不正がまかり通る現実や、声を上げても届かないもどかしさ…。そんな、世の中の不条理や、自分ではどうしようもない理不尽な出来事に出会ったときには、心を強く動かされるものです。そんな言葉にしづらい感情を表す、昔から使われてきた四字熟語がありますよ。それが「悲憤慷慨」です。
ちょっと古めかしい言葉ですが、読み方を始め、意味や、使い方を探っていきましょう。
「悲憤慷慨」とは? 嘆きと怒りが交わる心情
「悲憤慷慨」とは、どんな感情を表す言葉なのでしょうか? 読み方と意味を確認し、言葉の成り立ちを確認していきましょう。

「悲憤慷慨」の読み方と意味、成り立ち
「悲憤慷慨」は、「ひふんこうがい」と読みます。辞書では次のように説明されています。
ひふん‐こうがい〔‐カウガイ〕【悲憤×慷慨】
引用:『デジタル大辞泉』(小学館)
[名](スル)世情や自分の運命などについて、憤慨し、嘆き悲しむこと。「不正の横行を―する」
「悲憤」は、悲しみと怒りが入り混じった気持ち、「慷慨」は義憤や感情が高まることを指します。特に社会の不正や不運な境遇に心を強く動かされたときに使う表現です。
二つの言葉を合わせた「悲憤慷慨」は、時世や運命などに対して憤り、嘆くことを意味します。
「悲憤慷慨」はどんなときに使える?
「悲憤慷慨」とは、日常会話ではあまり聞かない言葉かもしれません。しかし、理不尽な現実や社会の不条理に心を動かされたときには気持ちが重なりやすい言葉だともいえます。今の社会で、どのように使えるのかを例文で確認していきましょう。
「悲憤慷慨しても何も変わらないという諦めが、さらに彼を苦しめた」
理不尽な状況に心を揺さぶられながらも、現実を変えられない無力感が加わり、複雑な感情を抱えている場面です。感情を表に出すことは少ないけれど、内面では強く葛藤している様子が伝わります。
「彼女は悲憤慷慨の思いを文章に託し、スピーチで訴えた」
この例文は、悲しみと憤りが入り混じった激しい感情を、文章に書くことで整理し、さらにスピーチという公の場で訴えかけた状況を描写しています。
「悲憤慷慨」を使うことで、内面に抱えた複雑な感情が交錯している様子が読み取れます。感情的にならず、論理的に伝えるための努力が感じられる場面だといえるでしょう。

「悲憤慷慨」の類語|似た表現はある?
「悲憤慷慨」と似た意味を持つ言葉も知っておくと、感情の種類や強さによって表現を使い分けやすくなります。ここでは、「悲憤慷慨」と共通する意味を持つ言葉を紹介しましょう。
「義憤(ぎふん)」
「義憤」とは、道徳や正義に反する行いに対してわき上がる強い怒りを指します。不正を目の当たりにしたときや、身勝手な振る舞いを目にしたときに生じる感情です。例えば「金権政治に義憤を覚える」といった形で使います。
「憤慨(ふんがい)」
「憤慨」は、ひどく腹を立てることを意味します。理不尽な対応を受けたときや、マナー違反を目にしたときなどに使われることが多いでしょう。例えば「不公平な判定に憤慨する」といった形で使います。
「悲哀(ひあい)」
「悲哀」は、悲しく哀れなことを表します。例えば「人生の悲哀を味わう」といった形で使います。
「義憤」「憤慨」「悲哀」はそれぞれ怒りや悲しみの一面に焦点を当てていますが、「悲憤慷慨」はこれらが交差する、多層的な心の状態を表しています。感情が深く複雑なときにふさわしい表現といえますね。

「悲憤慷慨」の対義語|対になる言葉は何?
「悲憤慷慨」と対照的な、落ち着いた心のあり方を表す言葉も見ていきましょう。
「平常心(へいじょうしん)」
「平常心」とは、どんなときでも冷静さを失わず、気持ちを安定させた状態を指します。
例えば、大勢の前で話す場面や、大切なプレゼンに臨む場面では、「本番でも平常心を保つ」という表現が使われます。これは、緊張に流されず、ふだん通りの力を発揮しようとする心構えを表しています。
「泰然自若(たいぜんじじゃく)」
「泰然自若」とは、どのような状況でも動揺せず、落ち着いて物事に対応できる心のあり方を表す言葉です。
例えば、予期せぬトラブルに見舞われても、慌てることなく冷静に対応できる人に対して「泰然自若としていた」と表現できます。感情に振り回されず、どっしりと構える姿勢を指すため、ゆったりとした余裕やおおらかさを感じさせる人物像が思い浮かびますね。
最後に
「悲憤慷慨」は、怒りと悲しみが重なり合った複雑な感情を表す言葉です。社会の不正や不条理に対して怒りを感じたときなどには、自分の心をうまく表現できないことがありますよね。そんなとき、「悲憤慷慨」という言葉を意識してみることで、その奥にある正義感や変化を望む気持ちに気づくことができるかもしれません。
TOP画像/(c) Adobe Stock