不動産仲介会社経営者・鮎川沙代さん インタビュー
スーツケースひとつで上京、芽生えた不動産業界への不信感。どんな人の住まいも全力で探したい
高校を卒業後、1年は健康食品会社の研究開発部署で事務職の正社員として勤め、以降10年ほどは地元から近い福岡でフリーターとして生活していました。
最初は好きなことや興味のある業種をひと通り経験したいという思いでしたが、20代後半になって人生プランを考えるようになったときに、家族や友人など大切な人に将来何かあったら支えられる人になりたいなと。
お金や時間を自分でコントロールできるポジションにつきたいけれど、経済力や地位では自分の喜びを見出すことはできない。
人の役に立つことが原動力なんだという自覚はあって、学歴もキャリアもコネもない私には、「経営者になるのが近道だろう」と思い至りました。
◆東日本大震災をきっかけに、雇用をつくるため東京へ
ちょうどそのころ起きたのが、東日本大震災です。税理士事務所で働いていたのですが、何か力になりたくても九州にいながらできることは限られているし、寄付できるお金もわずか。
だったら、「東北に近くていちばん大きい経済圏である東京で、雇用をつくろう!」と、スーツケースひとつで上京しました。でも、いざ家を探そうとしたら、「28歳で職なし、家も東京にはなし」の私には借りられる物件がなくて。
◆不動産会社への不信感から、自ら仲介業の立ち上げへ
まずはアルバイトを探し、ネットカフェで寝泊まりすること2ヵ月。なんとか電話営業の仕事を見つけて不動産会社を訪れると、物件資料は出してもらえたものの、ひどい2件とややマシな1件(笑)。
マシな1件は相場より割高でしたが、土地勘もなく家賃が1ヵ月分無料だと言うので、すすめられるまま契約することにしました。
いよいよ本契約となった前日、不動産会社の担当から「家賃の無料特典はついていなかったので、足りない8万円を現金で持ってきてほしい」とまさかの連絡が。
ここで断ったら、また家なし生活が続いてしまう… と思い、渋々お金を払いました。このときの不信感が、2012年に不動産仲介業を行う『エドボンド』を立ち上げることになったきっかけです。
不動産仲介業を行う『エドボンド』を立ち上げ
ずは女性スタッフを数名採用し、広告は一切出さず、口コミとご紹介だけでやっていくと決めました。小さな店舗で広告に頼ると、利益率が下がってサービスがおろそかになりがち。
また、不動産業界の営業は初回の受付から契約までひとりで担当し、歩合制が基本でしたが、これでは給料を上げるために深夜残業や休日出勤をしてまで無理をしてしまう。
◆安心して働けるように給与システムや働き方を工夫
お客様とスタッフ双方によくないので、適切な固定給を払いつつ、社内全体の売り上げを全員に分配するスタイルにしました。
安心して働くことができ、みんなで協力して契約が決まればやりがいになります。残業は年に計2時間あるかどうか、休暇もしっかり取れます。
そうすると、自発的に営業に出ていきますし、スタッフ自身が好きでやっている仕事だと伝わると、お客様から信頼されてリピートやご紹介も増えていく。好循環が生まれます。
もちろん初めからうまくいったわけではなく、経営や財務について無知でしたから、創業から3年は無自覚に火の車。徐々に学んで、オフィスや社用車などを身の丈に合った規模に変えていきました。
助けになったのは、上京直後のネットカフェ住まいだった時期に街のあちこちで話しかけて知り合った人や、電話営業バイトで担当したクライアントさんとのご縁。
引っ越しやオフィス移転など折々で相談してくださり、今でもおつきあいが続いています。
◆どんなお客様も自分たちからは断らない
会社としてもうひとつ決めていたのは、「どんなお客様も自分たちからは断らない」ということ。
不動産会社は、収益構造上どうしても家賃が高いお客様を優先してしまう傾向があります。でも、私たちは「社会的立場の弱い人のお住まいも、全力で探します」というポリシーでやってきました。
お客様にはシングルマザー、生活保護を受けている方、障害のある方などもいます。関連NPO職員の方々と一緒に取り組んでいますが、苦労して物件を見つけてもほぼ無報酬という案件もあります。
