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怨憎会苦(おんぞうえく)は、仏教で語られる人間の苦しみのひとつです。日常の人間関係や仕事の場でも、似たような気持ちを経験することがあるかもしれません。この記事では、「怨憎会苦」の意味や使い方、具体例や乗り越え方について分かりやすく解説します。
「怨憎会苦」とは? 意味と読み方・仏教の教えから解説
まずは、「怨憎会苦」の読み方と意味、仏教での位置づけを整理しましょう。
「怨憎会苦」の読み方と意味
「怨憎会苦」は、「おんぞうえく」と読みます。辞書では次のように説明されていますよ。
おんぞう‐えく〔ヲンゾウヱク〕【怨憎会苦】
引用:『デジタル大辞泉』(小学館)
仏語。八苦の一。うらみ憎む相手に会う苦しみ。
「怨憎会苦」とは、嫌いな人や憎んでいる相手と会わなければならない苦しみを指します。人間関係の悩みが生まれる場面で使われることが多い言葉です。
仏教でいう八苦のうちの1つです。ちなみに「八苦」とは人間の8つの苦しみを指し、生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦(ぐふとくく)・五陰盛苦(ごおんじょうく)を加えたもののことです。

「怨憎会苦」の具体例を挙げながら、具体的な例文で使い方をチェック!
「怨憎会苦」は、特別な場面だけでなく、日々の生活の中でも感じることがあります。具体的な例や使い方を通じて、言葉の意味をより身近に感じてみましょう。
「親戚の集まりで意見が合わない親族と会うたびに、怨憎会苦を感じます」
家庭や親族の間でも、価値観の違いが苦しみにつながることがあると伝えています。
「怨憎会苦に悩みながらも、自分なりに距離を取ることで気持ちを落ち着けるようにしています」
「怨憎会苦」に悩みながらも、自分で工夫して対処している姿勢を表現しています。
「学校でどうしても合わない同級生と同じグループになるのは、怨憎会苦そのものだと感じます」
学生生活の中で、避けられない人間関係の苦しみを端的に表現しています。
「怨憎会苦を乗り越えたとき、人間関係への見方が少し変わりました」
苦しい経験を経て、考え方や気持ちに変化が生まれた場面を表しています。

「怨憎会苦」の克服・乗り越え方
怨憎会苦に向き合ったとき、どのように心を整えたり、工夫したりできるのでしょうか? ここでは、少しでも気持ちが楽になるヒントを紹介します。
「怨憎会苦」を克服するために
まずは、自分が抱えている感情をそのまま認めてみてください。無理に我慢するのではなく、正直な気持ちに気づくことが大切です。相手との距離をとったり、自分の心の整理をしたりするうちに、少しずつ気持ちが軽くなる場合もあります。
「怨憎会苦」の乗り越え方
相手との関係にとらわれすぎず、自分自身の時間や気持ちにも目を向けてみてください。考え方を少し変えてみることで、心が穏やかになることもあります。自分にとって心地いい距離感を見つけることが、乗り越える手助けになるかもしれませんよ。

「怨憎会苦」と他の「四苦八苦」との関係
先述したように、「怨憎会苦」は仏教の八苦のうちの1つです。ここでは、他の代表的な苦しみについても紹介します。
「愛別離苦」と「怨憎会苦」
「愛別離苦」は、大切な人と離れなければならない苦しみを指します。「怨憎会苦」が「会いたくない人と会う苦しみ」なら、「愛別離苦」は「会いたい人と別れる苦しみ」。どちらも人間関係にまつわる、異なる種類の心の痛みです。
「五蘊盛苦」
「五蘊盛苦」は、心や体を構成する五つの要素(五蘊)が生み出すさまざまな苦しみを意味します。「怨憎会苦」とともに、人生の苦しみの根本に関わる言葉だといえるでしょう。
最後に
「怨憎会苦」は、誰もが日常で感じることがあるかもしれない心の負担です。意味や例、乗り越え方を知ることで、自分や他の人との関わり方を見直すきっかけになるかもしれませんね。
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