「ドゥーラ」のおかげで産後の体を休めることができた
湿度の高い日本らしい夏真っ盛りの日々。
体温調節がうまく出来ない我が家の0歳児が心配で、クーラーや扇風機を付けたり消したりの毎日を過ごしている古瀬です。
早速、前回からの続き。
2022年元旦からニューヨークで新生児を育てる日々が始まったわけですが、最初の1週間は実はとっても気楽で、一気に産後の回復が出来た1週間でした。
日本のように、出産後に手厚く入院させてもらえないことは事前に分かっていたので、私は早い段階で「ドゥーラ」を雇うことを決めていました。
日本でもサービスがあるようですが、聞き馴染みがない職業かもしれません。
ベビーシッターやナニーとも違い、ドゥーラは産前後の母親のサポートにフォーカスした職業なんです。
希望すれば出産にも立ち会ってくれます。陣痛が来てからの腰のさすり方やメンタルのケアなど、旦那さんより何倍もうまいのは当たり前。
私の場合は、退院した日の夜から1週間に渡って、毎晩夜9時から翌朝の7時まで夜通し勤務をお願いしました。
夜中、授乳が必要な時だけドゥーラが寝室に起こしに来てくれて、それ以外は粉ミルクをあげたり、おむつを替えたり、全て彼女に任せることが出来ます。
この先、何ヶ月も続く寝不足を思うと、最初の1週間だけでいいので、夜落ち着いて寝たかった。それだけです。
1時間$30の料金は決して安くはなかったけれど、日本から母を呼んでいたら同じくらいの飛行機代がかかっていたことを考えると納得出来ました。
さらに、新生児ケアのプロであるドゥーラが、アメリカで赤ちゃんを育てる際に必要なあらゆる情報を事前に教えてくれたおかげで、戸惑いや混乱がとても少なく、楽しい育児のスタートが切れました。
そのおかげで、「育児が辛い」という観念が私に生まれなかったことが何より彼女を雇った価値だったと感じています。
要は、ビジネスとして人を雇う方が、親族よりも気を遣うこともなく、割り切って体を休められたというわけです。
しかし、そんな楽しい1週間が終わる頃、最初の試練がやってきました。
NYで母と子の2人きり
日本から来ていた夫が仕事のため帰国の途に。私は雪が降りしきる1月半ばにNYで新生児と2人きりになりました。
24時間ずっと2人きり。雪が溶けずマイナス気温の中、新生児を外出させるわけにもいかない。
かといって1人娘を置いて出かけられるわけもないので、食料や生活用品は全てデリバリー。
100メートルほど先にあるドーナツ屋さんにコーヒーを買いに行くことすらできず、$20近く出費してドーナツとコーヒーをデリバリーしてもらったことも。
オミクロン株の猛威で、友達を家に呼ぶことも憚られ、この期間が一番辛かった。
早く娘のパスポートを作って、日本に一時帰国したいわけですが、そのためには行政から発行されるBirth Certificate、いわゆる出生証明書が必要。
それが送られてくるのをひたすら待つしかない。問い合わせても、コロナのせいで目処も立たないと言われ、、、。
せめて雪が消えてなくなれと窓の外を見ながら、気が遠くなったことは今でも忘れられません。
そして、さらに次なる試練が、、、鬼の医療費請求。
アメリカの病院は日本のように病院からまとめて請求されるわけではなく、産婦人科医にいくら、小児科医にいくら、お母さんにかかった施設費用がいくら、赤ちゃんがいくら、、、と管轄が分かれていて、請求の準備が出来たところからランダムに送られて来るという恐怖のスタイル。
どの請求書が最後なのかも分からない。一体合計いくらなんだと、2月中旬まで恐れおののいていました。
その結果、$61,300ほど。当時で700万近く。この円安だと850万。
もちろん保険でカバーされ、私はこの数分の1しか支払っていませんが、それにしてもすごい。なぜなら、私は病院に36時間しか入院していないからです。
そりゃあ、早く退院すべきだと納得。
しかし、その後も、新生児に何か気になることがあると念のためにと検査三昧。
この超音波はいくら? 診察はいくら? と病院に行く度に娘への心配と違う心配が頭をもたげるのでした。
そんな1人で育児と闘う日々の中で、とにかく早く日本に帰りたいという想いが爆発する事件が起こります。
その話はまた次回。
古瀬麻衣子
1984年生まれ。一橋大学卒。テレビ朝日に12年勤務。「帰れま10」などバラエティ番組プロデューサーとして奮闘。2020年、35歳で米国拠点のweb会社「Info Fresh Inc」代表取締役社長に就任。現在NY在住。日本人女性のキャリアアップをサポートする活動も独自に行なっている。
Instagram:@maiko_ok_
HP