アンパンマンの生みの親・やなせたかしが私たちに伝えたかったこと
朝ドラで話題! だれからも愛される“正義のヒーロー〟が誕生した背景には、何があったの? ノンフィクション作家・梯 久美子さんにお話を伺います。
今回の先生

▲ノンフィクション作家・梯 久美子さん
かけはし・くみこ/1961年生まれ。編集者を経て文筆業に。デビュー作『散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道―』(新潮社)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。ほかに『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ―』(同)など。
子供に大人気の作品に込められた「生きるのって悪くない」というメッセージ
さまざまな仕事を経験した〝困ったときのやなせさん〟
Oggi編集部(以下Oggi):まもなく、NHKで連続テレビ小説「あんぱん」が始まりますね! アンパンマンの作者・やなせたかしさんとその妻、小松 暢さんがモデルです。子供のころ、アンパンマンの絵本もテレビアニメも大好きだったので楽しみで…。梯さんは、やなせさんと一緒に仕事をしていらしたんですよね?
梯さん(以下敬称略):私はやなせさんが編集長を務めた、『詩とメルヘン』という雑誌で1980年代に編集者をしていて、その後もずっとおつきあいをさせていただきました。ちょうどテレビアニメが始まって、急速にお忙しくなっていった時期でしたが、いつも穏やかで、風のように軽やかな方でした。人に対して怒ったり声を荒らげたりするところは一度も見たことがありません。女性でも年下でも、だれに対しても「さん」付けで呼び、まったく偉ぶらないどころか、「僕なんて…」というどこか自信なさそうなところもあったくらい。仕事がとても早く、締め切りの1週間前にすべての原稿を終わらせていたのも印象的でした。
Oggi:アンパンマンは、比較的晩年の作品なんですね。
梯:アニメのもととなる絵本『あんぱんまん』を出版したのは54歳、アニメ化されたのは69歳のときでした。子供たちに大人気のアンパンマンには、実はやなせさんがそれまでの長い人生から得た、強い信念が詰まっているんですよ。
Oggi:さまざまな経験を重ねてきたからこそ、生まれた名作ということですか。
梯:はい。やなせさんが生まれたのは1919年の東京。新聞記者だった父親を5歳で亡くし、7歳のときに母親が再婚。高知の伯父の家に引き取られます。幼少期は、さみしさを抱えながらも、本を読んだり絵を描いたりして心を慰めていたそうです。18歳になると東京の大学でデザインを学び、卒業後は製薬会社で広告デザインの仕事を開始。でも1年足らずで徴兵され、日中戦争に出征。戦争が終わって中国から帰国したのは26歳のときでした。
Oggi:20代で戦争を…。
梯:やなせさんは2歳離れた弟の千尋さんを、戦争で亡くしています。成績優秀でスポーツ万能、性格もよく、やなせさんがコンプレックスを感じるほどだったらしいのですが、そんな弟が死んで、自分は生き残った。やなせさんは、その悲しみをその後の人生もずっと抱え続けることになります。
Oggi:無念だったでしょうね。
梯:戦後、地元の新聞社に入ったやなせさんは、職場でのちに結婚相手となる暢さんと出会います。28歳のときに先に上京した暢さんを追って東京へ。デパートの宣伝部を経て34歳で独立し、夢だったマンガ家を目指すも、鳴かず飛ばずで。テレビの構成作家から舞台の美術監督、ラジオドラマの脚本家、インタビューや映画エッセイのライター、詩人、作詞家、子供向けテレビ番組のマンガ講師まで、声がかかるままにさまざまな仕事を経験しました。
Oggi:多才すぎませんか?(笑)
