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BEAUTY

2022.04.30

友達がいない、職場で誰も私のことをわかってくれない… 感情に振り回されない「心の処方箋」

友達が多い方がいい、今いる職場でがんばらなくてはいけない、そうした感情に振り回されない考え方を、禅僧・南 直哉さん著書『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』(アスコム)から紹介します。

「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本から学ぶ、心が軽くなる考え方

新年度のスタートから、約1ヶ月が経ちました。転職や転勤などで新生活を始めたという方は、新たな生活に少しずつ慣れてくるタイミングでしょうか。逆に、新しい環境にうまく馴染めずストレスを溜め込んでしまうなど、心に負担を抱えやすい時期でもあります。

「どんな環境でも前向きにがんばらなければ」と思う気持ちは、時に自分の心を追い込み、疲れさせてしまうことがあるのです。

私は福井県の永平寺で僧侶として20年近くを過ごした後、縁あって青森県にある霊場、恐山の院代(住職代理)となり10年以上が経ちました。その間、生きづらさや苦しさを感じているという、たくさんの方々とお会いしてきました。皆さんのお話を伺う中で、仏教の考え方がさまざまな問題の解決の糸口、生きるためのテクニックとなるのだということに気がつきました。

ここでは、拙著『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』(アスコム)の中から、心の中のモヤモヤした感情をラクにするための考え方のコツについて、いくつかお話したいと思います。

「置かれた場所」で咲けなくていい

(c)Shutterstock.com

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を初めて知ったとき、私は思わず笑ってしまいました。「幸運にも自分が置かれたい場所に置かれたのならともかく、誰かに一方的に置かれた場所でただ咲けとは、いったい何を言っているのだろう」と思ったのです。

その「置かれた場所」とは、「たまたま置かれた」にすぎない場所です。

それを絶対的なものと捉えて、しかも「そこで咲け」と言うのですから、なんとも過酷な話です。たとえどんなに理不尽で厳しい立場に置かれようが、それを受け入れ、我慢して自己実現に努力せよと言うのであれば、私から見れば差別的ですらあります。

ただ、このタイトルの本が大ヒットした理由はわかります。このように言われたら、自分が苦しい立場に置かれていても、諦めがつくからです。

仏教では、すべての物事は、ひとつの条件によって成立している「仮のもの」だと考えます。人間関係も、仕事も、家庭も、常に一定の条件でしか成立しないあいまいなものです。今、自分がどんな場所に置かれ、どんな状況にあろうと、それは一時的な状況だと捉えるのが、仏教の視点です。

たとえば、同僚や上司との人間関係がうまくいかなければ、それは深刻な問題かもしれません。しかしそこを辞めれば、職場の人間とは一切の関係がとぎれます。また、学校でどんないじめに遭っていたとしても、転校したり卒業したりすれば、いじめた相手とは縁が切れます。家族でさえ一緒にいるから「家族」なのであって、離婚したり、生まれてすぐ親子が離れ離れになったりしたら、赤の他人同士です。

たとえ、自分でその場所を選んだのだとしても、予想に反して「たまたま」つらい場所だったということはよくあります。それならば、別の場所を探してもいいし、もうしばらくその場所に居続けると決めてもいい。そこにいるかいないかは、自分自身で選べます。本当につらいのは、その選択の余地がないときです。

「自分の居場所がどこにもない」と言う人がいますが、居場所がなくて当たり前なのです。すべては「仮の宿」であり、一時的な場所ですから。どんな場所も人間関係も、「絶対」ではありません。そこに行けば一生安心と言える居場所など、この世にはあり得ません。

もし「自分の居場所が欲しい」と思うのなら、自分で探すか、居場所を確保するために、ここと決めた場所が少しでも居心地がよくなるよう工夫するしかありません。「いや、今いる場所で咲こうとするくらいの根性がなければダメだ」と言うのは、「今いる場所」や「自分」が、絶対的な存在だと勘違いしているだけです。「誰か」の価値基準を無条件に受け入れて、そこで咲けるよう努力しろと言う。これは、仏教の立場ではかなりおかしな話なのです。

置かれた場所で咲かなくてもかまわない。ただ、やり方によっては咲くこともある。

その程度のスタンスで「置かれたところ」にいれば十分だと私は思います。

人脈も友だちも、要らない

(c)Shutterstock.com

「誰も私のことをわかってくれない」
「あの人のことは、どうしても理解できない」

こう悩む方がいます。しかし、人が理解し合えないのは当たり前です。

まず、自分をわかって欲しいと思わないことです。自分だって自分のことをよくわかっていないのに、他人にわかるわけがありません。自分以外の人間には絶対になれない以上、他人のことは決して全部わからないのです。

もし、相手のことをわかったと思うのなら、あるいは、自分を理解してもらえたと感じるのなら、それはしょせん誤解にすぎません。「理解」という言葉の意味を正確に言うと、「合意された誤解」です。

もし、お互いに理解し合えたと思うのであれば、それは、「誤解で合意した」だけ。実のところは、それぞれ自分の都合で解釈し合っているにすぎません。

それでも、友だちが多いほうが毎日楽しいし、人脈も広いほうがいいと考えるのなら、もちろんその人生を楽しめばいいでしょう。しかし、もし人間関係に煩わしさを感じているのなら、人脈は言うに及ばず、友だちも必要ありません。むしろ、友だちなどつくろうとしないほうがいいのです。

考えてみてください。自分にとって、本当に大事な人間、大切にしたい人間はどのくらいいるでしょう。せいぜい10人程度。多くて20人くらいではないでしょうか。「いや、今の自分には友だちもたくさんいるし、仕事の人間関係もある」と思うかもしれません。しかし、自分の状況が変われば人間関係は一変します。

そう考えると、自分の生き方やあり方を決定づける人間関係は、そう多くはありません。本来、人が生きていくのに必要な人間関係はごく限られているのです。

暴論だと思われるかもしれませんが、友だちは要らないと私が言うのには理由があります。友人をつくると、人はどうしても相手と良好な関係を維持しようと努力します。また、「自分をわかってもらいたい」「相手のためになることをして感謝されたい」「相手に認めてもらいたい」と思います。それは、ひとつの欲にすぎません。

思惑どおりに受け取ってもらえればまだいいでしょう。しかし、いつもそうなるとは限りません。コミュニケーションの行き違いは、新たな悩みやストレスになります。

特に、多過ぎる友だちは心を疲弊させ、精神的な健康を害します。それだけ多くの人間関係を維持しなければならないからです。ましてや、SNSでつながるだけの関係など、一切なくて大丈夫です。そもそも人間関係でみんな疲れているのに、なぜそんなに友だちを増やしたいのか。私には不思議で仕方ありません。

友だちをつくろうとしなくても、自分自身のやるべきだと思うことをやっていて、それが本当にやるべきことであれば、必ず人が集まってきます。また、同じようなテーマを持つ人間がそれを嗅ぎ分け、その相手との人間関係が自然にできていきます。

そんな相手とは、たとえ年に一度しか会わなくても、会えば深く通じ合うものがあります。折に触れ、相手が何をしているのか気になり、風の噂を聞いただけで何を考えているのかがすぐわかる。そんな関係です。そんな相手が私にも何人かいますが、その人間がいなくなれば、親を亡くすよりこたえるでしょう。

自分が大切にしたいものが決まれば、後は簡単。

自分にとってどうしても必要な人間関係を調整していくことを考えればいいだけです

TOP画像/(c)Shutterstock.com

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