「目糞、鼻糞を笑う」とは?使い方も紹介
「目糞、鼻糞を笑う」とは、汚い目やにが、鼻糞を汚いと笑うことです。自分の欠点には気付かず、他人の欠点をあざ笑う例えとして使われます。
- 君はわたしの服はセンスがないといって笑っているが、わたしから見れば目糞、鼻糞を笑うだよ
- 彼らは常にお互いに悪口をいっている。目糞、鼻糞を笑うようで見苦しい
目糞鼻糞を笑う
出典:小学館 デジタル大辞泉
汚い目やにが、鼻くそを汚いと言って笑う。自分の欠点には気がつかないで、他人のことをあざ笑うたとえ。
自分を棚に上げた発言をしているとき
「目糞、鼻糞を笑う」は、自分を棚に上げた発言をしているときに使うことがあります。
- 姉はわたしの成績が悪いというが、目糞、鼻糞を笑うだよ。姉の成績も、他人をどうこういえるレベルではない
- 彼女はルールを破ってばかりいるのに、他人がルールを破るとしつこく言い立てる。目糞、鼻糞を笑うようで、聞いていて気持ちのよいものではない
どちらも大差がないことを表現するとき
大きな差があるわけではないときにも、「目糞、鼻糞を笑う」と表現することがあります。
- 彼らは自分の出身学校がより優れているというが、世間的には目糞、鼻糞を笑うといったところだね
- 彼女は今学期は10回遅刻をしたそうだ。遅刻15回の弟を「やる気あるの?」と小馬鹿にしているが、目糞、鼻糞を笑うだろう
「目糞、鼻糞を笑う」の言い換えに用いられる表現
「目糞、鼻糞を笑う」は、あまり上品な言葉とはいえません。気の置けない間柄なら問題なく使えるかもしれませんが、そうではない相手に使うときには注意が必要です。言い換え表現を覚えておき、シーンや相手によって使い分けるようにしましょう。
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五十歩百歩
「五十歩百歩」とは、少しの違いはあっても、本質的には同じであることを指す言葉です。中国、戦国時代の思想家・孟子の言行や思想をまとめた、『孟子』に記載されている寓話に由来します。
梁の恵王は孟子に「普段からわたしは善政を行っている。隣国の王は善政をしていない。なぜ隣国の人々はわたしを慕って移住してこないのだろうか」と尋ねました。
そこで孟子は王に、「ある戦争で、よろいを脱ぎ捨てて50歩逃げた兵士が、100歩逃げた兵士を『臆病だ』といって笑いました。この話はどう思われますか?」と答えたそうです。
50歩逃げた兵士も100歩逃げた兵士も逃げたことには変わりはないことから、恵王の政治は人民の生活を安定させるものではなく、何もしない隣国の王と大差がないと気付かせたといわれています。
- 彼女のプレゼンも彼と五十歩百歩だ。主張は異なるが、冗長で退屈なのは同じだと思う
- 10分の遅刻も1時間の遅刻も、遅れたという点では五十歩百歩だ
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大同小異
「大同小異(だいじょうしょうい)」とは、小さな違いはあっても、大体が同じであることやその様子を指す言葉です。
「目糞、鼻糞を笑う」と同じような意味でも使われますが、比較する対象が欠点であったり、自分のことを棚に上げたりといったニュアンスはほとんどありません。
- 彼の主張も彼女の主張も大同小異だ
- マンションの内覧会に出掛けたが、どの部屋も大同小異で、特別印象に残るものはなかった
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どんぐりの背比べ
「どんぐりの背比べ(せいくらべ)」とは、どれもこれも平凡で、とくに優れて目立つものがないことを例えた言葉です。
「目糞、鼻糞を笑う」のように欠点を棚に上げたというニュアンスはありませんが、対象物が平凡なときに使うため、状況にふさわしいかどうか吟味する必要があるといえます。
- 社内改革案は多くあるが、どれもどんぐりの背比べで、これといった案がない
- 今年の新人は、どんぐりの背比べだ
似たり寄ったり
「似たり寄ったり」とは、互いに優劣・差異などがほとんどないことや、その様子を指す言葉です。あまりほめるニュアンスではないため、使うシチュエーションを選ぶことが必要です。
- あの彫刻家は才能はあるのだろうが、どの作品も似たり寄ったりの出来栄えだ
- 何人もの専門家から意見を聞いたが、どれも似たり寄ったりで、これという意見はなかった
猿の尻笑い
「猿の尻笑い」とは、猿が自分の尻の赤いのがわからず、他の猿の尻を笑うという意味。自分の欠点に気が付かずに他人の欠点を馬鹿にして笑うことを例えた言葉です。
「目糞、鼻糞を笑う」と同じような意味で使われますが、いずれもあまり上品な例えではないため、使う状況には注意が必要です。
- あの兄弟は普段からののしり合っている。どっちもどっちで猿の尻笑いだ
- 猿の尻笑いは、自分を客観視できていないことが原因で生じる
どっこいどっこい
「どっこいどっこい」とは、両者の力・勢いなどが互いに同じ程度で優劣がない様子を指す言葉です。「目糞、鼻糞を笑う」よりは、「似たり寄ったり」に近い言葉として使われるといえるでしょう。
- 両チームの戦力はどっこいどっこいだ
- 対戦相手との実力はどっこいどっこいだから、勝てるかどうかはなんともいえない
「目糞、鼻糞を笑う」とは反対の意味を持つ言葉
「目糞、鼻糞を笑う」は、欠点がある人が欠点がある人を笑う愚かしさを表現した言葉です。反対の意味・ニュアンスを持つ言葉を紹介します。
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鶏群の一鶴
「鶏群(けいぐん)の一鶴(いっかく)」とは、凡人の中に優れた人物が一人混じっていることを例えた言葉です。
- 彼は鶏群の一鶴だ。なぜこのチームに配属されたのか疑問だ
- 鶏群の一鶴も、周囲に影響を受けて凡人になってしまうかもしれない
泥中の蓮
「泥中(でいちゅう)の蓮(はちす)」とは、汚れた環境の中でも影響されずに、清らかさを保っていることを例えた言葉です。
- 彼女は劣悪な環境で育ってきたが、心が清らかでまさに泥中の蓮といえるだろう
- 泥中の蓮も、いつまでも清らかさを保っていられるとは限らない
掃き溜めに鶴
「掃き溜めに鶴」とは、つまらないところに、そこに似合わぬ優れたものや美しいものがあることです。
- 彼がむさくるしい部室に入ると、そこだけ光が当たったように見えた。まさに掃き溜めに鶴だ
- 荒れ果てた庭に一輪のバラが咲いている。掃き溜めに鶴とはこのことだ
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適切な例えや言い回しを選ぼう
的確に状況を表した表現であっても、相手をおとしめるニュアンスがある言葉や上品とは言い難いことわざは、使う場所を選ぶ必要があります。相手に不快な思いをさせないためにも、例えや言い回しは吟味して選びましょう。
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