「家族だからこそ、むずかしい… 」そんな思いを抱いたことはありませんか? 「兄弟は他人の始まり」ということわざは、身近な関係だからこそ生まれる距離感や変化を、やわらかく言い表しています。この言葉に込められた意味や背景をたどりながら、対義語や使われる場面について考えてみましょう。
「兄弟は他人の始まり」とは? 意味と背景を探る
最初に、「兄弟は他人の始まり」ということわざが表す意味を確かめていきましょう。

「兄弟は他人の始まり」の読み方と意味
「兄弟は他人の始まり」は、「きょうだいはたにんのはじまり」と読みます。辞書には次のように記されています。
兄弟(きょうだい)は他人(たにん)の始(はじ)まり
引用:『デジタル大辞泉』(小学館)
兄弟も成長すれば利害関係や結婚などによって情が薄くなり、しだいに他人のようになってしまうこと。
このことわざは、たとえ血を分けた兄弟であっても、人生の節目や生活環境の変化を通じて、気づかないうちに距離が生まれてしまうことを示しています。
子どもの頃は仲のよかった兄弟でも、離れて暮らすようになると、連絡が減り、話す機会も少なくなることはよくあります。日々の暮らしの中で、少しずつ話題や感覚にズレが生じていくこともあるでしょう。
共通の思い出があるはずの兄弟に対して、他人のように感じた瞬間に、戸惑いを覚えた経験がある人もいるのではないでしょうか? そんな気持ちを表している、ことわざであるともいえます。
現代の兄弟不仲の原因とは?
現代における「兄弟不仲」や「兄弟との絶縁」の背景には、相続や介護といった、避けて通れない問題が関わっていることが多いようです。
例えば、両親の介護をめぐって意見がすれ違ったり、相続の内容に納得できずに、気づけば心に溝ができてしまうことがあります。また、成長や結婚、生活環境の変化によって、兄弟という身近な存在であっても疎遠になることは決して珍しくありません。
こうした例を見ていくと、心の距離が生まれるきっかけは人生の節目だけでなく、日々の暮らしの中にも潜んでいるように思えます。そしてその多くは、特別な事情によるものではなく、誰にとっても起こりうる、ごく身近な出来事から始まるのかもしれません。

「兄弟は他人の始まり」の対義語は?
対照的な意味を持つ表現を知ることで、「兄弟は他人の始まり」に含まれた意味がいっそう浮かび上がってきます。
「血は水よりも濃(こ)し」
「血は水よりも濃し」は、血のつながりが他人同士の関係よりも深く強いことを表すことわざです。たとえ複雑ないきさつがあったとしても、家族や親族との絆は、簡単に切れるものではないという考え方が込められています。
この表現は、もともとドイツ語から英語を経て伝わったとされますが、日本語でも「水くさい」といった言い回しがあるように、血縁と他人の違いを直感的に理解しやすい言葉として定着しています。また、ヨーロッパでは「血は水に変えられない」と表現することもあり、血縁の強さとは文化を越えて広く共有される価値観なのかもしれませんね。
「兄弟(けいてい)は左右(さゆう)の手の如(ごと)し」
ことわざ「兄弟は左右の手の如し」は、兄弟が左右の手のように互いに助け合うべきだという意味です。『魏志-王脩伝』に由来するこの表現も、「兄弟は他人の始まり」とはまったく逆を意味しています。
このように、兄弟仲の良し悪しにかかわらず、兄弟の関係性にまつわる言葉や表現は、さまざまな形で受け継がれています。こうした言葉が今も残っているのは、兄弟との関係に悩んだり、迷ったりする人が、世界中に、そして昔から多くいたということの証左なのかもしれませんね。
参考:『故事俗信ことわざ大辞典』、『デジタル大辞泉』(小学館)
「兄弟は他人の始まり」が使われる場面とは?
「兄弟は他人の始まり」ということわざが、どのような場面で使われるのかを見ていきましょう。具体的な場面に触れることで、ことわざが持つ微妙なニュアンスがより鮮明になります。

相続の場面で
両親が亡くなり、相続の話が出たとたん、兄との関係がぎくしゃくし始めた。かつては何でも話せたのに…。今では顔を合わせるのすら、気まずく感じる程だ。そんなとき、「兄弟は他人の始まり」という言葉がふと頭に浮かんだ。
ライフステージの変化の場面で
就職して地元を離れてから、弟とは年に一度会うかどうかになってしまった。「連絡しなきゃ」と思いながらも、つい日々の忙しさに流されてしまう。「兄弟は他人の始まり」という言葉が、胸に刺さる。
最後に
「兄弟は他人の始まり」ということわざについて、見てきました。兄弟関係は、古くから人々が向き合ってきた普遍的なテーマです。時には距離を置きながらも、それぞれの人生を歩んでいく、そんな兄弟の関係性を表現する言葉でした。
関係性の変化は人生における自然な過程ですから、このことわざには、その変化と成長を受け入れようとする深い知恵が込められているのかもしれません。
引用:『デジタル大辞泉』(小学館))