“日本人のあたりまえ”が生きづらさの原因に!?
日々、なんとなく生きづらさを感じているという人は少なくないはず。それにはさまざまな背景があると思いますが、日本人の“あたりまえ”が原因になっている可能性が……!
「“日本人のあたりまえ”はわかりやすい例でいえば、『本音と建前』『察する(空気を読む/暗黙の了解)』『周りと合わせる』『極端に人の目を気にする』など。
日々日本で診療をしていると、これらは優れた社会スキルとして機能している反面、しがらみとなり、日本人の心の不調や生きづらさの原因となってしまっていることが、多いのに気づかされます」
————そう語るのは、イタリア人精神科医のパントー先生。パントー先生は、イタリアと日本の医師免許を取得。今は日本で日々精神科医として診療(カウンセリング)などをしているそう。
そこで、パントー先生の著書『イタリア人精神科医 パントー先生が考える しあわせの処方箋(Tips)』より、イタリア人(外国人)そして精神科医の視点から、カウンセリングを通じて見えてきた、日本人の心の特性や日本特有の文化についてご紹介。
計4回にわたる連載を通して、日本社会で暮らしながら、どうすれば日本人はもっとしあわせになれるのかについてのヒントを探っていきます。
※書籍より一部引用・再編集してお届けします
「恋愛」をもっと楽しむために
恋は「頭」ではなく、「心」で経験するとよく言われています。日本人は心で恋愛しているといえるのでしょうか。
人を無駄に競争の対象にしない
条件付きの恋愛を極端に求めると、恋愛が成立しても利益をもたらす条件がなくなれば保つことができなくなります。
また条件付きの恋愛を徹底すれば、人口の1%程度しか、パートナーができなくなってしまうでしょう。
経済的に裕福で、社会に認められた美貌、能力などを持っていない人は、恋愛の適性がないという残酷な世界になります。
家庭を築くには相手の経済力など、実用的な側面を考慮しなければいけないことは否めません。
ですが、そればかり見て、相性の良いパートナーを見つけられるでしょうか。
基準を満たすパートナーを探すのと、好きなところを持つパートナーを探すのは、何が違うのでしょうか。
この違いは、簡単にいうと定量(quantity)と質(quality)の違いに、たとえられます。
定量で相手を評価する場合は、どうしても数字がけじめをつけることになり、勝ち負けの勝負になります。
たくさん持つ者が勝ち、少ないものが負ける。
本質的な価値ではなく、そのプラスとマイナスの合計数により相手の尊厳が左右されるからです。
逆に質で人を評価すると、勝ち負けだけではなく、人それぞれ自分なりの何かで勝てることになります。つまり項目の量の多さではなく、項目それぞれの特徴が評価されます。
何より質の一番の良いところとして、「比較対象」がないことが挙げられます。
比較対象がないからそこで、負けることもない。モテても、モテなくても、人を無駄に競争の対象にしない。
婚活マーケットで定量的に評価されると、個人個人の間に過剰な比較傾向が生じ、競争に苦しむ人たちが生まれてしまう。
逆に恋愛の現場に質を重要視する社会は、ダイバーシティで人に価値をつけ、個人個人それぞれの特徴がプラスとなります。
人の価値を数字化してしまうリスクも、少なくなるでしょう。
「モテ」と「非モテ」―インセル文化
日本の恋愛現場、「モテ」と「非モテ」―つまり恋愛版の勝ち組と負け組の隔たりは深いものです。
「非モテ」の烙印は、本人の自信と自己効力感を蝕む呪いになります。
「売れ残り」になりたくない衝動にかられて、男性は35歳、女性は30歳の賞味期限が切れる前に、相性の良さを十分に確かめていないパートナーと、誓いを交わすことも珍しくないでしょう。
また、男性の場合は自信不足で、「モテない」と思い込んでしまうケースも珍しくありません。
こういった思い込みは、どのような心理的リスクがあるでしょうか。
文化比較はここでも役に立ちます。
アメリカで最近研究されはじめた、インセル(Incel)文化を紹介したいと思います。
「インセル」とは「Involuntary Celibate(非自発的独身)」の略で、インセルのコミュニティは、恋愛や性的関係を得るのに苦労する個人(ほとんどが若い男性)からなります。ほぼ完全にオンライン上に存在するとされています。