梯:何しろ仕事が早いので、「困ったときのやなせさん」と重宝されて、頼まれると「なんで僕に頼むんだろう」なんてボヤきつつ、二束三文の仕事でも引き受けていたそうです。50歳のときには、「千夜一夜物語」というアニメ映画の美術監督として、巨匠・手塚治虫とも一緒に働いているんですよ。マンガ家としての成功にはなかなか結び付かなかったけれど、この時代に、ひとつひとつの仕事に手を抜かず真剣に取り組んだことで培われた人脈やスキルが、のちのアンパンマンの制作にも生きていくんです。
どんな時代や国においても変わらない正義とは?
梯:50代にさしかかるころ、やなせさんは雑誌に「アンパンマン」と題した短編小説を書きます。ひどく太っていて、だんご鼻で、ヨタヨタのヒーローが、空を飛びながらおなかをすかせた人々にアンパンを配る、というストーリーで、今のアンパンマンとは似ても似つかぬ、人間のおじさんが主人公でした。でも、この話にはやなせさんの戦争体験が色濃く反映されているんです。やなせさんは、戦時中、「これは正義の戦争で、日本は中国の人民を助けるために戦っているんだ」と教えられ、それを固く信じていました。しかし、日本が負けて終戦を迎えると、一転して日本軍は悪で、戦勝国である中国やアメリカが正義とされた。「正義とは、ある日突然逆転するものなのか」と大きな衝撃を受けたんです。
Oggi:国を信じていただけに、ショックが大きそうです。
梯:そこで「逆転しない正義とは?」と考え続けたやなせさんがたどり着いたのが、「飢えた人に食べ物をあげることは、少なくともどんな時代や国においても正義と言えるのではないか」という考えでした。
Oggi:まさに、アンパンマン!
梯:’73年に初めて『あんぱんまん』の絵本が出たとき、アンパンマンは自分の顔を食べさせるヒーローとして登場したのですが、当初、この〝自分の顔を食べさせる〟という描写は、大人たちから「気持ち悪い」「残酷だ」「グロテスク」と大ブーイングを受けたそう。しかし、やなせさんは、絶対に変えようとしなかったんです。
Oggi:どうしてでしょうか。
梯:やなせさんには、「正義を行うには自己犠牲が伴う」という信念があったからです。当時、スーパーマンが世界的に流行し、日本でもウルトラマンや仮面ライダーなどさまざまな特撮ヒーローが人気でした。彼ら〝無敵のスーパーヒーロー〟は戦いを終えても無傷で颯爽と飛び立っていきますが、実際の戦場では、勝った側の兵士も傷つき、無傷で戦いを終えることなどありません。だれかを助ければ、自分も傷つくリスクがある。それでも勇気を出して仲間を助ける〝世界一弱いヒーロー〟をやなせさんは描きたかったんです。
Oggi:確かに、顔を食べられてフラフラになったり、水に濡れて「もう力が出ない…」とベソをかいたり、アンパンマンにはちょっと頼りない面があるかも。
梯:さらに、戦後、中国から引き揚げたやなせさんは、九州の佐世保から汽車で高知へ帰る途中、原爆を落とされた広島をはじめ、多くの町が焼け野原になっているのを目の当たりにしました。故郷の高知も空襲で大きな被害を受けたのを見て、そのときの「町が壊れるのは絶対にイヤだ」という強い思いから、アンパンマンでは、戦いで町や森が壊れるようなシーンは描かれないんです。
Oggi:そう言われてみれば、他のヒーローものって、たいてい戦闘シーンでビルが倒壊したり、車が潰されたりしますよね。
梯:アンパンマンが剣や銃、光線を使うことなく〝アンパンチ〟、つまり素手のみで戦うのも、戦争を連想させるような描写を避けるためでした。「武器や戦争をかっこいいものと子供たちに思わせたくない」というやなせさんの思いが、アンパンマンの世界観には込められているのです。また、やなせさんは、「アンパンマンの顔は幼かったころの千尋に似ている」と話していました。若くして亡くなった弟さんが自分の心の中では生き続けているんだという思いを、倒れても何度でもよみがえるアンパンマンの姿に込めたのかもしれません。
大人たちから不評だったアンパンマン。それでも…

