「朱に交われば赤くなる」という言葉を知っていますか? あまり使ったことがないという方も多いかもしれませんが、実は会社や学校での教訓として登場する言葉です。意味を理解すると、「確かにそういう経験が自分にもあるな」と共感することもあるでしょう。そこで本記事では、「朱に交われば赤くなる」の意味や使い方、類語、対義語などを解説します。
朱に交われば赤くなるとは?
「朱に交われば赤くなる」は、「しゅにまじわればあかくなる」と読みます。意味を見ていきましょう。
人は交わる友達によって、善悪どちらにも感化される。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
人は付き合う人によって、考え方が変わるもの。周りの環境に影響を受けて、良くも悪くもなるという戒めが込められたことわざです。「良い友人を選ぶことの大切さ」や「良い環境に身を置くことの重要さ」などを示していると捉えることができるでしょう。
朱色とはどんな色?
朱色とは、黄色味を帯びた赤色のこと。印鑑を押すときの「朱肉」をイメージするとわかりやすいかもしれませんね。硫化水銀を主成分とする鉱物顔料からとれる色で、中国の辰州で多く産出したことから、「辰砂」とも呼ばれます。血のように赤い色味は、古墳の内壁や石棺の彩色などに使用されてきました。また、魔除けの色として、神社の鳥居を赤く染めたのも、この辰砂の朱色です。
お習字の授業で、先生が朱色の墨で添削することがありますが、それに使われているのが「朱墨」。朱粉を膠(にかわ)で練り固めた朱色の墨のことを指します。一滴の墨を半紙の上に垂らすと、周囲まで滲み広がる姿に、環境に染まりやすい人の心を重ねたのかもしれませんね。
使い方を例文でチェック!
「朱に交われば赤くなる」は、入学式や転職など、環境が大きく変わるタイミングでよく用いられることわざです。使い方をチェックしていきましょう。
1:元々真面目な性格だったのに、不良と付き合うようになってから、まるで朱に交われば赤くなるというように、授業をサボるようになってしまった。
悪い方向に影響を受けて変わってしまったという例文です。クラスが変わったことにより、友人関係も変わり性格が変わったという経験はありませんか? 良い方向に変化すればいいですが、悪い方向に進むと周囲からガッカリされることもあるかもしれません。
2:朱に交われば赤くなるのごとく、昇進してから彼は変わってしまった。
役職などのポジションが変わると、人が変わってしまうことも。今までよりも高い地位につくことで、人を見下すようになったり、態度が大きくなって「人が変わってしまったな」と思われる人もいるでしょう。
3:朱に交われば赤くなるという言葉の通り、優秀なチームメンバーと付き合ってから、プレゼンのスキルが向上した。
良い意味での「朱に交われば赤くなる」の例文です。周りにいる仲間と切磋琢磨しているうちに、自分のスキルがどんどん上がっていくこともあるはず。より成長するためには、ともに上を目指す仲間と出会うことも、近道の1つと言えるかもしれません。
類語や言い換え表現は?
「朱に交われば赤くなる」と同じように、周りの環境に影響を受けるという意味を持つ諺が2つあります。「麻の中の蓬」と「水は方円の器にしたがう」の意味と使い方を見ていきましょう。
1:麻の中の蓬
《「荀子」勧学の「蓬麻中に生ずれば扶(たす)けざるも直し」から》蓬のように曲がりやすいものでも、まっすぐな性質の麻の中に入って育てば曲がらずに伸びる。人は善良な人と交われば自然に感化を受け、だれでも善人になるというたとえ。麻につるる蓬。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
「麻の中の蓬(よもぎ)」も、中国の古い書物に由来する言葉です。蓬のような曲がりやすい性質を持つ植物でも、麻の中に生えれば、同じようにまっすぐに育つという意味。「麻に連るる蓬」という似たことわざもあります。
「麻の中の蓬」が、良い方向に影響を受けることであるのに対し、「朱に交われば赤くなる」は、善悪両方の意味で用いられます。
(例文)
・麻の中の蓬という言葉の通り、そのクラスの生徒はみんな優秀だ。
2:水は方円の器にしたがう
「水は方円(ほうえん)の器にしたがう」とは、「人は、交友関係や環境次第で善にも悪にも感化される」というたとえです。水は、容器の形によって、どんな形にでもなるということから、周りの環境によって、自分自身も変化しやすいという意味ですね。ちなみに、「方円」の、「方」とは、「四角」、「円」は「円形」のこと。「水は入れ物に従う」とも言いますね。
(例文)
・水は方円の器にしたがうというように、恩師との出会いがあったからこそ私は更生できました。
対義語はあるの?
「朱に交われば赤くなる」とは反対に、どんなに環境に恵まれなくても美しい姿で居続けることを意味する言葉もあります。「泥中の蓮」のことわざの意味を見ていきましょう。
泥中の蓮
「泥中(でいちゅう)の蓮」の意味は、以下の通りです。
《「維摩経」から》汚れた環境の中でもそれに影響されずに、清らかさを保っていることのたとえ。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
蓮は泥の中から茎を長く伸ばして、6月頃になると美しい桃色の花を咲かせます。この姿から、どんなに汚い環境にいても、悪い方向には染まらず清らかであることを表します。悪い環境で美しくあることはなかなかできることではありませんね。
(例文)
・不良ばかりのクラスで優等生でいる彼女は、まるで泥中の蓮のようだった。
・泥中の蓮のように、どんな環境でもめげず清く正しく生きていきます。
最後に
「朱に交われば赤くなる」は、環境によって人の心が変わることへの教訓が込められたことわざ。悪い影響も受けやすいことをマイナスに捉えてしまいがちですが、見方を変えると、良い環境に身を置けば、より良い方向に成長することができるということ。前向きに頑張る人と繋がったり、良い上司と出会うことでより良い魅力的な自分に変わっていけたら良いですね。
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