皆さんは、「青菜に塩」ということわざをご存知ですか? 普段あまり聞く機会のない言葉なので、知らない方も多いかもしれませんね。「青菜に塩」は、人のある状態を表しています。青菜に塩を振ったらどうなるのかを想像すると、きっと意味が理解できるかも? そこで本記事では、「青菜に塩」の意味や使い方、類語、対義語を解説します。
「青菜に塩」とは?
「青菜に塩」は、「あおなにしお」と読みます。意味を、辞書で確認していきましょう。
青菜に塩を振りかけるとしおれるように、人が元気がなくしょげるようすをいう。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
「青菜に塩」とは、「それまで調子が良かったものが、元気をなくしうち萎れている状態」を表します。元気だった人が何かをきっかけにして、すっかり正気をなくしてしまう時に使われることわざです。
由来
「青菜に塩」の、「青菜」とは、「ほうれん草や小松菜など、葉っぱの青い野菜のこと」。葉もの野菜に塩を振りかけると、葉っぱから水分が染み出してきて萎れてしまうことから、「青菜に塩」ということわざができたのだとか。葉がしんなり萎れていく様子が、人が元気をなくして落ち込んでいる姿と重なって見えたのかもしれませんね。
使い方を例文でチェック!
「青菜に塩」は、何かをきっかけに元気をなくした状態を表します。一見、使いやすいことわざのように感じられますが、実は間違ってしまいやすいポイントも! ここでは、例文に注意点を交えて紹介します。
1:新入社員の佐藤さんは、上司からこっぴどく叱られて青菜に塩の状態だった。
上司から叱られたことをきっかけに、すっかり意気消沈してしまったという意味です。この例文のように、「青菜に塩」は、精神的にショックを受けている場合に用いられます。病気など体の不調で、元気を失っている場合には使わないため注意しましょう。
2:兄はそれまで自信満々な様子だったのに、好きな人にフラれて、すっかり落ち込んでいる。まるで青菜に塩だね。
「きっと相手も自分のことが好きだろう」と確信して、告白したにもかかわらずフラれてしまったら、自信を喪失してしまうかもしれませんね。注意点として「青菜に塩」は、何かきっかけがあって、気落ちした時に使う言葉です。普段からあまり元気がない人や、落ち込んだ様子の人には使えないため気をつけましょう。
3:家で仕事をしようと思っていたら、会社に資料を忘れてきてしまった。青菜に塩とはこのことだ。
忘れ物をしたり、大切なものをどこかでなくしてしまった時は、ショックを受けますよね。特に、提出期限が差し迫っている時ほど「どうして忘れてきたんだろう」と精神的なダメージが大きいでしょう。
「青菜に塩」に似た表現は?
「青菜に塩」に似た表現に「蛞蝓(なめくじ)に塩」ということわざがあります。合わせてチェックしてみてはいかがでしょうか?
蛞蝓に塩
《ナメクジに塩をかけると縮むところから》苦手なものを前に、縮み上がることのたとえ。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
ナメクジは、塩をかけると縮んでしまう習性があることを聞いたことはありませんか? ナメクジのように、苦手なものを前にしてすっかり萎縮してしまうことを「蛞蝓に塩」と言います。「青菜に塩」は、何かをきっかけに元気をなくしてしまうことですが、「蛞蝓に塩」は苦手なものを前にした時に緊張して元気をなくすこと。完璧に同じ意味ではありませんが、似た意味を持つ表現として覚えてはいかがでしょうか?
(例文)
・後輩は上司の前に立つと、まるで蛞蝓に塩というような状態になってしまった。
・Aさんは、奥さんの父親に会うといつも萎縮してしまうらしい。まさに蛞蝓に塩だね。
対義語は?
「青菜に塩」と反対の意味を持つ言葉としては、「水を得た魚のよう」「蛙の面へ水」などが当てはまります。どのような様子を指すのか、一緒に見ていきましょう。
1:水を得た魚のよう
「水を得た魚のよう」とは、どんな様子を表した言葉でしょうか? 意味は以下の通りです。
その人に合った場で生き生きと活躍するようすのたとえ。「職場が変わってからは―だ」
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
自分の得意なことを活かせる場や職場では、人は自然と生き生きと輝くもの。今までは、そうでもなかった職場から、自分の得意を活かせる仕事に就いたことで、まるで人が変わったように活躍する人もいるのでは? そんな様子を目にした時、他人から「まるで水を得た魚のようだね」と言われることもあるでしょう。
(例文)
・彼女は、まるで水を得た魚のようにステージ上で歌い始めた。
・人と話すのが好きな山田さんは、接客業に就いたことで水を得た魚のように輝き出した。
2:蛙の面へ水
「蛙の面へ水」は、「かえるのつらへみず」と読みます。意味は、以下の通りです。
《蛙の顔に水をかけても平気なところから》どんな仕打ちにも少しも感じないこと。蛙の面に小便。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
たとえ周りから非難されたり、罵倒されても平気で、反応がないことを「蛙の面へ水」と言います。川辺に住む蛙は、水を好む生き物なので、水をかけても嫌がることはありません。このことから、何をされても平気なことのたとえとして使われるようになったようです。
「青菜に塩」は、何かをきっかけに落ち込んでしまうことを指しますから、何をされても平気な「蛙の面へ水」は対義語として捉えることができそうですね。
(例文)
・B君は、先生から叱られても蛙の面へ水というような顔をしていた。
・蛙の面へ水ということわざがあるように、先輩から理不尽なことで怒られても兄は平気そうだった。
最後に
「青菜に塩」とは、元気をなくしてしまう人の状態を表します。ショックなことがきっかけで、まるで萎れた青菜のように、意気消沈してしまう様子が目に浮かぶようですね。ことわざ自体に馴染みはないものの、そのような状況に陥ったことがある方はきっと多いはず。
病気などが原因で元気をなくしている人や、元々落ち込んだ様子の人に対して使うのは誤用となるため、注意してくださいね。
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