「傾城(けいせい)」という言葉を聞いて、あなたはどのようなことをイメージしますか? どこか危うい美しさを感じる人もいるのではないでしょうか。そこでこの記事では、「傾城」という言葉の意味や由来から、文学上での表現まで、幅広くたどってみます。
「傾城」とは? 意味や由来を確認
まずは、「傾城」の意味と語源を確認していきましょう。
傾城の読み方と意味
「傾城」は「けいせい」と読みます。意味を辞書で確認しましょう。
けい‐せい【傾▽城/契情】
引用:『デジタル大辞泉』(小学館)
《「漢書」外戚伝の「北方に佳人有り。…一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く」から。その美しさに夢中になって城を傾ける意》
1 絶世の美女。傾国。
2 遊女。近世では特に太夫・天神など上級の遊女をさす。
[補説]「契情」は当て字。
「傾城」は「絶世の美女」や「遊女」のことを指します。

「傾城」の由来は?
「傾城」という言葉は、中国の歴史書『漢書(かんじょ)』に記された「一顧傾人城 再顧傾人国」という表現に由来しています。これは、ひと目見れば城が傾き、ふたたび見れば国さえも揺らぐという、絶世の美女をたたえる言い回しです。
ちなみに「傾国」という表現も出典並びに意味は同じです。
本来は、絶世の美女のことを指していました。しかし、日本では平安時代から江戸時代まで、遊女の別称として使われていました。なお、明治以降はほとんど使われなくなっています。
参考:『日本大百科全書』(小学館)、『世界大百科事典』(平凡社)
「傾城屋」とは何か?
「傾城屋(けいせいや)」とは、遊女を抱え、客に遊興の場を提供していた家のことを指します。いわゆる女郎屋や遊女屋と呼ばれる場所のことです。
参考:『日本国語大辞典』(小学館)

「傾城」が登場する文学にはどんなものがある?
物語の中で「傾城」という言葉は、印象的な女性像を描くために用いられてきました。時代や作者によって、その描かれ方には違いがあります。ここでは3作品を紹介しましょう。
『傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)』とは?
『傾城阿波の鳴門』は、江戸時代中期に初演された浄瑠璃作品で、世話物に分類されます。1768年、大坂の竹本座で初演され、複数の作家によって共同執筆されました。近松門左衛門作の浄瑠璃『夕霧阿波鳴渡 (ゆうぎりあわのなると) 』に基づき、阿波国・徳島藩の御家騒動を背景に、家族愛と忠義を軸とした物語が展開されます。
とくに知られているのが、八段目「巡礼歌の段」です。主人公・十郎兵衛の妻お弓が、偶然訪ねてきた少女が実の娘だと知りながら、母と名乗らず別れる場面が描かれています。この場面は情感豊かで、現在でも歌舞伎で繰り返し演じられています。
参考:『日本大百科全書』(小学館)

『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』とは?
『傾城反魂香』は、近松門左衛門による浄瑠璃作品で、1708年ごろに初演されたとされています。江戸時代の絵師・狩野元信(かのう・もとのぶ)を題材に、伝説や逸話をもとに構成された物語です。
この作品の題名は、中国の故事にちなむもので、亡き人の姿を香の煙に映し出したという「反魂香」の伝説に由来しています。物語の中では、元信と結ばれた女性・傾城遠山が恋を譲って死に、その霊魂が再び元信の前に現れる場面が描かれています。
とくに有名なのは「将監閑居」の場面で、「吃又(どもまた)」と呼ばれ、歌舞伎でも独立して上演されることがあります。
参考:『日本大百科全書』(小学館)
『傾城買四十八手(けいせいかいしじゅうはって)』とは?
『傾城買四十八手』は、山東京伝(さんとう・きょうでん)によって書かれた洒落本で、1790年に刊行されました。吉原の遊郭を舞台に、客と遊女のやりとりを描いた作品です。
それぞれ異なる階層や性格を持つ客と遊女が登場し、閨房で交わす会話ややりとりを通じて、遊里に生きる人々の人間味が浮かび上がります。風俗文学としての完成度も高く、洒落本の代表的な傑作です。
参考:『世界大百科全書』(平凡社)
最後に
「傾城」という言葉には、美しさにまつわる憧れと、そこに潜む複雑な背景とが同居しています。物語や芝居の中で繰り返し描かれてきたその響きは、ただの古語ではなく、時代を映す鏡のような存在なのかもしれません。
会話や読書の中でふと出会ったときに、「傾城」という言葉の奥行きを思い出していただけたら幸いです。
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