フリードリヒ・ニーチェとは?
まずはニーチェのプロフィールから紹介しましょう。
フリードリヒ・ニーチェはドイツの詩人で哲学者。1844年10月15日、プロイセン王国領プロヴィンツ・ザクセンに生まれました。
父はルター派の牧師で、家庭環境は比較的裕福だったようです。ニーチェが5歳のときに父が早世しますが、幼いころから聖書を読んだり、作曲したりと、多才であったニーチェはその才能を認められ、名門・プフォルタ学院に入学します。
その後、ボン大学へ進学し、神学と古典文献学を学び始めますが、1年後にライプツィヒ大学に移り、「文献学研究会」というサークルをつくったのだそう。そのころショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』(1819)を読み、感激したといいます。
24歳のときに、古典文献学の師F.リッチュルに認められ,スイスのバーゼル大学教授に大抜擢されますが、健康上の理由から、1879年大学を辞職。10年に及ぶ思想的浮浪を経て1889年に発狂、1900年に55歳という若さで亡くなります。
ニーチェは、ギリシアの哲学やショーペンハウアーなどから強く影響を受けました。鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈し、実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者などといわれています。
ニーチェを知る有名な3つの言葉
たくさんの言葉を残しているニーチェですが、その中でも代表的なものが3つあります。日本語でもこの言葉を聞いたらすぐに「ニーチェだ!」とピンとくる人も多くいらっしゃるのではないでしょうか?
1:「神は死んだ」
おそらくニーチェが残した数ある言葉の中でも、もっとも有名な言葉でしょう。代表作の一つ『喜ばしき知恵』の中で初めて用いられた言葉です。
この言葉には2つの意味があると言われています。
1.キリスト教の教えは信じるに値しない
2.キリストのような疑いようのない視点は存在しない
ニーチェが生きていた時代のヨーロッパは、人々の価値観の根幹にキリスト教への信仰心がありました。つまり、キリスト教が考えの中心にあったのです。
しかし、19世紀後半には、科学技術の進歩によって既存の道徳精神を見直す動きも活発になりつつありました。ニーチェも作品の中で「神は死んだ」と述べ、キリスト教に依存することは好ましくなく、新しい価値観を構築すべきだと説いたのです。
2:「深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
ニーチェによる『善悪の彼岸』に登場します。『善悪の彼岸』の中にはこんな言葉もありますよ。「怪物との戦いに没頭しすぎると自分自身も怪物になりうる」。つまり没頭しすぎて我を失った結果、自分が悪者に思われることがある、ということです。
3:「超人」
「超人」という言葉は『ツァラトゥストラはこう言った』に登場する言葉で、「人間の理想的な姿」を意味しています。
ニーチェによれば、人間は弱い生き物であり、不安を抱えきれずにキリスト教に助けを求めるのだそう。そのような考え方では幸福を得られないと考えたニーチェは「超人思想」を提唱。人間は「積極的ニヒリズム」をベースとして、自らの意思に基づいて行動する超人になるべきだとしたのです。
この「積極的ニヒリズム」とは、「虚無状態」、つまり無意味で価値のない状態を受容し肯定するという考え方。私たち人間には生きる意味も価値もないけれど、それを受け入れて肯定していこうという考え方です。
ニーチェの名言を紹介!
では、数あるニーチェの言葉の中から3つご紹介しましょう。
1:「人間が復讐心から解放されること、これこそ、私にとっては最高の希望への架け橋、長い嵐のあとの虹である」
この言葉は、『ツァラトゥストラはかく語り』に登場します。生きていれば、誰かを憎んだり誰かから傷つけられて嫌な気持ちを抱くこともあるでしょう。しかし、いつまでもその気持ちに捉われていては、つらい状況から抜け出すことはできません。
復讐心を乗り越えたとき、人として私たちは一歩成長できるのではないでしょうか。
2:「まずは勇気を出して自分自身を信ずることだー自分と自分の内臓を」
自分自身を信じるというのは、なかなか難しいことです。では、どうしたら自分を信じられるようになるのでしょうか? 「自分と自分の内臓を」というのは、自分自身の持つ深層心理をも含めて理解すること。綺麗なところも目を背けたくなるようなところも含めて、自分を知ることが自己信頼の一歩だということを伝えてくれているようです。
3:「あなたにとって最も人間的なこと、それは、誰にも恥ずかしい思いをさせないことである」
この言葉は、『華やぐ知恵』に登場する言葉です。ニーチェの言葉はさまざまな解釈ができます。その中でこの言葉は、人間関係を良好に保つ秘訣を私たちに示してくれているようにも、解釈できそう。
相手の欠点やミスを責める行為は、相手に恥ずかしい思いをさせますね。誰かひとりを嘲笑うような行為も同じことです。誰かに恥ずかしい思い、屈辱的な思いを持たせることは人間として恥ずべき行為であり、それをしないことが「もっとも人間的」な行為だとニーチェは言うのです。
私たちは身近な人であればあるほど、遠慮なく何かを言ってしまうことがあります。時折、このニーチェの言葉を思い出して、恥ずかしい思いをさせていないかどうか、振り返ることも大切です。
最後に
ニーチェの言葉には深みがあり、またわかりづらいところもあるかもしれませんが、いずれも私たちの心を軽くしてくれる要素があるように感じます。もし、忙しい毎日に疲れてしまったり、不安に苛まれてしまったりしたとき、ニーチェの言葉に触れてみてください。心に響くものがあるかもしれませんよ。
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