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「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉は、論語に由来する古い名言ですが、今も多くの人に語り継がれています。しかし、“なんとなく”の理解しかないという人も多いのではないでしょうか?
そこで、この記事では「義を見てせざるは勇なきなり」の意味や由来、全文、英語表現、使い方についてわかりやすく解説していきます。
「義を見てせざるは勇なきなり」とは? 意味と由来を解説
論語の中でもよく知られている「義を見てせざるは勇なきなり」は、時代や場面を越えて語られる言葉です。まずは、意味や出典、原文について整理しましょう。

「義を見てせざるは勇なきなり」の読み方と意味
「義を見てせざるは勇なきなり」は、「ぎをみてせざるはゆうなきなり」と読みます。「義を見てせざるは勇無きなり」とも表記しますよ。辞書では次のように説明されています。
義(ぎ)を見(み)てせざるは勇(ゆう)無(な)きなり
引用:『デジタル大辞泉』(小学館)
《「論語」為政から》人としてなすべきことと知りながら、それを実行しないのは勇気がないからである。
「義を見てせざるは勇なきなり」とは、「正しいことと分かっていても、それを行動に移さないのは勇気がないからだ」という意味。人として大切な行動や責任に気づいたときに、実際に動くことの大切さを教える言葉です。
「義を見てせざるは勇なきなり」の由来や原文は?
「義を見てせざるは勇なきなり」は、中国の古典『論語』為政に登場する言葉です。原文は「子曰、非其鬼而祭之、諂也。見義不為、無勇也」と記されています。
現代語訳は、「孔子はこう語りました。自分の祖先ではない霊を祭るのは、ご機嫌を取ろうとする心からである。正しいことだと知っていながら実行しないのは、本当の勇気がないからだ」という意味になります。

「義を見てせざるは勇なきなり」の英語表現は?
「義を見てせざるは勇なきなり」は、英語でもたびたび紹介されています。
英語では “To see what is right without doing it bespeaks an absence of courage.” という表現がよく用いられます。これは、「正しいと分かっていながら行動しないのは、勇気がないことを示している」という意味になります。
参考:『プログレッシブ和英中辞典』(小学館)
「義を見てせざるは勇なきなり」の使い方を例文とともにチェック!
「義を見てせざるは勇なきなり」は、現代でもさまざまな場面で引用されています。日常生活やメディアなどでの使い方、例文も合わせて紹介していきましょう。
「落とし物を見かけたが、そのまま通り過ぎるのは義を見てせざるは勇なきなりだと思い、交番に届けました」
身近な場面で、正しい行動を選んだときにこの言葉が思い浮かぶ例です。

「いじめの現場を見て、義を見てせざるは勇なきなりだと感じ、自分にできることを考えました」
社会問題など、過ちを見過ごさず、正しい行動をしようと決意した場面です。
「ボランティア活動に参加するか迷ったが、義を見てせざるは勇なきなりと思い、一歩踏み出しました。」
少し勇気が必要な行動を選ぶときの心の後押しとして使っています。
最後に
「義を見てせざるは勇なきなり」は、時代を越えて人の心に残る言葉です。正しいことと知りながら、迷っているとき…。そっと背中を押してくれるような言葉ではないでしょうか。
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