研究者によると、インセル・コミュニティのメンバーは通常、自分たちの恋愛と性的な経験のなさを女性のせいにし、そのため一部のインセルは、女性に与えられたと思われる被害に対する報復として、女性に対する暴力行為に及んでいるといいます。
インセルのイデオロギーによると、恋愛パートナーを見つけられない男性たちは遺伝的に決定された身体的外見の不備が主な原因で、女性や社会から孤立に追い込まれています。
インセルの男性たちは、女性から拒絶される人生を送ることになるという信念が強く、将来に対して否定的な見方を持つことが多いようです。
また、殺人、暴行など女性に対して犯罪を犯すケースが多々あるといいます。
「質」の観点から自分を見よう
インセル文化の教訓とは何でしょうか。
モテと非モテを決めつける社会は、特に男性の自尊心を傷つけるリスクがあります。自己嫌悪に堕ちる男性たちが、自分と他者に暴力を加えるリスクも否めないでしょう。
モテる男性は、イケメンつまり見栄えのする見た目で、稼ぎが多い、強い、さりげないかっこよさ、そのうえに、相手のことを思いやるほどの優しさもある程度要求されています。
モテる女性は若い(幼さ)、かわいい、男ほど稼ぎが良くない、ちょっと不器用、いろいろ男性に頼り、経済的にも弱い。
この定番の「モテるセット」―どう考えても器は狭いでしょう。
競争を煽るだけで、自身の固有性を育てるよりも、「どうやってモテる、どうやって勝ち組になる」という不健全な意欲を湧かせるリスクがあります。
筆者からすると、モテたいというより、愛されたい願望についてくる自問は「どうやってモテる」のではなく、「どうやって個人を表現できる、どうやってありのままの自分を、受け入れられるようになれる?」という質問です。
愛されたい欲求を満たすには、まず自分自身を認める必要があります。
モテはセット売りみたいなものです。すべて揃わないと満足できないし、効果も得られないですね。
ただ、自分を受け入れる、認める、愛するのは定量の話ではなく、質の話です。
一つでも自分の見た目、性格、特別に好きなところ、他の人と比べて唯一無二の部分を見つけましょう。
「ええー! 私は絶対そういう特徴を持っていない」と思うかもしれません。これまで意識していなければ、そう思うのも無理のないことです。
その場合、周りにいる友人、家族に「私の特徴といえば何だと思いますか」と聞いてみてください。
自分なりに一つでも「質」を見つけましょう。
すると、健全な自己愛を育てることができます。愛を見つけるには、そのコアになっている自身の「質」を認めてくれる人を、見つけることです。
***
TOP画像/(c)Adobe Stock
『イタリア人精神科医 パントー先生が考える しあわせの処方箋(Tips)』(パントー・フランチェスコ 著/あさ出版)
私たちは皆、幸せになりたいと願っています。しかし、異なる文化のレンズを通して観察すると、多くの理論家が最も普遍的な感情と考えている幸福でさえ、独自のニュアンスを持っていることに気づきます。
幸せは十人十色、つまり個人によります。それと同時に住む文化によって、異なる可能性があるのではないか――。
ある国(文化)の中で生きていると、それが「あたりまえ」となり、実は「世界的に見るとかなり変わっている」ということが、少なくありません。
いわゆる「カルチャーショック」ともいわれるものですが、日本は古くからその筆頭格ともいわれる国であり、その文化やそれにもとづく国民性について、かなりの研究がされてきました。
わかりやすい例でいえば、「本音と建前」「察する(空気を読む/暗黙の了解)」「周りと合わせる」「極端に人の目を気にする」などですが、優れた社会スキルとして機能している反面、日々診療(カウンセリング)をしていると、それらがしがらみとなり、心の不調となってしまっている日本人が多いことに気づかされます。
日々、日本で診療をしている、イタリアで生まれ育った精神科医が、カウンセリングを通じて見えてきた「日本人の心の特性」「日本文化の特有性」そして「日本社会で暮らしながら、どうすれば日本人はもっと幸せになれるのか」について、外国人・精神科医の視点からまとめた1冊。