「自己憐憫」の読み方や意味を知ろう
「かまってちゃん」や「悲劇のヒロイン」だと言われたことはありませんか? もし、そうならあなたは「自己憐憫」におちいりやすいのかもしれません。その原因と克服法を考えてみました。「自己憐憫」、読めましたか? この言葉のことを知る前に、読み方や意味、似た意味の言葉などをおさえておきましょう。
◆自己憐憫の読み方
「自己憐憫」は「じこれんびん」と読みます。「憐憫」は「れんみん」と読んでも誤りではありませんが、「自己」が前につく場合、読みは「れんびん」となります。
◆自己憐憫の意味
分解して考えてみましょう。「自己」に解説は不要ですね。「自己紹介」の「自己」です。自分のことを意味します。では、「憐憫」はどうでしょう。「憐憫」の「憐」「憫」ともに、哀れむ、悲しむという意味です。2つが重なることでその意味が強調されます。つまり、「自己憐憫」は、自分のことをとてもかわいそうだと思っている様子を意味する言葉です。
・彼女はことあるごとに自己憐憫に浸る
・自己憐憫の心は、あなたの成長を妨げます。
・自己憐憫に溺れて、衝動買いに走ってしまった。
などというように使います。
れん‐びん【×憐×憫/×憐×愍】
かわいそうに思うこと。あわれむこと。あわれみ。れんみん。「—の情」
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
◆自己憐憫の類語とは?
「自己憐憫」に近い言葉として、「被害妄想」や「自己否定」が挙げられるかと思います。「被害妄想」は、何もされていないのに、自分が何か被害を被っているのではないかと勘ぐることです。「自己否定」は、自分はダメだ、と必要以上に自分を低く評価することです。ほかに「悲劇のヒロイン」というフレーズも、「自己憐憫」に類したフレーズです。
◆「自己憐憫」と「自己嫌悪」の違いは?
「自己嫌悪」も、「自己憐憫」に似ています。「嫌悪」は、「けんお」と読み、嫌うことです。自分のことを自分で嫌うのが「自己嫌悪」ということです。
「自己憐憫」も「自己嫌悪」も、自分を肯定していないという点では似通っていますが、そのベースにある心が少し異なります。先ほど述べたように、「自己嫌悪」は、自分のことを嫌っているのですが、「自己憐憫」は嫌い、というよりもむしろ好きなのです。自分がかわいいあまり、「かわいそうだ」と感じてしまうのです。
「自己憐憫」におちいりやすい人の特徴とは?
「自己憐憫」は、人の性格・性質です。性格には長所と短所があり、同じことでも両面の見方ができるので、一概に良い悪いを述べることはできませんが、「自己憐憫」という言葉で表現する場合、それはネガティブにとらえられていることが多いでしょう。「自己憐憫」におちいりやすい人には、いくつかの特徴があります。
ナルシスト
自分が大好きな人をナルシストと言います。ナルシストな傾向のある人は「自己憐憫」におちいりやすいです。行動に指摘を受けたり、ちょっと嫌なことがあったりすると、「ああ…、私ってホントにかわいそう…」と「自己憐憫」に浸るのです。
かまってちゃん
常に注目を浴びていないと気が済まないのが「かまってちゃん」。かまってもらうには、悲しいエピソードを話すのがいちばんです。
「彼氏がこんなひどいことを言ったの…」「上司が自分にだけ辛く当たってくる気がするの…」「最近、なんだかうつっぽくて…」などと、わざわざ自分が不幸かのような話をしては、「かわいそう~、なんで?」「え? どうしたの? 大丈夫?」とかまってもらおうとするのです。
メンヘラ
「メンヘラ」とは、精神的に不安定な人のことを言います。「メンタルヘルス」が、主にネット上でこのように省略されるようになりました。「メンタルヘルス」と本来、精神的に健康であることを指しますが、そこから派生した「メンヘラ」は、精神的に不安定な人を指すようになりました。
メンヘラ気質のある人は、心が弱く、折れやすい傾向にあります。なので、少し難しそうな問題や課題が目の前に現れると「自己憐憫」に陥ってしまいます。
「自己憐憫」になる原因とは?
「自己憐憫」におちいりやすいというのは、性格的なものです。性格は持って生まれたものでもありますし、成長過程によってもたらされたものでもあります。「自己憐憫」に関してはどうでしょう。いくつか、「自己憐憫」におちいりやすくなる原因を考えてみました。
自己肯定感が低い
そもそもネガティブ思考をする傾向があり、また自分に対する評価が低い人は「自己憐憫」に陥りやすいと言えます。
ありのままの自分を認めることができず、身のまわりに起きるできごとについて、「私がうまくたちまわれなかったせいかもしれない」と自分を否定し、そこに哀れみが加わると「でも、私だっていっしょうけんめいにやったのに。それを認めてもらえないなんて、私って本当にかわいそう」と「自己憐憫」におちいってしまうのです。
親との関わり
子供のころに、親に否定ばかりされていると、自己肯定感が持ちにくいものです。一方で、甘やかされすぎても、心が弱くなりがちです。否定されすぎた、あるいは甘やかされすぎた経験が、人を「自己憐憫」に陥りやすくしているのかもしれません。
疲れている
いつもはそうでもないのに、最近は「自己憐憫」におちいりやすい気がする、という人はいませんか? もしかしたら、疲れやストレスが溜まっているのかもしれません。
人は疲れていると、ポジティブに物事を考えられなくなります。もともと「自己憐憫」におちいりやすいわけないのにな、と感じる場合には、疲れが原因と考えてもいいかもしれませんね。
「自己憐憫」への正しい克服法がコレ
自身が「自己憐憫」におちいりやすいと感じる場合、それは結構つらい日々です。克服できれば、それに越したことはありません。その方法をいくつかご紹介しますね。
「ありがとう」の気持ちを持つ
感謝の気持ちは人を謙虚にします。謙虚とは、控えめで慎ましいことです。自分の能力をひけらかすことなく、例えば何か指摘されたとき、一度受け入れてみると変わってきます。例えば、彼に「いつも、暇そうだな。なんか趣味とかないの?」などと言われたとしましょう。
そこで、「なんでそんなこというの…」と「自己憐憫」に浸ってしまいそうなところを、「私のことを考えてくれたんだな」と感謝の心で受け止め見ると違いますよね。すると、哀れみの心が少し和らぐのではないかと思います。
物事を違う角度から見てみるクセをつける
「自己憐憫」におちいりやすい人は、物事の見方が一方向の場合が多いです。しかし、物事にはいくつかの見方ができるもの。同僚に「あなたって、細かいミスが目立つんだけど」と指摘された場合、「指摘を受けた」という見方もできますし、「いつも私のことを気にかけてくれている」とも受け取れます。
多面的に物事をみる習慣をつけることで、「私が」「私が」という、「自己憐憫」におちいりがちな思考サイクルを変えることができますよ。
運動する
「自己憐憫」に陥りやすい人というのは、性格的なところが大きいので、それを直す、というのは難しいことです。そこで、スポーツなどで体を動かしてみてはどうでしょう。スポーツや運動をするとそれだけで気分が前向きになりますし、取り組んだら取り組んだ分、しっかり結果が得られるので自己肯定感にもつながります。
最後に
「自己憐憫」におちいりやすい人って、結構多いような気がします。もし、身のまわりにそういう傾向の人がいた場合、必要以上に構わないことも手です。周りから「かわいそうに」と声をかけられると、さらに深みにハマっていってしまうこともありますから。それにしても、人生には失敗や嫌なことがつきもの。毎回ヘコむのではなく、ポテジティブにチェンジしていければいいですね。
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