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2025.02.25

「去る者は日々に疎し」とは? 言葉の意味や由来、似た意味のことわざを解説

「去る者は日々に疎し」とは、亡くなった人や親しい人を思う感情も時間の経過とともに薄れるという意味です。人生の無常や、人間関係の儚さをたとえるときに使われます。本記事では、「去る者は日々に疎し」の意味や言葉の由来、例文を紹介します。

「去る者は日々に疎し」とは?

「去る者は日々に疎し」は、「さるものはひびにうとし」と読みます。ここでは、「去る者は日々に疎し」の意味や言葉の由来を解説します。

言葉の意味

「去る者は日々に疎し」とは、亡くなった人が時間の経過とともに忘れられてゆくように、親友であっても、遠く離れていたりしばらく会わなかったりすると疎遠になっていくという意味です。そこから転じて、人生は無常で儚いという意味でも使います。

「去る」は「場所から離れる」「時が過ぎる」という意味があり、「疎し」は「親しくない」「関係が薄い」という意味です。どちらも離れるというニュアンスがあり、時間の経過とともに忘れることを表しているといえます。

去る者は日日に疎し
《「古詩十九首」其一四の「去る者は日 (ひび) に以て疎く、来たる者は日 (ひび) に以て親しむ」から》死んだ者は、月日がたつにつれて忘れられていく。転じて、親しかった者も、遠く離れてしまうと、しだいに親しみが薄くなる。

出典:小学館 デジタル大辞泉

言葉の由来

「去る者は日々に疎し」は、古代中国の詩文集「文選(もんぜん)」に収録されている「古詩十九首」が言葉の由来とされています。

墓地をながめていた人が「去るものは日々に疎まれ、生ける者は日々に親しむ」とうたった一首で、「去る者」とは亡くなった人と疎遠になった人の両方のことです。

さらに、鎌倉時代の随筆集「徒然草」にも「年月経ても、つゆ忘るるにはあらねど、去る者は日々に疎うとしと言へることなれば」という一節がみられます。

「去る者は日々に疎し」の例文

言葉の理解を深めるため、例文をいくつかみていきましょう。

  • 去る者は日々に疎しで、高校時代はお互いに「親友」と呼び合っていた同級生も、連絡を取らないうちに10年以上疎遠になってしまった
  • 去る者は日々に疎しとはいうが、離れていても忘れられない存在もある
  • 人間関係は「去る者は日々に疎し」だと痛感しているので、日頃からあまり深い付き合いはしないようにしている

時間が経てば忘れるという意味のことわざ

「去る者は日々に疎し」は、時間の経過とともに離れた人への感情が薄くなる、忘れるという意味です。

同じく、「時間が経てば忘れる」という意味合いのことわざには、次の2つがあげられます。

  • 喉元過ぎれば熱さを忘れる
  • 雨晴れて笠を忘れる

それぞれの意味をみていきましょう。

男女の別れ
(c)Adobe Stock

喉元過ぎれば熱さを忘れる

「喉元過ぎれば熱さを忘れる(のどもとすぎればあつさをわすれる)」とは、熱いものも飲みこんでしまえば熱さを忘れてしまうという意味です。

これが転じて、苦しいことも、過ぎ去ってしまえば忘れてしまうことを表します。また、苦しいときは人に頼るが、楽になればその恩義を忘れるという意味もあります。 

人間は、時間が経てば物事を忘れることをネガティブに表現したことわざです。どれだけ苦しい経験をしたり恩を受けたりしても、時間が経てば忘れてしまうことを批判しています。

同じく、時間の経過とともに親しい人のことを忘れる「去る者は日々に疎し」とは、よく似た言葉といえるでしょう。

〈例文〉

  • その選手はコーチの厳しい指導を受けて優勝でき、感謝の言葉を述べていた。しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよくいったもので、競技を引退してからは一度も連絡してこないらしい
  • 彼は借金の返済で苦労したのに、返済が終わったらまたクレジットカードで高額商品を購入している。喉元過ぎれば熱さを忘れるとはこのことだ

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雨晴れて笠を忘る

雨晴れて笠を忘る(あめはれてかさをわする)とは、雨がやんで天気がよくなれば、それまで役に立った笠(傘)の存在を忘れるという意味のことわざです。これが転じて、困難があっても、過ぎてしまうとそのときに受けた恩義を忘れることを表します。

時間が経過して、受けた恩義を忘れてしまうことを戒めた言葉です。どんなに親しくても離れていれば忘れるという、「去る者は日々に疎し」と通じることわざといえるでしょう。

〈例文〉

  • 雨晴れて笠を忘るではないが、忙しい日々を過ごしているとお世話になった人への恩を忘れてしまいがちだ。毎年年賀状を出すのは、その恩を思い出す意味でも必要だと思う
  • Aさんは仕事がなく生活が苦しいときに周りの友人から助けてもらっていたのに、仕事が順調になってからは連絡もしてこないそうだ。まさに雨晴れて笠を忘るだね

「去る者は日々に疎し」の対義語

「去る者は日々に疎し」の対義語には、次の2つの言葉があげられます。

  • 竹馬の友(ちくばのとも)
  • 同じ釜の飯を食う(おなじかまのめしをくう)

ハイタッチしている人々のイラスト
(c)AdobeStock

竹馬の友とは、幼いころに竹馬に乗って遊んだ友だちという意味で、幼友だちを指します。中国の古書が由来の言葉です。中国の竹馬は、前にたてがみをつけた竹の棒を馬にたとえ、その上にまたがって走るもので、日本の竹馬とは異なります。

幼いころから一緒に竹馬に乗って遊ぶほど親しい友人を表す言葉で、親友と疎遠になることを表す「去る者は日々に疎し」とは対照的な言葉といえるでしょう。

例文:実はあの俳優とは竹馬の友で、今でも連絡を取り合っている

「同じ釜の飯を食う」とは、生活をともにした親しい仲間であることをたとえた言葉です。スポーツで一緒に戦ったチームメイトやプロジェクトを組んだメンバーなど、苦楽をともにした仲間をたとえて使われます。

例文:彼とは長い間同じ部署で働き、同じ釜の飯を食う仲間も同然だ

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「去る者は日々に疎し」は正しく使おう

「去る者は日々に疎し」は、親しい間柄でも、離れてしまえば時間とともに忘れるという意味です。

主に、人間関係の儚さをたとえるときに使われます。似たことわざに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」「雨晴れて笠を忘れる」があり、いずれも時間の経過とともに忘れるという意味で共通しています。

対義語には「竹馬の友」や「同じ釜の飯を食う」があげられ、どちらも親しい友人・仲間を指して使う言葉です。

「去る者は日々に疎し」を正しく覚え、適切な場面で使いましょう。

メイン・アイキャッチ画像:(c)Adobe Stock

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