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「愚公移山(ぐこういざん)」という言葉を目にしたとき、すぐに意味を思い浮かべるのは難しいかもしれません。ただ、「愚公移山」の背景には、日々をまじめに生きる人にとって励みとなるような考え方が込められています。
ここでは、その成り立ちや現代における活用法を、できるだけわかりやすく紹介していきましょう。
「愚公移山」の意味と語源は?
「愚公移山」は、中国の古い書物に登場する言葉です。大きな山を前にしても、あきらめずに行動を続けた一人の老人の話から生まれました。まずは、この言葉の意味と由来をひもといていきましょう。

「愚公移山」の意味
「愚公移山」とは、どんなに難しく思えることでも、こつこつ努力を続けていれば、やがて道が開けるというたとえです。目に見える結果がすぐに出なくても、積み重ねることに価値があるという考え方が込められています。
「愚公移山」の語源
「愚公移山」とは、「愚公山(やま)を移(うつ)す」と読み下します。
物語に登場する愚公という90歳の老人は、家の前にそびえる山が生活の妨げになることに気づき、自らの手で山を移すことを決意します。
彼はくじけずに続け、努力を怠りませんでした。この姿に心を動かされた神様が、山を別の場所へ移したという話が、中国の古典『列子(れっし)・湯問(とうもん)』に収められています。
参考:『新選漢和辞典 Web版』(小学館)
「愚公移山」の使い方のポイント
「愚公移山」という言葉は、日々の暮らしの中でも、さりげなく使える場面があります。例えば、目の前の作業に時間がかかっていたとしても、毎日少しずつ進めている自分を肯定したいとき、この言葉が思い出されることがあるでしょう。
また、他の人の努力に敬意を表したいときにも使えます。その人がすぐに結果を出していなくても、着実に歩んでいる姿を見て、心の中で「愚公移山という言葉があるな」と思い浮かべることもあるかもしれません。
ここでは、「愚公移山」の使い方を具体的な例文とともに紹介しましょう。

「どんな困難でも乗り越えられる。それが“愚公移山”の精神です」
この一文には、困難に立ち向かう前向きな姿勢が込められています。何か新しい挑戦を始めるときや、途中で迷いが生じたときなどに、自分自身を支える言葉として使うことがあるでしょう。
また、まわりの人に何かを伝えるとき、「愚公移山」を選ぶことで、強く押しつけずに気持ちを共有することができる場面もあるでしょう。
「『意味ないよ』と言われてもやめなかった。今になって、愚公移山という言葉が心にしみる」
この言い回しは、過去の自分の行動をふり返るときに使われることがあります。まわりの声に戸惑いながらも、自分の意志で続けてきたことが、あとから少しずつ意味を持ちはじめたと感じる瞬間に自然となじみますね。
言葉としては控えめですが、その奥には静かな誇りや確信が込められているように感じられます。「愚公移山」という言葉が、そうした気持ちを整理する手がかりになることもあるかもしれません。
最後に
「愚公移山」という言葉には、目立つことよりも、続けることに価値があるという考え方が込められています。すぐに役立つ言葉ではないかもしれませんが、ふと立ち止まったときに思い出されることがあるかもしれません。そんなとき、「愚公移山」という言葉がそっと心に寄り添ってくれるのではないでしょうか。
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