞」は、見聞が狭いこと。「浅学」は学問や知識が未熟なことです。このことから、知識や見聞が少ないことを「寡聞浅学」と言います。物知りで学問に優れている「博覧強記」とは正反対と言えますね。
(例文)
・あまりにも寡聞浅学だと師匠に怒られた。
・寡聞浅学なので勉強し直すことにした。
2:浅学非才
「浅学非才」は、「せんがくひさい」と読みます。意味は以下の通りです。
[名・形動]学問、知識ともに乏しく、かつ才能もないこと。自分は無知無能であると謙遜していう語。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
「浅学非才」とは、「学問が浅く、才能がないこと」。そのような人を指して使うこともあれば、本当は博識であるにもかかわらず謙遜して、「私は浅学非才ですから…」ということもあるようです。
(例文)
・後輩は浅学非才であることを恥じて、大学に入り直した。
・彼女は浅学非才だと謙遜しているが、実は相当な物知りだ。
最後に
「博覧強記」とは、「広く書物を読み、いろいろな事をよく記憶していること」。「博覧強記の人」「博覧強記である」など、知識が豊富で物知りな人に対して使われる言葉です。さまざまな知識を吸収し、記憶できることは1つの才能とも呼べるでしょう。ビジネスシーンでの問題解決やクリエイティブな活動などで、長所を活かせると良いですね。
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