バスケットボール選手・富樫勇樹さんインタビュー
◆富樫勇樹さん( バスケットボール選手/千葉ジェッツふなばし )
《profile》
1993年生まれ、新潟県出身。Bリーグ・千葉ジェッツふなばし所属。ポジションはポイントガード。2012年にプロキャリアをスタートさせて以降、新人賞獲得やNBAチームとの契約など華々しい結果を残す。’20-’21シーズンには、キャプテンとしてチームを初のBリーグ年間チャンピオンに導く。’21年の東京2020オリンピック、’23年のFIBAバスケットボールワールドカップ2023に出場し、中心選手として活躍。身長167㎝。
バスケットボール界のエースが心に秘めるパリ五輪への想いとは
自身のキャリアの集大成としてバスケ界の飛躍に懸ける
2023年9月2日、日本スポーツ界の新たな歴史の扉が開いた。
「僕個人のことは置いておいて、日本のバスケットボール界において五輪に出続けることはかなり意味のあることだと思っていました。
自信はそれなりにあったけど、出場が決まった瞬間はホッとしたのを覚えています」
これまで40年以上も自力でつかむことのできなかった五輪への出場権を得たときの素直な気持ちを語るのは、日本屈指のポイントガード・富樫勇樹選手だ。
富樫選手と言えば、本来なら弱点となる167cmという小柄なサイズを武器に変え、抜群のスピードと高確率のシュート、そして何よりも強い意志で大きい相手とも対峙し、凌駕してきた。
長い合宿期間の仲間と過ごした時間
「W杯は合宿期間が長く、周りの選手とコミュニケーションをとる時間が長かったんです。そこでチームとして同じ方向をむけたのがよかったかなと思います。
ごはんも基本は選手たちと。僕はほぼ毎日(渡邊)雄太と外食していたんですけど、そこに比江島(慎)や原(修太)、馬場(雄大)がたまにやってきたり、若手の河村(勇輝)や富永(啓生)を連れて行ったり…」と、オフの時間でも自然とチームをリードしていた様子がうかがえる。
「たとえ可能性が1%だったとしても、勝利を引き出す実力が今の代表にはある」
“W杯”の盛り上がりと次の“五輪”
激動のW杯が終わると、SNSにはアメリカでNBAを観戦している様子がアップされた。
「(八村)塁からも〝よかったね〟と声をかけてもらいました。
W杯の盛り上がりを見て、次の五輪はなんとしても出たいと強く想っている選手はたくさんいると思うので、まずは自分も再び代表のユニフォームを着られるよう頑張りたい。
今個人的に期待しているのは、Bリーグの同じチームでプレイをしている金近(廉)選手。W杯ではギリギリで代表メンバーから外れてしまい、悔しい想いをしているのを知っているので、ミスを恐れずにトライして欲しいと、今僕が教えられることを全力で伝えています」
いちばん大事なのは“メンタルを保つ”こと
今回撮影クルーがチームの練習に密着して驚いたのは、ひと回りもふた回りも大きな選手を目の前にしても臆することなく、平然とやってのける姿だった。試合で身構えたりすることはないですか?と尋ねると「ないですね」と、なんともあっさりした回答が。
「スポーツ全般に言えることですが、いちばん大事なのはメンタルを保つことだと思うんです。もちろん最低限の技術は必要ですが、メンタルは本当にプレイに大きく影響を与えるので、自信を失わないように心がけています。
バスケはチームスポーツなので、仮に自分が悪かったとしても自分ひとりのせいで負けたとは思わないし、それはメンバーに対しても同じように思います。ストレスもプレッシャーも責任も、極力感じすぎないように意識していますね」
クールなプレイスタイルとブレない心は、こうしてつくりあげられてきた。
W杯での自信を胸に、パリ五輪へ
そんな富樫選手も今年で31歳を迎え、バスケットボール界では〝ベテラン〟と呼ばれる年齢に。パリ五輪を自らの代表キャリアの集大成として見定めている。
「W杯で負けたのがドイツとオーストラリアの2か国なんですが、パリ五輪出場国はすべてがこのレベル。正直、日本は3つくらいレベルをあげていかないと対等に戦えないのではと思っています。
だけど僕たちはW杯で3勝できたという自信もある。この自信を胸に、まずはトップ10に入っているチームをひとつ倒して、世界を変えていきたいです」
2024年Oggi3月号「強い存在」より
撮影/ISAC(SIGNO) 構成/大椙麻未
再構成/Oggi.jp編集部