Ⓒやなせたかし

Ⓒやなせたかし
絵本『あんぱんまん』は、顔を食べさせるという設定や地味な色彩などが、いわゆる〝幼児向け〟とはかけ離れていたが、子供たちからは大人気。図書館では常に貸出中に。テレビ局のプロデューサーが息子の幼稚園で、手あかにまみれボロボロになった絵本を見て「これはいける」とアニメ化を決意。「10回以上断られても会社に企画書を出し続け、数年越しで実現にこぎつけたそうです」(梯さん)
つらいこともあるけれど…主題歌に込められた思い
Oggi:アニメ化は、最初から人気だったんですか?
梯:はい。日本テレビで「それいけ!アンパンマン」の放映が始まったのは、絵本の出版から15年後の’88年。「何をやっても視聴率2%」といわれる視聴率の取れない時間帯で、初回から7%という驚異的な視聴率を記録! またたく間にグッズができ、やなせさんの故郷高知県香美市のミュージアムをはじめ、各地に施設ができ、現在に至ります。
Oggi:テーマソングは、大人になった今でも口ずさめる、国民的な歌になりましたね。
梯:「アンパンマンのマーチ」の歌詞もやなせさんが書いているんですよ。歌の冒頭は「そうだ うれしいんだ/生きる よろこび/たとえ 胸の傷がいたんでも」。子供の歌なのにいきなり「胸の傷」なんて言葉が出てきてちょっとびっくりするんですが、両親との別れや弟の死を経験し、晩年になってアンパンマンをようやくヒットさせたやなせさんだからこそ、「生きているとつらく悲しいこともあるけれど、そんな思いもいつかは花開く。生きていることってそう悪くないよ」という子供たちへのメッセージを込めたのでは、と思うんです。
Oggi:歌詞にも、やなせさん自身の人生が重なっているんですね。
梯:個人的に注目しているのは、「なんのために 生まれて/なにをして 生きるのか/こたえられないなんて/そんなのはいやだ!」という部分。イヤなことはイヤと言うことが大切だという、やなせさんの強い気持ちを感じます。何かと空気を読むことが求められる社会ですが、納得できないことには我慢をしすぎず、声を上げる勇気を持ってもらいたいというメッセージが。
いよいよ放送開始! NHK朝ドラ「あんぱん」

やなせたかしと小松 暢(のぶ)の夫婦がモデル。あらゆる荒波を乗り越え、〝逆転しない正義〟を体現した〝アンパンマン〟にたどり着くまでを描く、愛と勇気の物語。行動力にあふれる勝ち気なヒロイン朝田のぶ役を今田美桜さんが、少し気が弱くて自信のない柳井 嵩役を北村匠海さんが演じる。NHK総合 毎週月~土曜午前8時ほか。
Oggi:朝ドラ「あんぱん」は、どんな点に注目していますか?
梯:主人公のモデルはやなせさんのパートナーである暢さん。暢さんはやなせさんのお仕事をサポートしながらも、「陰でひっそり支える」といったイメージとは違って、アクティブに自身の人生を楽しんだ女性でした。自分の体より大きなリュックを背負って3週間かけて北海道の山を登ったり、茶道の師範の資格を取って自宅でお茶を教えたりしていたそうですよ。
Oggi:かっこいい!
梯:やなせさんは、彼女のどんな状況でも希望を見出すポジティブなところにひかれたそうです。強くて自立した暢さんは、アンパンマンのキャラでいうとドキンちゃんのようなタイプ。ヒロインを演じる今田美桜さんも、どことなく顔がドキンちゃんに似ている気がして(笑)。ふたりの関係性がどう描かれるのか、期待しています。
Oggi:ドラマと併せて、評伝などでやなせさんの人生も照らし合わせながら、楽しみます!
やなせたかしの生涯

覚えておきたいキーワード
詩とメルヘン
やなせが編集長を務め、1973年に創刊された雑誌。読者から募集した詩や短編小説にプロの画家やイラストレーターが絵をつけた。休刊までの30年間、アンパンマンと並ぶやなせのライフワークとなった。
作詞家

やなせが作詞を手がけた中でもひときわ有名なのが、童謡「手のひらを太陽に」。42歳のやなせが深夜に仕事中、ふと懐中電灯を手のひらにかざし、流れる血の赤さに励まされたことから詞が生まれた。作曲はいずみたく。
千夜一夜物語
’69年公開の大人向けアニメーション映画。手塚治虫原案・制作総指揮。美術監督を務めたやなせは、手塚の横でアニメの制作手法を学び、キャラクターをデザインする面白さに目覚めた。
評伝

『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文藝春秋)は、20代のころやなせ氏のもとで編集者を務め、晩年まで親交を持ち続けた梯さんが、綿密な取材を重ねて書き下ろした新著。知られざるエピソードとともに、暗闇の中でも光を信じて歩き続けた生涯を描く。
※掲載している情報は2025年3月12日のものです。
〈TOP画像〉写真提供:やなせスタジオ Ⓒやなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV
2025年Oggi5月号「Oggi大学」より
イラスト/八重樫王明 構成/中村茉莉花、酒井亜希子(スタッフ・オン)
再構成/Oggi.jp編集部