キャンプギアクリエイター/アウトドアメーカー経営者・小杉 敬さん インタビュー
経営の理論に苦しんだ日々。長く挑戦できずに生きてきたけれど、全部やろうとしなくていい
新潟で生まれ、幼いころから山で遊ぶのが日常でした。デザインを学んだ後、大手アウトドアメーカーに就職したのですが、何を隠そう、この会社には3回入社しています。
製品開発に配属されたものの、最初は正直、いい加減に働いていたなと思います。でも、熱意ある上司に恵まれて、製品設計や社会人の基本を教わりながら、徐々に仕事に責任感が芽生えていきました。
ただ、それに伴って「会社っていったいなんなんだ?」と考え込むように。20代でまだ社会がわかっておらず「どうしてここまで利益を追求するのか」とか「釣り事業は魚を弄んでいるんじゃないか」など、一事が万事なので処理しきれずうつになってしまって。一旦離れようと26歳で退職を決めました。
◆デザイナーとしてキャリアを積んだ2、30代
その後は主に紙媒体のデザイナーとして他社でキャリアを積み、7年。グラフィックはある程度探究でき、改めて製品開発の面白さを思い出していたころ、ちょうど元の職場から「戻ってこないか?」と誘われ、30代前半で2回目の入社。
一から学び直すつもりでしたが、慣れない管理職になりまして。2年ほどで体調を崩したことから、次は個人事業主のデザイナーとして独立することにしました。小規模ながら数年続けてみると、ビジネスというものが見えてきた。
「今なら経営の論理の中でも、うまくやれるのかな」と考えていたところに、また前職から声がかかったんです。社内の人とはデザインの仕事でゆるやかにつながりを維持していたこともあるのですが、不思議なタイミングもあるものだなと。
3度目の入社時は「超スーパーサラリーマン」(笑)。「どんどん仕事をください!」という姿勢で、経営者が何を求めているかを理解し、先回りして成果を出すことに専念しました。
◆取締役兼企画本部長に就任、組織運営の苦悩
まもなく取締役兼企画本部長に就任。年間約100アイテムをディレクションし、かつてあれほど組織で働く苦しさにもがいていたのに、「簡単だな」と感じたほど。けれど、トップの言葉をそのまま伝えてもチームは動かないもの。
かみ砕いて実務に落とし込み、メンバーにとって不満があれば、「それを解決する方法でやりたいことを形にしよう」と示すことを心掛けました。その結果、組織がうまく回るようになって、メンバーの帰属意識も向上。業績も目に見えて伸びていきました。
このまま経営陣として会社に残るのか、いざ先々の現実が迫ってきたときに考えたのは、先人のスタイルを踏襲するだけなら自分が成長する余地はないということ。
もし自分で事業を手がけるなら、経済的な成功のためではなく、素直に人のためになることをやりたいと思ったんです。それはお客さんや社員だけでなく、地域の方々や業界に対しても。
40代でアウトドアブランド『ゼインアーツ』を立ち上げる
◆いいものを適正価格で提供して、多くの人たちにアウトドアを楽しんでもらいたい
「あなたがいてくれてよかった」と言ってもらえるような存在になりたい。その思いで退任を決意し、2018年、45歳のときに長野県松本市に移住して立ち上げたアウトドアブランドが、『ゼインアーツ』です。
アウトドア業界は30年近く限られた企業だけで市場が成り立ち、特にキャンプ用品の価格がどんどん上がっていることに疑問を感じていました。15万円以上のテントも珍しくない。
とにかくいいものを適正価格で提供して、多くの人たちにアウトドアを楽しんでもらいたいなと。でも、ただ安いだけではダメで、価格、品質、デザイン、機能、すべてを両立させたい。
高機能に藝術性を加えると一気に難易度が上がるんです。時間はかかっても少数精鋭で余分な経費を抑え、妥協せずに製品をつくろうと。
信念を込めた第一弾プロダクトのワンポールテント『ゼクーM』の定価は税込8万円台。予測をはるかに超える注文をいただきました。
◆海外の工場から「もうできない」の言葉、目の前が真っ白に
ところが、量産体制に入る直前、信頼していた海外の工場から突然「もうできない」という衝撃の言葉が。目の前が真っ白になりました。家族も巻き込み、全財産をはたいて崖っぷちで始めた事業。
