染色体の検査は受けるべき? 性別は知りたいけれど…【30代からの不妊治療】
妊活を始めて3年。現在34歳の私の体験から、妊娠を考えているカップルにとって少しでも役に立つような情報をレポート形式でお届けします。
前回は、流産の翌朝、病院で医師から処置の説明を受けた時の話をお届けしました。
流産後、診察室で頭がフリーズ状態になってしまっていた私は、染色体の検査を受けるべきかをひとりで決めきれませんでした。かといって、夫とも話をしたくないという心境をJ先生に打ち明けると、先生が夫に直接電話をかけて意向を確認してくれることに。
完全流産で手術の必要はなくなったこと、子宮への影響がないので今後の妊娠にも問題がないこと、ただ私自身が傷ついていてしばらくはメンタル面のフォローが必要なこと。夫は話を聞きながら「染色体の検査をどうするかは妻の判断に任せたい」と伝えたそうです。
電話をする医師の説明を改めて聞きながら、染色体の検査を受けて赤ちゃんの性別など知れる限りの情報を知りたいという気持ちが沸きました。しかし同時に、染色体異常で流産したという結果が出たとき「流れてしまったのは仕方がなかった」と思ってしまいそうな自分がいることに怖さを感じていました。
赤ちゃんがいなくなった喪失感に浸りたいわけではないけれど、そういう運命だったと納得してしまうのも何か違う気がしたのです。悲しみがいつか晴れたとしても、一度は宿ってくれた赤ちゃんのことをいつまでも忘れないでいなきゃという気持ちが強かったのです。
医師「ご主人としては、染色体の検査を絶対にやりたいという強い意向はない感じでした。でも『妻がもしやりたいと望んでいるなら』とも話されていて、どうしましょうか」
私「赤ちゃんの情報をたくさん知りたいという気持ちはあります。特に男の子なのか、女の子なのか、性別はすごく楽しみにしていたから知りたい気持ちも強くて。でも今、先生が夫に説明をしている話を聞いていたらまた迷ってしまって…。染色体の異常で流産したという結果をもらっても、私はいろんな後悔をしてしまいそう。……今回は検査を受けるのはやめようと思います」
医師「うん、わかりました。胞状奇胎の検査はどうしますか? 可能性は低いですが、保険が効くのでやっておく?」
私「あ、そっか、どうしよう…。病気だったら困るので受けておこうかな」
そう答えつつ、心の中では検査の保険基準に疑問を感じていました。可能性が高いとされる染色体の検査は自費なのに、(私の場合は)可能性が低そうだという胞状奇胎の検査は保険適用…。もし染色体の検査も保険が効けば、先生の勧め方も変わるのかなと思ったりしました。
流産後の出血はいつまで続く?
私の場合、流産後の出血量がけっこう多かったので止血剤が処方されましたが、止血剤を飲んでから3日目くらいで止まりました。出血しているうちは感染症のリスクがあるので、お風呂はシャワーだけ。プールなどもNG。それ以外の生活面での制約は特になかったです。
医師「このままでも恐らく一週間くらいで出血は止まると思うのですが、まだ子宮のなかに残っている血が出るかもしれないので、止血効果のある薬を出しておきますね。すごく大事な薬というわけではないから、飲み忘れちゃっても大丈夫だし、もし体にあわないと感じるようだったら飲むのをやめちゃってもいいです。お守りくらいのつもりで飲んでおいてください」
私「わかりました」
医師「次の診察は一週間後になりますが、このときに胞状奇胎の結果もわかると思います」
私「はい」
医師「この日はいつものN先生もいるので、予約はN先生でいれておきますか?」
私「そうですね」
