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「良心の呵責」とはどんな意味?
「良心の呵責」(りょうしんのかしゃく)とは、「悪い事をした自分に対して、自分自身の良心からの責めや咎めを感じ、苦しむこと」です。
「良心」とは
「良心」とは、宗教や倫理学など異なるジャンルで異なる定義がされる言葉であり、さらに国や時代によってもその理解は異なってきます。道徳哲学上では「自己の存在や行動における善悪を知覚する意識の働き」を意味します。
また倫理学では「心の要素(知性・感情・意志)を合わせて善悪を判断し、自己に善を命じ、悪を退ける働き」と定義されています。
「呵責(かしゃく)」とは
「呵」は叱る、咎める、責める、という意味をもつ字です。「責」も同様です。同じ意味の二字が重なった「呵責」は、厳しく責める、咎め苦しめる、という強い叱責を表すのです。
「良心」と「呵責」を合わせると、「良心の呵責」は「善悪を判断して善を促す意識が、犯した悪を厳しく責め咎める働きのこと」と言えるでしょう。
「良心の呵責」の正しい使い方は? 例文をご紹介
「良心の呵責」は、どのような場面で使う言葉なのでしょうか。例文から正しい使い方をチェックしましょう。
「車椅子で困っている人に声をかけられず、後から良心の呵責に苛まれた」
困っている人を見かけたとき、声をかけようと思いながらも、きちんと助けられるかどうかがわからない、急ぎでいるので時間がない、そもそも知らない人に声をかけるのが怖い、などと思ってしまって躊躇してしまうこともあるのではないでしょうか。
しかし、あとから「あのときは助けてあげるべきだったかもしれない」「遅刻しても声をかければよかった」「何かしら力になれたはずなのに」と反省することもありますよね。それこそが良心が自分を責める状態であり、「良心の呵責に苛まれた」と表現します。
「長年親しくしてきた企業との取引を中止することになり、良心の呵責がある」
今まで友好関係を築き上げ、ビジネス面で協力してきた仲間でも、会社の経営状況などさまざまな理由により、必要に応じて取引を取りやめるなど、非情な決断を下さなければいけないときもあります。
利益を上げるためには仕方がないとわかっていても、いざ取引の中止を説明しなければいけないときなどは、やはり辛い思いをすることもあるでしょう。
法的に悪いことをしているわけではないけれど、今までの関係を考えると相手を傷つけてしまうのではないかと罪の意識にとらわれてしまう。それこそが「良心の呵責がある」状態なのです。
「彼女は子供の養育費で自分のお酒を買ってしまったようだが、良心の呵責を感じていない」
何かの依存症になると、自分の行動の分別がつかなくなると言われています。善悪の判断もできなくなり、家族のためのお金をお酒に費やしてしまうなどという経験をもつ人もいるかもしれません。
実際にはよくないことをしているのに、そこに後ろめたい気持ちや心苦しい気持ちがなくなってしまうことを、「良心の呵責を感じていない」と表現するのです。
「良心の呵責」の類義語はどのようなものがある?
「良心の呵責」は、他の言葉に言い換えるとどのような表現があるのでしょうか。類義語を紹介します。
「罪の意識」
「自分が悪いことをしたと思う気持ち」や「自分が悪事をして罪を犯したと感じる自意識」を意味しています。「罪の意識に悩まされる」「罪の意識が心に重くのしかかる」などと使いますが、言葉のとおり単なる意識であり、「良心の呵責」のような、自分を激しく責める状態までには至っていないこともあります。
「自責の念(じせきのねん)」
まさに「自分」を「責める」「念(気持ち)」です。「自分が悪いことをしたと思い、自分で自分を責める気持ち」を意味しています。「自責の念に駆られる」「自責の念を込める」などと使います。
「悔恨の情(かいこんのじょう)」
「かいこんのじょう」と読み、「悔いて残念がっている感情」を言い表した言葉です。「後悔している」という気持ちが強く、「悔恨の情に絶えない」「悔恨の情に打ちひしがれる」などが使用例です。
「良心の呵責」を英語で表現すると?
英語には「良心」を一語で表現する単語がありません。英語で「意識」を表す「conscience」が近いとされ、そこにgoodをつけた「good conscience」が日本語の「良心」の類語です。
さらに「良心の呵責」となると、英語表現では「good conscience」とはまた違う意訳表現が用いられます。例文を以下に挙げましょう。
◆「My conscience twinged me when I betraied my friend.」
(親友を裏切ってしまったとき、良心の呵責を感じた)
「twinge」はズキズキと痛む、疼くという意味です。また、以下のような表現もあります。
◆「I had a pang of conscience to live in N.Y. leaving my sick sister in hometown.」
(病気の妹を故郷に残してニューヨークで暮らすことに、良心の呵責を感じていた)
「pang」は苦痛や心痛などを表現する言葉で、「a pang of conscience」は「良心の呵責」に近い言葉と言えます。
「良心の呵責」と「罪悪感」は意味が少し異なる
「良心の呵責」と同じような意味をもつ言葉として「罪悪感」が挙げられます。ただし、そこには大きな違いがあることを説明しておきましょう。「良心の呵責」は「悪いことをした自分を責めて心を痛めること」を意味していますが、「罪悪感」は単純に「悪いことをしたと思う気持ち」を意味することがあります。
つまり、「良心の呵責」には「悪いことをした自分自身を非難して心を痛めること」という自己非難の意味がありますが、「罪悪感」は「悪いことをしたという自己認識」であり、必ずしも強い自己非難が含まれない場合もあるのです。
文脈により意味は変わりますが、「良心の呵責」は「強く自分を責める気持ち」が前提であることを覚えておきましょう。
最後に
日常会話でも使われ、文学などにも登場し、ときにビジネスシーンでも使われる「良心の呵責」。例文や類義語はもちろん、日本語と英語の表現の比較、似ているようでニュアンスの違う言葉など、幅広い視点から解説しました。良心の呵責をもたなくて済むように、日頃から正しい行いをしたいものですね。
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