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「ブルータスお前もか」という格言を聞いたことはありますか? 歴史に詳しくなくても、どこかで耳にしたことがあるという方も多いかもしれません。今回は、古代ローマの英雄ユリウス・カエサルが残したとされるセリフ、「ブルータスお前もか」にまつわる話を紹介しましょう。
「ブルータスお前もか」とは?
「ブルータスお前もか」は、古代ローマの英雄ユリウス・カエサルが死ぬ間際に放ったセリフとされています。当時ユリウス・カエサルは、ローマ帝国のトップに立つ権力者として君臨していました。しかし、信頼していた部下であるブルータスに暗殺されてしまうのです。死の間際、暗殺者がブルータスであったことを知ったユリウス・カエサルは、「ブルータスお前もか」というセリフを残し、無念にも亡くなってしまうのでした。
このエピソードから「ブルータスお前もか」というセリフは、最も信頼していた相手に裏切られたときの驚きと、嘆きの言葉として広まりました。心から信頼されていた部下に裏切られたショックは、相当大きかったでしょうね。
ちなみに、日本語では他にも「ブルトゥスよ、お前もか」「お前もなのか、ブルトゥス」「汝もか、ブルトゥス」などと訳されています。
ユリウス・カエサルとはどんな人物?
ユリウス・カエサル(紀元前100年〜紀元前44年)は、共和政ローマ末期の軍人であり政治家。古代ローマにおける最大の野心家と呼ばれ、内乱での勝利を経て永久独裁官となりました。将軍としても卓越した才能を持つ一方で、人の心を掴むのが上手い民衆派の政治家でもあったそう。
そのようにリーダーとしてカリスマ性を発揮する反面、お金や女性関係には非常にルーズだったとも伝わっています。様々な女性と関係を結び、借金の額も相当のものだったとか。その上、ユリウス・カエサルには文才もあり、『ガリア戦記』や『内乱期』などの名著を残しており、現在でも高く評価されています。
このように有り余る才能を持ち合わせていたユリウス・カエサルでしたが、政治的な変革が、かえって共和政ローマの伝統を踏みにじる人物とみなされ、暗殺されてしまいました。
「カエサル」の名はローマ皇帝の称号にも
「カエサル」の名は、ローマ皇帝が受け継ぐ称号の一つ。現にユリウス・カエサルの後継者ガイウス・オクタウィウス(のちのアウグストゥス)は、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィウスと名を改めています。
その後の皇帝も「カエサル」の名を冠したことから、次第にローマ皇帝の称号として用いられるようになったようです。ちなみに「カエサル」は、ドイツ皇帝の称号「カイゼル」やロシア皇帝の称号「ツァーリ」の語源にもなっています。
シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』
『ジュリアス・シーザー』は、イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピアが創作した戯曲です。ギリシア・ローマの一時代を築いたユリウス・カエサルに対する陰謀や暗殺、その後のエピソードなどが描かれています。
『ジュリアス・シーザー』は、ユリウス・カエサルの英語名。タイトルにもなっていますが、作品の主人公はユリウス・カエサルではなく、暗殺者であるとされるマーカス・ブルータス。作品は、ブルータスの友情や名誉欲、愛国心などの葛藤がテーマとなっています。
ユリウス・カエサルは、絶世の美女クレオパトラとも関係があった
ユリウス・カエサルは、エジプトの絶世の美女クレオパトラとも関係を結んでいたことが知られています。紀元前48年、ユリウス・カエサルはエジプト王家の内紛を制定するため、エジプトへ乗り出しました。その滞在先で、若き日のクレオパトラが絨毯にくるまって、ユリウス・カエサルの部屋に入り込んできたのだとか!
当時は宝石など高価なものを絨毯などに包み渡す習慣があったことから、“あなたに私を捧げます”という意味を含んだ、クレオパトラの演出という見方もあるようです。
いずれにせよ、クレオパトラの美しい美貌と高い知性に魅了されたユリウス・カエサルは、クレオパトラと深い仲となり、男の子も生まれました。二人の子は「カエサリオン(小カエサルという意味)」と名付けられたと言われています。
ユリウス・カエサルは「ユリウス暦」の名付け親にも
ユリウス・カエサルは、それまで使われてきた太陽暦が実際の季節とずれていることに着目し、学者に計算し直すよう要求しました。そして、自ら確立した新しい太陽暦を「ユリウス暦」と名付け導入したとされています。この新しい暦は、1582年にグレゴリオ暦に改良されるまで、ヨーロッパで長い間使用されていました。
ユリウス・カエサルの他の名言
ユリウス・カエサルは、「ブルータスお前もか」以外にも名言を残していることは知っていますか? ここでは代表的な名言を2つ紹介します。もしかしたら聞いたことがあるかもしれませんよ。
1:賽は投げられた
ユリウス・カエサルの有名な名言に、「賽(さい)は投げられた」があります。ユリウス・カエサルは反発する元老院派のポンペイウスに背き、ルビコン川を渡りました。軍隊を率いてルビコン川を渡り、属州ガリアへ入ることは法により禁じられていましたが、ユリウス・カエサルはそれを無視して実行。川を渡るとき、ユリウス・カエサルは兵たちに向かって、「賽は投げられた」と言ったとされています。
「賽は投げられた」の「賽」とはサイコロのこと。一度投げてしまったサイコロは戻せないことから、「もう後には引き返せない」「このまま突き進むしかない」という意味が込められているようです。
2:来た、見た、勝った
紀元前47年、ユリウス・カエサルはエジプトからローマに帰る途中、ポントス西部の都市ゼラ(現在のトルコ)でファルナケスと戦いました。4時間ほどの戦いでローマ軍が勝利した後、ユリウス・カエサルは、ローマにいる腹心に「来た、見た、勝った」と書いた手紙を送ったそうです。
ユリウス・カエサルは、ラテン語散文の名手ともされ、文筆の才能もありました。ユリウス・カエサルの文体は、同じくラテン語の天才とされるキケロとは対照的に、明瞭簡潔さが特徴で「来た、見た、勝った」は、それが如実に表現されたものとなっています。
最後に
ローマの英雄ユリウス・カエサルが残した名言、「ブルータスお前もか」について理解は深まりましたか? どうしてそのようなセリフを放ったのかなど、歴史的な背景やエピソードがわかると面白く感じますよね。有名な名言とともに、ユリウス・カエサルの人物像やその他の名言なども豆知識として一緒に覚えてみてはいかがでしょうか?
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