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故事成語「他山の石」の意味や成り立ち
「他社の不祥事を他山の石としよう」というセリフ、職場や経済ドラマなどで耳にしたことはありませんか? 学生時代の授業で習った気もするけれど、「他山の石」がどんな意味か、即答できる人は教養のある方!
「他山の石」は故事成語の一つです。ビジネスシーンで故事成語を理解して使うことができれば、言葉に深みが出てきます。「他山の石」という言葉をしっかり把握して、職場で深みのある言葉使いができる人になりましょう。
◆「他山の石」の意味
「他山の石」と書いて、「たざんのいし」と読みます。直接の意味は“よその山から出たつまらない石”ですが、ここから転じて、「自分にとって戒めとなる、他人の誤った言行」、という意味で使われるようになりました。つまり、他人の誤った行いを、自分の学びにしようということですね。
ちなみに、「悪いたとえ」を指すときに「他山の石」という言葉は使われますが、「いいたとえ」を指すときには使われないので、覚えておきたいところ。
◆「他山の石」の由来(成り立ち)
「他山の石」は、中国最古の詩集、『詩経(しきょう)』に由来します。『詩経』の中の「小雅(しょうが)・鶴鳴(かくめい)」の部分に、「他山石可以攻玉(他山の石以って玉を攻<おさ>むべし)」といった言葉が出てきます。
この漢詩の意味は、「よその山から採掘した質の悪い石でも、碇石(といし)に使えば自分の玉(宝石)を磨くのに役に立てることができる」ということ。
転じて、他人の誤った言行(=よその山から採掘した質の悪い石)は、自分にとって戒めとなる(=碇石に使えば自分の玉(宝石)を磨くのに役に立てることができる)という意味になったのです。
ちなみに、「他山の石」は、中国の故事をもとにしてできた言葉、故事成語です。故事成語には他にも「矛盾」や「画竜点睛」などがあり、人生における、教訓となる言葉が数多く残されています。
「他山の石」の使い方を例文でチェック
ところで、「他山の石」という言葉を誤って使っている人は、22.6%いるという結果が出ています(平成25年度「国語に関する世論調査」文化庁)。どのような誤りをしているかというと、「他人のいい言行を自分の手本にする」という意味で、「他山の石」を使っているということがわかりました。
先述しましたが、「他山の石」は、「他人の誤りを自分の戒めとする」ときに使う言葉。勘違いしやすいポイントではあるので、誤った使い方をしないよう、注意したいところ。
1:「批判を浴びたA社の謝罪会見は、多くの会社にとって、他山の石となるだろう」
「他山の石」は、「他山の石となる」、「他山の石とする」という言い回しがよく使われます。この例文では、「他山の石となる」が使われています。批判を受けた他社の謝罪会見を悪い手本として、二の舞を踏まないようにしようという戒めの意味が込められています。
2:「他人の失敗を笑っていても仕方がない。他山の石として自己研鑽に努めよう」
こちらは「他山の石とする」の言い回しです。他の人の過ちを笑ったり、見過ごすのではなく、そこから学ぼうという姿勢を表すときに使われます。
3:「小さなミスの積み重ねが生んだ大きな事故を、他山の石以って玉を攻むべしとすべきだ」
こちらは、「他山の石」の由来となった「他山の石以って玉を攻むべし」を使った例文です。使い方は、「他山の石」と変わりはありません。
「他山の石」の類語にはどのようなものがある?
「他山の石」と近い意味を持つ言葉を3つご紹介します。
人のふり見て我がふり直せ
「人のふり見て我がふり直せ」は、「他人の行いの善悪を見て、自分の行いを反省し、改めよう」という意味を持ちます。“善”の行いも含まれている点が、「他山の石」と異なりますね。
前車の覆るは後車の戒め(ぜんしゃのくつがえるはこうしゃのいましめ)
「前車の覆るは後車の戒め」は、「先人の失敗は後人の教訓となる」という意味です。前の車がひっくり返るのを見て、後に続く車は同じ失敗を繰り返さないようにしようという戒めが込められています。
人を以て鑑と為す(ひとをもってかがみとなす)
「人を以て鑑と為す」は、他人の行動を見て、自らの行動を改めようという意味です。いい行動にも悪い行動にも使われる点が、「他山の石」とは違うところです。
「他山の石」の対義語にはどのようなものがある?
「他山の石」とは反対の意味を持つ言葉を3つご紹介します。
爪の垢を煎じて飲む(つめのあかをせんじてのむ)
「爪の垢を煎じて飲む」には、すぐれた人の爪の垢を薬として飲んで、その人にあやかろうと心がけることです。つまり、立派な人の言行をまねようということ。他人の過ちを戒めとする、「他山の石」とは反対の意味となりますね。
薫陶を受ける(くんとうをうける)
「薫陶」とは、徳の力で人を感化し、教育すること。「薫陶を受ける」と表現すると、よい影響を受ける、ということになります。
朱に交われば赤くなる(しゅにまじわればあかくなる)
「朱に交われば赤くなる」とは、人は交わる友だちによって、善にも悪にもなるということです。悪い例を自分の戒めとする「他山の石」とは違い、悪い方にも振れてしまうところが、大きく異なる点ですね。
「他山の石」と対岸の火事との違いについて
「他山の石」と混同されやすい言葉として、「対岸の火事」が挙げられます。「他山の石」については、ここまで十分に解説してきたので、「対岸の火事」の正しい意味もあわせておさえておきましょう。
「対岸の火事」とは、他人にとっては重大なことでも、自分には関係がなく、痛くも痒くもないことを指します。向こう岸の火事は、自分に飛び火する心配がないことから、こうした意味となりました。
他人の問題を注視している、という点では同じですが、自分事として戒めようとする「他山の石」と、関係ないこととする「対岸の火事」では意味が大きく異なりますね。2つの意味をしっかり覚えて、場面によって上手に使い分けましょう!
「他山の石」と反面教師との違いについて
続いて、「反面教師」との違いについて見ていきましょう。
「反面教師」の意味は、悪い見本として反省や戒めの材料となる物事や人のこと。中国の政治家・毛沢東の言葉から生まれたもの。つまり、「反面教師」と同じ意味を「他山の石」は持っていることになります。「他山の石」は、そこからさらに、自分の人格を育てる助けとなるまで学ぶところが、異なる点です。
「他山の石」を英語で表現すると?
「他山の石」とまったく同じ言葉はありませんが、英語にも近いことわざがあります。
それは「One man’s fault is another’s lesson.」(ある人の失敗は、別の人にとっては教訓となる)。他にも、「Learn wisdom by the follies of others.」(他の人の愚行から英知を学ぶ)という表現もありますよ。
最後に
ここまで読んでいただいた方は、「他山の石」の正しい意味をしっかりと理解できたのではないでしょうか。「他山の石」は、字面だけでは正確な意味は分かりかねます。知識で補わない限り、理解のできない言葉なので、ここでしっかりと覚えておいてくださいね。
「他山の石」のように、今もなお使われている故事成語には、多くの人生訓が詰まっています。改めて学び直してみれば、学生時代に教わった時よりも、深く感銘を受ける言葉もあるかもしれませんよ。
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