人との出会いは貴重なものですが、いつかは別れの時が訪れます。「会者定離」という言葉は、そうした避けられない運命を受け入れる考え方が込められているようです。
この記事では、「会者定離」の意味や背景を紹介します。日々の出会いや別れに対する捉え方が変わるかもしれませんよ。
「会者定離」の意味と由来
「会者定離」の意味や成り立ちを知ることで、より深く理解することができるでしょう。ここでは読み方と意味、由来を紹介します。
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「会者定離」の読み方と意味とは?
「会者定離」は「えしゃじょうり」と読みます。辞書で意味を確認しましょう。
えしゃ‐じょうり〔ヱシヤヂヤウリ〕【会者定離】
引用:『デジタル大辞泉』(小学館)
仏語。会う者は必ず離れる運命にあるということ。人生の無常をいう語。
「会者定離」とは、「出会ったものは必ず別れる運命にある」という意味があります。
人は一度出会えば、その後もずっと一緒にいられるように感じることがあるかもしれません。しかし、環境や時間の流れによって、どこかで離れ離れになることもあります。
「会者定離」は、そのような別れを悲観するのではなく、自然なこととして受け止める考え方を示しているのかもしれません。
「会者定離」の由来と仏教との関係
「会者定離」は、仏教語に由来します。『遺教経(ゆいきょうぎょう)』の「世皆無常、会必有離」などに出てきた言葉だといわれていますよ。この世は儚く、無情なものであることのたとえとして使われることが多いでしょう。
「会者定離」の英語表現は?
「会者定離」の考え方は、日本語だけでなく、英語でも表現されることがあります。”Nothing lasts forever.”は「永遠に続くものはない」という意味で、「会者定離」が持つニュアンスを伝えることができるでしょう。
「会者定離」の類語や関連語
「会者定離」と似た意味を持つ表現を知ることで、状況に応じて適切な言葉を選びやすくなるかもしれません。出会いと別れの捉え方はさまざまですが、それぞれの言葉が持つニュアンスの違いを確認していきましょう。
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一期一会
「一期一会」は、茶道の精神を表す言葉としても知られています。茶会は毎回一生に一度だという思いを込めて、その瞬間を大切にすることを説いています。
「会者定離」との違いは、「一期一会」が出会いを重視しているのに対し、「会者定離」は別れを避けられないものと捉えている点です。
諸行無常
「諸行無常」は、仏教の基本的な考え方の一つで、「この世のあらゆるものは変化し続け、永遠に同じ状態ではいられない」という意味を持ちます。「会者定離」もまた、この無常観に基づいていると考えられるでしょう。
人との出会いと別れは、すべてが移り変わる世の中の一部であり、避けることはできないという教えと結びついているのかもしれません。
「会者定離」の使い方と例文
「会者定離」がどのような場面で使われるのか、具体的な例を挙げて考えてみましょう。
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「卒業式で先生が『会者定離という言葉があるように、今日の別れは避けられないものです』と話していた」
この例では、卒業という人生の節目において、人との出会いと別れの避けがたい流れを伝えています。
「長年勤めた会社を退職するとき、『会者定離だね』と同僚に言われた」
仕事の環境が変わる際にも、この言葉が使われることがあるようです。同じ職場にいた仲間とも、いつかはそれぞれの道を歩むことになるでしょう。
最後に
「会者定離」という言葉には、すべての出会いには別れがある、という考え方が込められています。日々の出会いや関係を大切にしながらも、その終わりを受け入れる心構えを持つことができるかもしれませんね。
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