新規参入に障壁はつきもので、念入りに関係を築いてきたつもりでしたが、先方にとっても不測の事態。人生終わった、すべての人に申し訳ないという気持ちでしたね。
ただ、初回オーダーはもう契約済みでしたから、その分だけはなんとかつくってもらうことに。あきらめきれずにさまざまな国へ出向き工場を探したんですが、納得できる品質のところは見つからない。
絶望的な気持ちで日本に戻ってきたとき、取扱店の方から予期せぬメールが来ていました。「予約した分は完売してしまったので、次のオーダーをお願いしたい」と。
同様の問い合わせが続々と入り、注文が倍々で増えていく。工場側に再交渉すると「こんなブランドはほかにない!」と生産続行を決断してくれて。ずっと生きた心地がしなかったけれど、やっと妻にも報告することができました。
◆社員にはとにかく自分の好きなこと、得意なことを高めてほしい
振り返ると、幼少期から学校の勉強が苦手で、自分のことを何もできないやつだと思い、長くチャレンジできずに生きてきたんです。
でも、自分が没頭しているアウトドアのことだけはスラスラ話せて、メモなしでも記憶できるし、人に喜んでもらえるものをつくることができた。全部やろうとしなくていいんですよね。
だからこそ、社員にはとにかく自分の好きなこと、得意なことを高めてほしいと伝えています。会社員時代は、部下から「また怒ってる」と言われていたので(笑)、大きな変化ですね。
◆「座して半畳、寝て一畳」ムダなものをつくらないという戒めに
座右の銘は、社名の由来にもなっている「座して半畳、寝て一畳」という禅の言葉。必要以上のものを望まず、満足することが大切だという教えですが、僕の趣味でもあるクライミングの世界は、禅の精神性と通ずるところがあって。
雑念を払って集中していないと、死と隣り合わせに。ものづくりの商売なので、「ムダなものをつくらない」という自分の戒めとしても心に刻んでいたいと思っています。
これまでもこれからも目指すのは、今ある社会や業界の問題をちゃんと抽出して、即時的に解決するプロダクト。革新的だからといって世のためになるとは限らない。
マーケティングデータを闇雲に信じると、目の前のお客さんの感覚とずれてしまうと痛感していて。キャンプ場に足を運んで実際にキャンプをして、取扱店さんに会ってお話をする。その基本を信じています。
◆まだ道半ば。今後も地域に貢献していきたい
仕事を続けてきて純粋にうれしいのは、「ゼインアーツの道具でキャンプを始めて、人生が豊かになった」という声を聞いたとき。
でも、僕はまだ道半ばなので、本気で喜んで安心できる瞬間はまだ先なんじゃないかなと。2023年には、地元企業や環境省、自治体と協力し、つくり手と愛好者が交流するイベント『アルプスアウトドアサミット』を始動しました。
世界に誇る松本の自然を多くの方に知っていただき、今後も地域に貢献していけたらと思います。
『ほぼ日』とコラボ! 美しきワンポールテント『kohaku』が2024年に誕生
『ほぼ日』の新キャンププロジェクト『yozora』で、小杉さんがテント開発に参加。有機的で美しいワンポールの正統派で、夜に明かりを灯せばオレンジに光る。琥珀のようなその様子から『kohaku』と名付けられたとか。2024年1月下旬に、オンラインの『ほぼ日ストア』にて予約受付開始!▶︎公式HP
2024年Oggi1月号「The Turning Point〜私が『決断』したとき」より
撮影/石田祥平 構成/佐藤久美子
再構成/Oggi.jp編集部
小杉 敬(こすぎ・けい)
1972年、新潟県生まれ。幼少期からキャンプや登山を嗜む。高校卒業後はデザイン専門学校へ進み、1993年に大手アウトドアメーカーに就職。製品開発を手がけ、担当商品が次々とグッドデザイン賞を受賞。2018年、長野県松本市を拠点とするブランド、『ZANE ARTS(ゼインアーツ)』を創業。2019年に発売したテント『ゼクーM』が予約時点で完売。シンプルながら自然と調和するデザインの美しさと手ごろな価格から一躍業界の注目を集め、今最も手に入りにくいブランドに。タープやチェア、ランタンをはじめ、さまざまなアイテムも展開。
公式HP:https://zanearts.com/