それでも、住まいが見つからなければ明日の衣食も満たせなくなってしまう方を支援できるのは、経営者だからこそだと思っています。
◆高齢者の賃貸住宅問題を解決する仕組み作りを
ただ、高齢者の方が賃貸住宅を借りづらいという問題は、気合いと根性では解決できないと気づいたのが2015年。
80代のあるお客様に「どうしても見つかりません」と断らざるをえないということがあり、ショックでしたね。さまざまなオーナーさんに事情を聞くと、「65歳以上は、孤独死のリスクがあるので貸すのは避けたい」と。
実際、孤独死は負担が大きく、家賃5万円の1Kでも原状回復に少なくとも数十万円かかり、資産価値が下がる上、警察対応もしなくてはなりません。
孤独死が起きない、もしくは死後発見が早くなる仕組みづくりが必要だと考えるようになりました。
人間の最期は、悲しいだけじゃない。子供や若者が安心して年をとれる社会に
一方で、オーナー目線ばかり気にしている自分に気づき、お客様である高齢者をもっと知るべく勉強を開始。
◆自立支援型の介護施設に通い知識を深める
協力を依頼したのが、後に『ノビシロ』の取締役になる加藤忠相です。加藤が湘南で運営する『あおいけあ』は、国内外から視察が絶えない自立支援型の介護施設。
ここに通い、訪問診療を行う医師や看護師、介護用品の開発者、厚労省の福祉担当の方などに話を聞きながら、人生最期の5年、10年における心境や生活環境で大事なことは何か、高齢者への知識とサービスのヒントを深めていきました。
約4年のリサーチや見守り施策の試行錯誤から、終末期を迎えて看取られるまでの暮らしがイメージできるようになり、アパートとコミュニティスペース・地域医療拠点が一体となった、多世代型高齢者住宅『ノビシロハウス』を構想。
2021年3月にオープンを迎えることができました。
90代から10代までが安心して暮らせる住まい『ノビシロハウス』
鮎川さんが神奈川県藤沢市で企画・運営する一棟型の多世代コミュニティ住宅『ノビシロハウス』。好評を受け、コミュニティ拠点から徒歩圏内の既存アパートやマンションから、個室単位で借り上げて入居者に提供するサービスをスタート予定! 空き家や空き部屋を活用しながら、地域とのつながりを推進していく。
◆〝ソーシャルワーカー〟の制度を導入
年齢制限はなし、最大の特徴は、若者が安価な家賃で入居できる代わりに高齢者の見守り役を担う〝ソーシャルワーカー〟の制度です。
月1回、入居者のお茶会を主催し、日常の挨拶で声かけを行ってもらっています。
決めごとはそれだけなのですが、住人さん同士で世代を超えて一緒にお買い物やカラオケに行ったり、料理を教えてもらったり。「本当にここに住んでよかったよ!」「もっと大規模にやって」というお声をいただいてうれしいかぎりです。
この2年の間には、看取りも経験。ご家族だけではなく、住人や併設施設のスタッフも一緒に見送り、背景にある各々とのストーリーも知ることができました。
◆人間の最期は悲しいだけじゃない
人間の最期は悲しいだけじゃない、温かいものなんだと、10代の人も体験できたのではないかと。いつかだれかの死に立ち会う場面が来たときに、ここでの体験が活きてくれたらいいなと思いますね。
この先も、子供や若者が安心して年を重ねていける社会をつくるため、力を尽くしていきたいです。
2023年Oggi12月号「The Turning Point〜私が『決断』したとき」より
撮影/石田祥平 構成/佐藤久美子
再構成/Oggi.jp編集部
鮎川沙代(あゆかわ・さよ)
1982年、佐賀県生まれ。エドボンド代表取締役、ノビシロ代表取締役。福岡で多様な業種を経験後、東日本大震災を機に「雇用を創出したい」との思いで上京。2012年4月、不動産仲介会社『エドボンド』を創業。親身なサービスで業績を伸ばす一方、高齢者が部屋を借りにくい実態を知り、2019年9月に高齢者の住まいをサポートする、株式会社ノビシロを設立。2021年3月に高齢者が安心して暮らせる賃貸住宅『ノビシロハウス亀井野』をオープン。『アジア太平洋高齢者ケアイノベーションアワード2023』にて、先進事例として『Trailblazer of the Year』を受賞。