「逃がした魚は大きい」とは何を指す?
「逃がした魚は大きい」という言葉を知っているけれど、正しい意味はよく知らないという人もいるでしょう。「逃がした魚は大きい」は、ニュースなどで使われることもある言葉。日常やビジネスシーンでも登場しますので、正しい意味を把握しておけるといいですね。本記事では、この言葉の意味や使い方などをまとめました。
意味
逃(に)がした魚(さかな)は大(おお)きい
読み方:にがしたさかなはおおきい
手に入れそこなったものは、惜しさが加わって、実際より価値があるように思われるものである。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
あと少しで手に入れられたものがあると、悔しさや後悔の気持ちを抱きますよね。悔しさが勝ち、実際よりもはるかに大きな価値があったように感じることのたとえとして用いられるのが、「逃がした魚は大きい」です。
「逃がした魚は大きい」と実感するのは、やはり釣りをしたときでしょう。あと一歩で釣れそうな魚を逃がしてしまったら、実際の大きさ以上に価値があった魚だと感じるようです。
「逃がした魚は大きい」は、さまざまな場面で用いられています。採用や恋愛、投資など、あらゆるシーンで使える言葉と言えるでしょう。
「逃がした魚は大きい」はどう使う?
ここからは、「逃がした魚は大きい」の使い方を紹介します。特徴や例文を参考に使い方をチェックしてくださいね。
使い方の特徴
「逃がした魚は大きい」は、チャンスを逃がしてしまい、思い返して後悔するような場面を表現する場合に使えるたとえです。チャンスの大小は関係なく、後から考えて「大きな成果が得られていたのに」「大きな結果につながったかもしれないのに」と残念に思う場合に使うといいですね。
「逃がした魚は大きいと感じる」「逃がした魚は大きかった」「逃がした魚は大きいと言うが」のような言い回しをすることが多いでしょう。
例文を紹介
ここからは例文を用いて、具体的な使い方を紹介します。
《例文》彼に別れを告げたら「逃がした魚は大きいと思わせてやる」と言われ、うんざりした
「逃がした魚は大きい」は、恋愛や結婚に関することでも用います。パートナーと別れたり、相手にフラれてしまったりした場合に、この言葉で気持ちを表現することが多いでしょう。本当に後悔して言う場合と、捨て台詞のようにこの言葉を使う場合とがあります。
《例文》半年前に書類選考で落とした人が、今回の取引の担当者になった。彼の対応は素晴らしく丁寧で、社長も絶賛。「逃がした魚は大きい」と密かに後悔している
採用や人事でも、「逃がした魚は大きい」を使うようなシーンがあります。離職した人が他社で大活躍している、不採用にした人が優秀だったなどは、よくあることかもしれませんね。
会話での使い方
「逃がした魚は大きい」は、会話でも使うことができます。友人と一緒に釣りをしているとをイメージしながら、会話例を読んでみてください。
友人「ああ、バレてしまった! すごく大きな魚だったのに!」
私「残念だったね。でも、そこまで大きな魚には見えなかったけど…」
友人「逃がした魚は大きいと思うのかな。すごく大きな魚のように思えたから」
私「悔しくて、そう見えただけだよ。今度は釣り上げられるよう、私も手伝うね」
友人のサオに魚がかかったのに、取り逃がしてしまい後悔するさまを表す会話例です。「バレる」とは、針にかかった魚に逃げられてしまうこと。手応えがあればあるほど、ショックは大きいでしょう。
「逃がした魚は大きい」の類語と対義語
「逃がした魚は大きい」の類語と対義語を紹介します。それぞれ一つずつピックアップしました。
類語は「釣り落とした魚は大きい」
「釣り落とした魚は大きい」は、「逃がした魚は大きい」と同義語。使い方も同じと考えていいでしょう。ニュアンスなども同じのため、「逃がした魚は大きい」を言い換えたい場合に使うといいですね。
《例文》あと少しで契約できそうだったのに、他社に取られてしまった。「釣り落とした魚は大きい」と感じて、後悔ばかりだ
対義語は「すっぱい葡萄」
「すっぱい葡萄」は、取り逃がしたことがショックで、それは価値がないものだと決めつけて主張することを意味します。「すっぱいぶどう」と読むこの言葉は、『イソップ童話』に出てくる寓話から生まれました。
寓話の内容を紹介しましょう。ある日、キツネはおいしそうな葡萄を見つけます。しかし、その葡萄は高いところにあり、どうしても届きません。キツネは、「あの葡萄はきっと酸っぱくてまずいに違いない」と言ってその場を去ります。
この寓話は、自分の能力が低いから手に入れることができないのに、それを認めず自己擁護をしたり、負け惜しみを言ったりすることを表現しています。
「魚」を使った慣用句
「逃がした魚は大きい」にもある、「魚」を使った他の慣用句を紹介します。それぞれの意味をチェックしてみてくださいね。
「魚心あれば水心」
「魚心あれば水心」とは、相手が好意を示せば、自分も相手に好意を示す気になることを意味する言葉です。相手の出方次第で、こちらの応じ方が決まることを表すと考えてください。読み方は「うおごころあればみずごころ」。魚に水と親しむ心があれば、水もそれに応じる心があるという意味が転じて生まれた言葉です。
「魚を得て筌を忘る」
魚を得てしまうと、魚とりの道具である筌は不要になり忘れてしまうように、目的を達すると、それに役立ったものの功を忘れてしまうということを表すのが「魚を得て筌を忘る」。たとえとして使われる言葉です。読み方は「うおをえてうえをわする」。「筌」は、魚を捕るための道具を指します。
「魚の水に離れたよう」
ただ一つの頼りを失って、どうすることもできないさまをたとえた言葉が、「魚の水に離れたよう」です。読み方は「うおのみずにはなれたよう」。環境が変わったり、大切なものを失ったりして、本来の力を発揮できなくなる状態を表現する言葉です。
最後に
「逃がした魚は大きい」について、意味や使い方、類語と対義語などをまとめました。手に入る直前で逃がしてしまったら、後悔が募るもの。その気持ちが勝ち、逃がしたものが実際よりも価値があると感じてしまうことを表す言葉です。釣りはもちろん、恋愛やビジネスシーンでもよく使うたとえなので、意味や使い方をぜひチェックしてください。
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