陰徳陽報とは? 意味と使い方
「陰徳陽報(いんとくようほう)」とは、人知れずよいことを行う者には、必ず目に見えてよいことが返ってくることです。「陰徳あれば必ず陽報あり」ということもあります。
・彼は陰日向なく働く勤勉な若者だ。陰徳陽報というから、きっとそのうちよいことがあるだろう
・散歩がてらゴミ拾いをしているが、今まで一度もよいことがない。「陰徳あれば陽報あり」というから、これから先に期待したい
陰徳陽報は、座右の銘や宗教・倫理関連の説話などにも使われる言葉です。
陰徳あれば必ず陽報あり
出典:小学館 デジタル大辞泉
《「淮南子」人間訓から》人知れずよいことを行う者には、必ず目に見えてよいことが返ってくる。陰徳陽報。
陰徳陽報の由来
陰徳陽報は、中国の古典『淮南子(えなんじ)』の人間訓に記載された「陰徳有る者は必ず陽報有り」が基になったとされる言葉です。また、漢代の儒教思想を説く説話集『説苑(ぜいえん)』では、楚王が酒宴の折に失礼なふるまいをした家来をかばってやったところ、その家来が恩を感じて後日の闘いで活躍したというエピソードを紹介し、陰徳陽報の例としています。
陰徳陽報は中国の言葉ですが、日本でもよく使われていたようです。たとえば、新潟県の新発田城を復元工事をする際にさまざまな場所から文字が浮かび上がってきたそうですが、ある瓦には「陰徳陽報」の文字が刻まれていたといわれています。
陰徳陽報と因果応報の違い
音が似た言葉として「因果応報(いんがおうほう)」が挙げられます。因果応報は仏教由来の言葉で、前世や過去の行為が原因となり、その報いとして現在に結果がもたらされることを意味する四字熟語です。
なお、因果応報はよいことだけでなく悪いことにも使われます。よいことがあったときには「以前によいことをしたから」、悪いことが起こったときには「以前に悪いことをしたから」と考えることを指すといえるでしょう。

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因果応報はネガティブな意味でも使われる
陰徳陽報は「よいことをすればよいことがある」ことを意味する言葉ですが、因果応報は「よいことをすればよいこと、悪いことをすれば悪いことがある」ことを意味するため、必ずしもポジティブな場面で使われるわけではありません。
悪いことが起こった人に対して「今までの行いが悪いから因果応報だね」という風に、どちらかというとネガティブな場面で使われることも多い言葉といえます。
因果応報は現世だけでなく前世の「因」も含まれる
陰徳陽報は「実際にしたよいことが基でよいことが起こる」といった意味ですが、因果応報は実際にした善悪の行為だけでなく、前世での善悪の行為が基になるため、必ずしもその人に原因がないことも含まれる点が異なるといえます。
たとえば、幼いときから素行が悪く、周囲の人に迷惑ばかりかけている人がいたとしましょう。因果応報的な考えであれば悪いことが起こるはずですが、それどころか誰からもかわいがられ、本人も楽しく思い通りに生きられています。
このような一見理不尽に思えることも「前世で多くの徳を積んだ」と考えれば、因果応報という言葉で説明がついてしまうとも。限られた時間(現世)で限られたケース(よいことをした)だけに使われる陰徳陽報に比べると、因果応報は広い時間・広いケースで使われる言葉といえるでしょう。
陰徳陽報と類似する意味の言葉
陰徳陽報と類似する意味の言葉としては、次のものが挙げられます。
・善因善果
・積善の余慶(積善の家には必ず余慶あり)
・福因福果
それぞれの言葉の使い方を例文で紹介します。ニュアンスの違いにも注目してみてください。

善因善果
「善因善果(ぜんいんぜんか)」とは、よいことをすればそれが基となって、必ずよい報いがあることです。
・善行をするのは他人のためでもあるが、自分のためでもある。善因善果というように、きっと自分にチャンスが巡るはずだ
・彼によいことが起こるのは、善因善果ともいうべきだろう
陰徳陽報と類似した意味ですが、人知れずよいことをする「陰徳」とは異なり、必ずしも知らないところでした良い行為だけを指すわけではありません。なお、反対の言葉としては、悪いことをすると悪い報いを受ける「悪因悪果(あくいんあっか)」が挙げられます。
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積善の余慶(積善の家には必ず余慶あり)
「積善の余慶(せきぜんのよけい)」とは、善行を積み重ねると、思わぬ喜び事が起こったり、子孫まで報われたりすることです。
・あの家族はいつも幸せそうだが、積善の余慶というから、きっと先祖が善行を積み重ねたのだろう
・積善の余慶というでしょう。自分の行動が自分の子どもや孫の幸せにつながると思えば、よりよい人間でいようと考えて然るべきだ
「積善の家には必ず余慶あり」ともいいます。
福因福果
「福因福果(ふくいんふっか)」とは、善行を積んだことにより、幸福の果報が得られることです。
・福因福果を信じ、一日一善を心がけている
・毎日幸せに暮らせているのは福因福果、ご先祖様が善行を積んでくれたからだよ
仏教由来の言葉で、善因善果と同じ意味で使われます。
隠れての信は顕れての徳
「隠れての信は顕れての徳(かくれてのしんはあらわれてのとく)」とは、人に知られない善行も、必ずよい報いがあることです。陰徳陽報と同じ意味で使われます。
・よいことをしたと言いふらす必要はない。隠れての信は顕れての徳と言うから
・隠れての信は顕れての徳。善行をすれば、いつかは人の知るところとなるはずだ
また、心の中に秘めた信仰にも、利益(りやく)は必ずあるといった意味でも使われます。公言していない信仰も、持ち続けることに価値があるとも解釈できるでしょう。
人が見ていないところでも善行を心がけよう
陰徳陽報だけでなく、人が見ていないところで善行を積むと良いことが起こるといった意味の言葉は多数あります。陰徳陽報を心がけるのは素晴らしいことですが、見返りを期待せずに良いことをすることも大切です。人が見ている・見ていないに関係なく、また、見返りがある・ないにかかわらず良いことをしたいものです。
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