春宵一刻とは
春宵一刻とは、「しゅんしょういっこく」と読み、春の夜の風情にあふれるさまをあらわす言葉です。
春宵は、春の夜のことです。そして一刻は、昔の時間の単位で、現在の約30分の時間を意味します。
30分という時間は、比較的短く限られた時間といえるでしょう。従って、一刻は限られた時間をたとえる言葉として用いられてきました。
つまり、春宵一刻とは、春の夜はほんのわずかな時間であっても、なんともいえない風情があることを表現する言葉と押さえておきましょう。
春宵一刻値千金の略
春宵一刻は、「春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせいきん)」の略語です。春宵一刻値千金は、春の夜は趣が深く、そのひとときは非常に価値が高いことを意味します。
春宵一刻の由来
春宵一刻値千金は、中国の北宋時代において政治家や文学者として活躍した、蘇軾(そしょく)の「春夜」という詩が由来とされます。
春夜の前半で、「春の夜はたとえ一瞬でも千金の価値がある。花は清らかに香り、月はおぼろにかすんでいる」といった春の夜の趣の深さとその価値を伝えているのです。
瀧廉太郎の楽曲の歌詞にも用いられている
「春宵一刻値千金」は、日本の音楽家である滝廉太郎氏の「花」という楽曲の歌詞にも反映されているという説も。「春のうららの隅田川」から始まるこの曲を、聞いたことがある方もいるでしょう。
滝廉太郎の「花」の3番の歌詞にある、「げに一刻も 千金のながめを何に たとうべき」は、「春宵一刻値千金」という言葉が反映されているといわれています。
春宵一刻の例文・使い方
ここからは、春の夜の風情をあらわす春宵一刻という言葉を実際に使ってみたいと考える方に向けて、春宵一刻の例文と使い方を紹介します。
春宵一刻を使った例文
春宵一刻を使った例文をいくつか紹介しますので、ぜひ参考にしてみてください。
・夜桜と朧月が非常に美しくて、春宵一刻という言葉が思い浮かんだ。
・秋の夜長も風情があるが、個人的には春宵一刻に、より趣を感じる。
・春は新生活が始まり常に気ぜわしくバタバタしている、だからこそ春宵一刻を楽しみたい。
・気を許せる友人たちと桜の花を愛でながらお酒を楽しむこの春宵一刻を、心に刻んでおきたい。
・感傷に浸りながら春の夜の月を観賞しようと思っていたのに、大声で騒いでいる人たちのせいで、春宵一刻が台無しだ。
春宵一刻は、春宵一刻値千金を略した言葉です。春宵一刻値千金を用いた例文も、あわせて確認しましょう。
・春宵一刻値千金の時期となりましたが、皆様お元気にお過ごしでしょうか。
・春宵一刻値千金を実感し、寝てしまうのがもったいなく感じている。
・桜の木の下で春の夜の心地よさを感じ、「春宵一刻値千金」とはよくいったものだと感心した。
春宵一刻のビジネスシーンでの使い方
春宵一刻という言葉は、ビジネスシーンに登場する可能性は低いかもしれません。春の夜の趣をしみじみと称える言葉であるため、ビジネスとの親和性は低いと考えられます。
しかし、春は異動による出会いと別れの多い季節。春のあたたかな風に包まれながら、目標達成に向けて切磋琢磨した同僚や、お世話になった上司などとの思い出に浸る時間もまた、大切な思い出になるでしょう。
春宵一刻の類義語・類似表現
春宵一刻や、春宵一刻値千金の類語・類似表現として挙げられるのは、「一刻千金」です。一刻千金は「いっこくせんきん」と読み、ひとときが大金にも値することを指します。
かけがえのない大切な時間や楽しい時間が過ぎるのを惜しむ際に使う表現であり、時間を無駄に過ごしてはいけないという、戒めのような意味合いでも用いられます。
一刻千金の由来も、春宵一刻と同様に、春宵一刻値千金であることを押さえておきましょう。似たような意味で使われる春宵一刻と一刻千金ですが、春宵一刻は春の夜に限定した表現であり、一刻千金は季節を問わない表現であることがポイントです。
一刻千金は、以下のような使い方をします。
・先日のセミナーでは非常に有意義な知見を得られ、まさに一刻千金だった。
・久しぶりに友人と過ごす時間は、一刻千金だと感じた。
・一刻千金であることを十分に理解し、時間を惜しまずに努力を重ねられたら、きっと成功するはずだ。
春宵一刻の意味を知って使いこなそう
春宵一刻は、春宵一刻値千金を略した言葉で、春の夜の趣を称える言葉です。中国北宋時代に政治家や文豪として活躍した、蘇軾の「春夜」という詩が由来とされます。
春宵一刻の類似表現として挙げられるのは、一刻千金です。かけがえのない時間を惜しむニュアンスが、共通しているといえます。
ふと心に湧き上がった感情を適切に表現できる言葉を知っているだけで、人生が少しだけ豊かに感じられるかもしれません。
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