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「大道廃れて仁義あり」とは? 基礎知識をまとめて解説
「仁義あり」という言葉から、一見よいことを伝えているかのように受け取れるかもしれません。しかし「大道廃れて仁義あり」というフレーズで用いられる場合は異なります。この場合「仁義あり」とは言っていても、プラスのニュアンスで用いられているとはいえないので注意しましょう。
はじめに、大道廃れて仁義ありの読み方や意味、由来などの基礎知識を確認していきます。
大道廃れて仁義ありの読み方
「大道廃れて仁義あり」の読み方は「だいどうすたれてじんぎあり」です。「だい」に濁点を付けずに「たい」と読んで「たいどうすたれてじんぎあり」という読み方をする場合もあります。
大道廃れて仁義ありの意味
大道廃れて仁義ありとは、「人が守るべき世の道理が失われたことで、仁義をことさらに唱える必要が生じた」ということを意味することわざです。
世の中の秩序が乱れる以前は、人の道理は自然におこなわれていました。そのため、仁義という道徳心をわざわざ説く必要はなかったのです。世の道理が失われてしまったために、仁義という道徳心をことさらに唱えなければならなくなったのだ、という考えを伝えているといえます。
「大道は廃れてしまったけれど仁義はある」といったポジティブな意味ではありません。間違えてしまわないように気をつけましょう。
大道廃れて仁義あり
出典:小学館 デジタル大辞泉
《「老子」一八章から》人の道理が自然に行われていた昔は、仁義という人為的な道徳は必要なかった。世の道理が失われたから、仁義をことさらに唱える必要が生じたのである。

大道廃れて仁義ありの由来
大道廃れて仁義ありは、「老子」の第一八章の一節が由来となったとされています。もととなった「老子」の第一八章は、いわゆる逆説を述べた章として知られています。大道廃れて仁義ありのほかにも、価値観への疑念を示す逆説的な表現がいくつも述べられているようです。
それらの原文や書き下し文、現代語訳は後ほど紹介します。あわせて確認しましょう。
大道と仁義の意味
そもそも「大道」と「仁義」とは、以下のような意味を持つ言葉です。
【大道】
人の行うべき正しい道。根本の道理。
【仁義】
儒家が重んじる「仁」と「義」の道徳。
大道は「幅の広い道」や「大通り」、文脈によっては「その路上・道端」を意味する場合もあります。また仁義は、日本では「道徳上守るべき筋道」や「義理」を指して用いられることの多い言葉です。
儒教においては、仁義の「仁」とは「他者への親しみや思いやり」を意味します。また「義」とは「道徳的規範意識」のこと。どちらも人として守るべき徳の基本だとされています。
大道廃れて仁義ありの原文・書き下し文・現代語訳
それでは、大道廃れて仁義ありの由来・語源となった「老子」の第一八章の四つの文章をチェックしましょう。それぞれ、原文から書き下し文、現代語に訳した文章まで見ていきます。

大道廃れて…
〈原文〉
大道廃、有仁義。
〈書き下し文〉
大道廃れて、仁義有り。
〈現代語訳〉
大道が廃れてしまった結果、仁義という概念が強調されるようになった。
〈補足〉
この場合の大道は、老子の考える無為自然の大いなる道のことと考えられます。優れた道が衰えたことで、仁愛や正義などの概念を徳としてわざわざ強調する必要ができたのだと伝えているのでしょう。
智慧出でて…
〈原文〉
智慧出、有大偽。
〈書き下し文〉
智恵(ちえ)出(い)でて、大偽(たいぎ)有り。
〈現代語訳〉
人のこざかしい知恵や偽りが生じるようになったから、法律や規則が盛んに作られるようになった。
〈補足〉
この場合の知恵ある者とは、悪知恵を持った者を含みます。
六親(りくしん)和せずして…
〈原文〉
六親不和、有孝慈。
〈書き下し文〉
六親(りくしん)和せずして、孝慈有り。
〈現代語訳〉
親子や兄弟、夫婦の仲が悪くなったために、孝行者の存在が目立つようになった。
〈補足〉
六親とは「親子や兄弟、夫婦などの親族」を指す言葉です。また、孝慈の「孝」は親への孝行を、「慈」は子への慈愛を意味します。
国家昏乱(こんらん)して…
〈原文〉
国家昏乱、有忠臣。
〈書き下し文〉
国家(こっか)昏乱(こんらん)して、忠臣(ちゅうしん)有り。
〈現代語訳〉
国家がひどく乱れると、忠臣の存在が目立つようになるものだ。
〈補足〉
忠臣とは、忠義を尽くす家来・臣下のことを指します。
大道廃れて仁義ありで老子が伝えたかったこととは?
大道廃れて仁義ありは、老子によって仁義を批判するような見解が述べられた文章だといえるでしょう。
老子は「無為自然(むいしぜん)」の生き方を理想としていたとされています。無為自然とは、「人の手を加えず、あるがままにまかせること」「知や欲を働かせずに自然な状態でいること」を指します。「無為」と「自然」という似た意味の熟語を重ねることで、思惑や意図が加わらない本来の様子であることを強調した表現です。

一方、仁義は儒教で重んじられている考え方です。老子にとっては、仁義は人為的な道徳で、理想とする無為自然の生き方の逆説になるようなものだと考えたのかもしれません。老子の理想とする無為自然の生き方ができていればよかったのに「仁義」「孝慈」「忠臣」などの道徳をわざわざ説かなければならなくなったのは、いい状態ではないのだと伝えているとも考えられます。
このように、大道廃れて仁義ありを深掘りすることで「一見すると立派に聞こえる言葉であっても、その内容の陰にあることまで素晴らしいことだとは限らない」ということまで理解できるでしょう。
大道廃れて仁義ありを理解しよう!
大道廃れて仁義ありは「仁義」をポジティブなニュアンスでは使っていないため、文章の意味を考える際は注意が必要な表現といえます。
今回紹介した「老子」の第一八章では、「仁義」のほかにも「知恵」「孝慈」「忠臣」などのポジティブなイメージの言葉が用いられていました。しかし、そのままポジティブに使うのではなく「実際には世の中の秩序が乱れてしまったためにわざわざ道徳心を唱えなければならなくなった」などと逆説的に伝えています。
この記事を参考に、大道廃れて仁義ありという表現への理解を深めたうえで、物事の表面ではなく本質を見るように心がけたいものですね。
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