どの先生がいいとかこの先生はヤダというこだわりはなかったのですが、次の診察でも泣いてしまいそうだし、事情を一番わかってくださっているN先生の枠で診察予約をいれていただきました。診察室を出るときもまだ涙が止まらず、看護師さんに付き添ってもらうはめに。歯を食いしばっても腹筋に力をいれても、何をしても我慢ができない涙。私の人生で一番辛く悲しい経験になってしまいました。
つらい診察を終えたあと、病院のロビーでひとり佇む夫の姿を見つけました。広い背中の夫の後ろ姿は、何とも言えない寂しさが滲み出ていました。私に比べればスポーツも勉強もなんでもできて、家事も仕事もとにかく素早くスーパーマンのようにこなしていく人でしたが、今回の流産の前後でお互いの方向性が微妙にズレてしまい、昨晩から顔も見たくなくなるくらい大っ嫌いになってしまっていました。
こっちに気が付いて振り向いた夫の顔はひどくやつれていました。たった半日のことなのに、久しぶりに会ったかのようなぎこちない空気。私は夫に怒りの気持ちばかりをぶつけてしまっていたけれど、このとき傷ついているのは夫も一緒だったんだとようやく気が付くことができました。
夫「ご苦労さん」
私「…うん」
夫「何か食べにいく?」
時間はもうお昼をまわっていました。朝、ケンカの勢いで朝食も食べずに家を出てしまっていたので、おなかがぺこぺこ。少ない会話をしながら、昔ふたりでよく行った寿司屋へ出かけました。今の自宅からは少し離れた場所にある古い店で数年ぶりの訪問でしたが、大将は昔と変わらない笑顔で出迎えてくれ、店に入った瞬間夫と過ごしてきた今までの時間がふわっと蘇り、真っ暗だった心のなかに明るい光が差し込んだような気持ちになりました。
止まらない流産の悲しみ。夫に理解してもらおうと思うことをやめた
流産の翌朝、すぐに次の妊娠の話を持ち出してきた夫のことは許せないし、まだ気を緩めるとすぐに泣いてしまいそうだったけれど、我々の事情など知らず変わらぬ明るさで、手際よく寿司ネタを握る大将の寿司を食べていたら、だんだん穏やかさを取り戻せました。
それに、出てきてしまった赤ちゃんのことを思うと、私たちが今ケンカばかりをしていたらなおのこと浮かばれません。診察室での話やこれまでのこと、なんでもない日常の話をポツポツしているうちに、凍り付いていた夫との心の距離がゆっくりとけて、また近くなったのを感じました。
すごく天気のいい日だったので、ご飯を食べ終わってから、外を散歩しました。私は夫にやっと本音を話すことができました。
私「妊娠がわかったときさ、私、けっこうびっくりしちゃったんだ。あんなに赤ちゃんが欲しいと思っていたんだから、もっと素直に喜べばよかった」
夫「うん」
私「神社とか行ってさ、お守りとか買っていれば、神様に守ってもらえたのかも…」
夫「うん」
私「あの日くらいさ、宅配なんか居留守使えばよかった」
夫「うん」
心の奥底に溜まっていたいろんな後悔を吐き出すと、夫はただ「うん」と静かに相槌をうって話を聞いてくれました。「いつかまた、会えるのかな」「私が早く会いたいと願いすぎたから、赤ちゃん、あわてて何か忘れ物をして空に戻ってしまったのかな」一緒に過ごせた短い妊娠期間の話を夫とたくさんしました。
一生忘れることはない、この悲しい経験。どうやって乗り越えているかは、夫婦それぞれいろんな考えがあると思います。私の場合は、夫にこの気持ちを100%理解してもらおうとはもう思いません。でも、こうしてこれからも一緒に歩きながら、たまに辛くなったら話を聞いてほしい、そう伝えました。
次回は、流産から一週間後に受けた診察で、不育症の検査を受けるかどうかを聞かれた話をしたいと思います。
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クロサワキコ
34歳・主婦ライター。妊活歴3年目。男性不妊の治療や人工授精に体外受精、ステップアップを重ねていくなかで感じた不妊治療のリアルな本音を発信しています。