「知らぬが仏」とは?
「知らぬが仏」は、誰もが聞いたことのある言葉でしょう。比較的日常会話によく出てくることわざですよね。今一度意味を確認しておきましょう。
意味
「知らぬが仏」は、簡単に言ってしまえば「知らない方が良い」ということ。「ある事実を知ることで腹がたったり悩んだりするけれど、そのことを知らなければ仏のような穏やかな心持ちでいられる」という意味です。例えば、友人が陰でひそひそと話していたとしましょう。何の話か気になって耳を澄ませてみると自分の悪口だった… なんて時、まさに「知らぬが仏」と言えます。
知らないことがあると、それを知りたいと思ってしまうのは当然のことです。しかし、知ってしまうことで苦悩や怒りが生まれるのも事実。「知らぬが仏」は、知らないことを肯定的に捉えて、それを美徳としています。「知らない方が良いこともある」ということを教えてくれる言葉でしょう。
また、この意味とは別に、「当人だけが知らずに平然といる様子をあざける」という意味で使うことも。周りの評判があまり良くなく、当の本人はそれに気づかないでいる状況で、本人を揶揄する表現として「知らぬが仏」と言ったりします。
ちなみに、「知らぬが仏」の由来はいろはかるたであると言われています。江戸のいろはかるたでは、「し」の項目に「知らぬが仏」が使われており、それからこのことわざが広まったのだそうですよ。
「言わぬが花」との違いは?
「知らぬが仏」と混同して使われやすいのが「言わぬが花」です。「言わぬが花」の意味は、「はっきり言わない方が差し障りもなく、かえって味がある」ということ。例えば、あまり自分から喋らない人ってなんだかミステリアスで気になりませんか? あえて全てを言わないことで、かえって趣や価値を感じるというようなニュアンスで「言わぬが花」を使います。
使い方を例文でチェック!
ではさっそく例文を紹介していきますね。「知らぬが仏」は様々なシチュエーションで使いやすい表現なので、ぜひ使い方をマスターしてしまいましょう。
1:自分に対する評価ばかり気にしていても辛いだけ。知らぬが仏ということもあるよ。
現代では「エゴサーチ」略して「エゴサ」という言葉をよく耳にするようになりましたよね。インターネット上で自分のことを検索して、どう評価されているかリサーチすることを言います。やっぱり周りから自分がどう見えているか、気になってしまいますよね。しかし周りの評価ばかり気にしていると、本領発揮できなかったり消極的になってしまったりして、悪影響も出てくるでしょう。
気になることを全て知ろうとすると、傷ついてしまうこともあります。自分のメンタルを保つためにも、知らぬが仏を心得ておくといいですね。
2:彼氏が女の子と歩いているのを見てしまったが、知らぬが仏だと思い何も聞かなかった。
皆さんは恋人が少し怪しい行動をしていた時に、事実を聞き出すことができますか? それとも見て見ぬふりをしてしまいますか? 恋人が素直に話してくれたとしても、それを聞いて自分が傷ついてしまうことも考えられますよね。恋人同士であっても、知らぬが仏という部分は少なからずあるのかもしれません…。
3:彼は、自分のミスを周りがカバーしてくれていることを全く知らない。まさに知らぬが仏だな。
この場合は、当の本人が何も知らずに平然としていることをからかうニュアンスで使います。新社会人になると、先輩達からたくさんサポートを受けるでしょう。そのような時期では、周りがフォローしてくれていることで、自分がミスをしていることに気づかないということも多々あるかもしれませんね。
「知らぬが仏」の類義語を紹介
「知らぬが仏」と同じような意味を持つことわざは、意外とたくさんあります。ここでは、「世間知らずの高枕」「聞くは気の毒見るは目の毒」「見るに煩悩」の3つを取り上げて解説していきますね。これらの表現も覚えておくと、役立ちますよ。
1:世間知らずの高枕(せけんしらずのたかまくら)
世の中のことをあまり知らない、または世情に疎い人はそれを良いことに呑気に暮らしているという意味。高枕とは、枕を高くして寝ることであり、何の心配もなく安心して寝ることを指しています。見聞が狭く、世の中のことを知ろうとしない人に対して少し皮肉をこめたことわざでしょう。
2:聞くは気の毒、見るは目の毒(きくはきのどく、みるはめのどく)
聞くものも見るもの全て、心を悩ませたり欲をかき立てたりする原因になるため、心身を疲れさせるという意味です。知らなければ済むことを、私達はどうしても気になって知ろうとしてしまいます。そうすると、さらに悩み事が増えたり欲望が強くなったりして、結局は自分自身がしんどくなってしまうんですよね。
3:見ぬもの清し(みぬものきよし)
見なければ汚いものも汚く感じないことから、見たら気になってしまうものも、見なければ平気でいられるという意味で使います。物事の嫌な面を見ずに平然としている人に対して、皮肉の意味をこめて使うこともあるそう。「見ぬこと清し」と言ったりもします。
「知らぬが仏」の反対は「知は力なり」
「知らぬが仏」の対義語として、「知は力なり」という言葉があります。意味や使い方を解説していきますね。
「知は力なり」とは、哲学者であるフランシス・ベーコンの思想を端的に言い表した言葉です。彼は、経験と実験を重視する帰納法を主張し、経験論の先駆者として名を残しています。そして、そんな彼の思想をもとに生まれた「知は力なり」とは、物事を深く知ることが大きな力となるという意味です。「知識は力なり」と言うこともできるでしょう。
「知らぬが仏」を英語で言うと…?
最後に「知らぬが仏」の英語表現を紹介していきますね。「知らぬが仏」を英語で表現する時は「blissful ignorance」を使います。
blissfulは「至福、幸せに満ちあふれた」という意味を持つ英単語。そして、ignoranceは「無知」を意味しています。直訳すると「幸せな無知」となりますが、「知らぬが仏」と同じようなニュアンスで使うことができるでしょう。
最後に
「知らぬが仏」では、知らないことが美徳とされていますよね。多くの人は無知であることをマイナスに思うかもしれませんが、「知らぬが仏」は、また違った視点から新しい概念を教えてくれています。皆さんがこれまでネガティブに捉えていたことも、視点を変えてみれば何か見方が変わることもあるかもしれませんね。
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