そもそも「勝ち組」とは?
「勝ち組」「負け組」という言葉は、今やすっかり社会に定着しました。競争が激しい社会においては、職業・年収・企業といったさまざまな条件を基準にして、「勝ち負け」を判定されるもの。実際、同世代の収入がどれくらいなのかを気にしたり、自分は人生がうまく行っていないのでは… などと、劣等感を持ち、同窓会を欠席したりする人もいるかもしれません。
この記事では、「勝ち組」という言葉の意味や「勝ち組」に対する考え方について見ていきたいと思います。
「勝ち組」の定義
「勝ち組」という言葉は当初、今とはかなり異なる意味を持っていたと言われています。1945年、第二次世界大戦で日本が敗北。この時、遠くブラジルの日系移民の中で「日本は戦争に勝った」と信じた人たちがいました。この人たちは「勝ち組」と呼ばれることになります。
一方、「日本は戦争に敗れた」と認識した人たちは「負け組」と呼ばれました。「勝ち組」と「負け組」の対立は激しく、一部では爆破事件も起きるほど。これが、「勝ち組」の当初の意味というわけです。
現代では、よく知られているように「勝負事に勝った人、あるいは事業や人生などで成功した人」のことを指します。元々の意味と比べると、かなり変化したのが分かりますね。
ちなみに「勝ち組」は、英語ではシンプルに「winner」と表現されます。
「勝ち組」になれたのは運も大きい?
一般的に、「勝ち組」になれたのは「個人の努力によるもの」とする考え方が主流です。確かに、やって来るチャンスをものにするには、普段から努力をし、察知する感性を磨いておく必要があります。高い次元を目指すには、日ごろから切磋琢磨する必要があるのは、言うまでもありません。
しかしながら、成功が全て努力や個人の力によるものかというと、それは断定できません。なぜなら、個人ではコントロールできない力も働いているからです。
一般的に、私たちは「平等」であることを前提に話を進められます。しかし、絶対的で完全な平等というのは、実存しないのではないでしょうか。体格、知能、身長、容貌、運動能力など、個人によって差があるものであり、「不平等」とも言えます。
「受けられる教育内容が等しい」「法の下の平等」などと言われることもありますね。しかし、これらはある点において「平等」なのであって、完全にあらゆる面で平等というわけではありません。とりわけ、自分がどのような家庭に生まれるかは「平等」に決定的な影響を及ぼすもの。
自分がどのような外見や能力をもって生まれるか、あるいはどの家庭に生まれるかは、自分では選べない、つまり「自己責任」の外の領域です。運とも言えます。この事実を無視して、「人生が失敗したのは自己責任」というのは、ある意味きつい話です。
実際、イタリア・カターニア大学の研究チームが統計学の観点から、成功するかは運によるものが大きいと分析した研究結果もあります。
研究チームは、IQなどの知能に比べて、富はなぜ一部の人間に偏るのかをコンピュータモデルを用いて解析しました。その結果、成功と才能との間には必ずしも相関関係が見られず、富の偏りを生んでいる要因は、「運」であることが示されたのです。つまるところ、お金持ちになれた人たちは幸運に恵まれていたのであり、貧しい人たちは運に恵まれなかったという結論でした。
同じ論文では、さらに興味深い報告がなされています。研究費の配分にかかわる問題についての分析です。
研究チームは、いくつかの研究費配分モデルを設定。「全ての科学者に均等に研究費を配分する」「過去に高い業績を上げているごく一部のトップ科学者のみに配分する」、及びそれらの中間の配分方法からなる19パターンを設定し、シミュレーションを実施しました。シミュレーションの結果、最大の効果を上げたのは「全ての科学者に均等に研究費を配分する」だったのです。
これを踏まえて、私たちの社会に当てはめて考えると、多くの「負け組」の人たちに職業支援をしたり、給付金を支給したりすることが、社会全体に最も利益をもたらすと考えることができます。
全体のパイが縮小する時に奪い合うと、みんなが疲弊する?
今の日本は人口減少社会。日本は基本的に内需で経済発展してきた国ですので、国内市場が縮小することは、そのまま経済規模の縮小につながります。それに伴い、会社間で小さくなるパイの奪い合いが起きている現状です。
高度成長期のように全体のパイが拡大し続けていた時は、基本的に自分のパイを増やすことだけに専念すればよかったのでしょう。失敗しても、増えたパイから損失分を取り戻すことができたからです。
ですが、パイが減り続ける中で、みんなが自分の利益を最大化することだけ考えれば、当然激しい競争になります。結果的に、「転落」して「負け組」になる人が増える。奪い合いは、「最後の一人」になるまで続くのかもしれません。生き残った人たちは「勝ち組」になりますが、集団全体はすっかり活力を失い、外部から見れば、やせ細った状態に見えることでしょう。
つまり、発想の転換が求められているということではないでしょうか。それは、自分の利益を最大化することよりも、自分の取り分を減らしてでも他のメンバーとパイを分け合うということ。均等に配分することが集団全体にとって、最も利益になることは、先のカターニア大学の研究チームの報告からも科学的に証明されています。
実際、離島や山間部の集落などでは、利益の拡大よりも分配を重んじる風潮が強く残っている地域もあるようです。「分け合う」という行為は、太古の昔から続けられてきた営みであり、全員が生き延びるための知恵でした。私たちは、今までの「自己利益の最大化」という行為を見直し、「分け合う」という昔からの知恵を見直す段階にいるのかもしれません。
最後に
「勝ち組」になれたのは、個人の努力があるのはもちろんですが、「運」も大きい要素だと言えるのではないでしょうか。イタリア・カターニア大学の研究チームによって科学的に証明されています。
これによるならば、「負け組」になった人たちを「自己責任だ」と突き放すことは、ある意味残酷です。なぜなら、運は自分の意志でコントロールできるものではないから。どこの家庭に生まれるかは、その最たるものでしょう。
また、全体のパイが縮小する中で、みんなが「勝ち組」を目指して取り分を最大化しようすると、競争が激化し、「負け組」に「転落」する人が増えます。自分だけが「勝ち組」であっても、周りがみんな「負け組」であるならば、その集団は弱いものです。これからの時代、自分の取り分を減らしてでも、分け合うという昔ながらの精神が重要なのかもしれません。
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