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2024.11.14

ことわざ「敵は本能寺にあり」の意味とは? 由来や類義語についてわかりやすく解説

「敵は本能寺にあり」は、戦国時代の出来事をもとにしたとされることわざです。本来の目的や目標が別にあることを意味します。本記事では、「敵は本能寺にあり」の意味や言葉の由来を紹介。歴史的な背景や類義語なども、ぜひ参考にしてください。

「敵は本能寺にあり」の意味とは?

「敵は本能寺にあり」ということわざは、真の狙いは別にあり、人々の目をいっとき欺くことを意味します。1582年(天正10年)に起こった「本能寺の変」に由来する言葉です。

「本能寺の変」では、明智光秀が中国地方の毛利を攻めると見せかけ、「敵は本能寺にあり」と叫び、主君である織田信長のいる京都の本能寺を襲ったとされています。結果、織田信長は本能寺に火を放ち自害することとなりました。

現代では、もっともらしい口実を設け人の目を欺くことを「敵は本能寺にあり」と言い表すこともあります。

敵は本能寺にあり
《天正10年(1582)明智光秀 (あけちみつひで) が備中の毛利勢を攻めると見せかけて出陣し、京都本能寺の織田信長を襲ったところから》本当の目的・目標は別にあるということ。

出典:小学館 デジタル大辞泉

由来となった明智光秀の「本能寺の変」

「本能寺の変」とは、戦国時代に明智光秀が起こした襲撃事件のことです。織田信長の家臣であった光秀は、京都の本能寺にて信長を討ち取ります。

ここでは、「敵は本能寺にあり」の由来となった「本能寺の変」の背景や、その言葉を記した日本外史について紹介します。

見開きの本の上に置かれた虫眼鏡
(c)AdobeStock

明智光秀が織田信長と戦った背景

「本能寺の変」を起こした明智光秀は織田信長の家臣でした。にもかかわらず信長を襲撃した背景には、戦国大名たちのさまざまな思惑が関係しているとされています。

当時、信長は長年の宿敵だった武田家を滅亡させ天下統一を目前としていました。「本能寺の変」が起こる前日、信長は本能寺に入り、公卿や僧侶を招いて茶会を開きます。家臣は地方に出払っていたため、手勢は多くなかったようです。

同じ頃、明智光秀は羽柴秀吉軍の援軍に行くために1万3,000人の軍勢を率いて出陣し、老臣に謀反の意向を告げて引き返すと、本能寺を囲んだとされています。

一連の流れは史実に残っているものの、明智光秀がなぜ謀反を起こしたのか、決定的な理由はいまだ明らかにされていません。光秀が発したとされる「敵は本能寺にあり」という言葉も、日本外史に記された記述が元になっています。

辞書 めがね
(c)AdobeStock

「敵は本能寺にあり」と記した日本外史

「日本外史(にほんがいし)」とは、江戸後期の歴史書のことです。「本能寺の変」における明智光秀の言動について、日本外史では以下のように記されています。

本能寺<賴山陽>
吾敵正在本能寺
敵在備中汝能備
(読み方)
吾が敵は正に 本能寺に在り
敵は備中に在り 汝能く備えよ

(引用〈関西吟詩文化協会「本能寺 -日本の漢詩-」〉より)

光秀は、西にいる毛利を討つよう信長に命ぜられているなか、その信長を襲来するために世の明けない早朝から本能寺へ出陣します。

日本外史には、このとき光秀が部下に対して「我が敵は本能寺にあり」と絶叫したと記されています。

また、光秀の真の的は備中にいる秀吉であり、光秀はこれに対して十分な備えをしなければならなかったとも言及しています。実際に、光秀は「本能寺の変」の十数日後に秀吉との戦いで命を落としました。

「敵は本能寺にあり」の例文

歴史に関する「敵は本能寺にあり」ということわざは、現代でも以下のように使用されます。前述した正しい意味を参考に、ビジネスシーンや日常会話で活用してみてください。

・本来の目的が別にあったとは。なるほど、敵は本能寺にありといったところか
・こちらに得な話ばかりしてくるのは、敵は本能寺にありで、本来の目的は別にあるのではと勘繰ってしまう
・現状は厳しいが、敵は本能寺にあり。最終目的を達成するためには、何としてでも窮地をしのがなくてならない

「敵は本能寺にあり」の類義語「敵本主義」

「敵本主義(てきほんしゅぎ)」は、「敵は本能寺にあり」から生まれたとされる四字熟語です。「敵は本能寺にあり」と同様に、相手の目を欺き本来の目的を遂げるやり方を意味します。

以下のように、日常会話でも同じようなニュアンスで用いられます。

・この部署に通う目的が別にあったとは、敵本主義だったのですね
・彼の行動が敵本主義であることはもう知られているよ

「敵は本能寺にあり」のその後を表す「三日天下」

明智光秀は、本能寺で織田信長を討ったものの、その十数日後には豊臣秀吉に討たれてしまいます。天下統一がわずかだったその後の様子は、「三日天下(みっかてんか)」といわれます。

「三日天下」は、現代社会でも用いられる四字熟語です。ここからはその意味と使用例についてみていきましょう。

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(c) Adobe Stock

「三日天下(みっかてんか)」の意味

「三日天下」は、権力を握っている期間がきわめて短いことを意味します。本能寺で織田信長を討った明智光秀の天下が、ほんのわずかだったことに由来するとされる言葉です。

光秀を討ったのは、同じく信長の家臣であった豊臣秀吉。「本能寺の変」が起こった際、豊臣秀吉は岡山で戦をしていました。

戦を終わらせた秀吉はわずか数日で京都まで移動し、山崎の戦いで光秀を討ち取ります。この期間は、わずか十数日ほどです。

四字熟語では「三日」とすることで、ごく短い期間を表しているのです。また、「天下」はてんかではなく「でんか」と読むこともあります。

「三日天下」の使い方

「本能寺の変」のその後に由来する「三日天下」という言葉は、以下のように用いられます。「敵は本能寺にあり」と共に、日常会話で活用する際の参考にしてください。

・首位奪還かと思いきや三日天下で、あっという間に下位に転落してしまった
・三日天下に終わったが、歴史に確かな痕跡を残した
・トップに上り詰めたにも関わらず、過去の悪事が暴露され三日天下に終わった

「敵は本能寺にあり」という語句への理解を深めよう

「敵は本能寺にあり」は、明智光秀が織田信長を討った「本能寺の変」に由来するとされることわざです。仮の目的で相手の目を欺き、本来の目的を達成することを意味します。

四字熟語の「三日天下」は、「本能寺の変」のその後に関係する言葉です。明智光秀の天下がわずか数日で終わったことから、権力を握っている期間がきわめて短かったことを表します。

歴史的な背景と共に「敵は本能寺にあり」という語句への理解を深め、日常生活やビジネスで活用していきましょう。

メイン・アイキャッチ画像:(c)Adobe Stock

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