リンカーンといえば、「人民の人民による人民のための政治」という名言を残したことで有名ですよね。しかし、「そもそもリンカーンってどんな人?」「何をした人?」と、その人物像や経歴について詳しく話せる人は少ないかもしれません。そこで当記事では、リンカーンの生涯や彼が残した名言の数々を紹介します。
リンカーンとは?
まずは、リンカーンの軌跡について一緒に見ていきましょう。
貧しい農夫の家で生まれる
リンカーンは1809年に、開拓農民であった父・トーマスと母・ナンシーの第二子として、ケンタッキー州にて生まれます。ちなみに、リンカーンの本名は「Abraham Lincoln」といい、ファーストネームの「Abraham(エイブラハム/アブラハム)」は、トーマスの父の名前からとって、名付けられたものです。
その後、リンカーン一家はケンタッキー州から、奴隷制度のない自由州・インディアナ州へと移住。奴隷制度のある州とない州、その両方で暮らした経験は、後のリンカーンの政治活動に大きな影響を与えることになったといわれています。
職を転々とした後、政治家へ
その後、一家はさらに西のイリノイ州へ。リンカーンは、川舟乗りや雑貨商、郵便局長、測量技師など、数々の職を経験しました。やがて町の有力者たちの後押しもあり、政治活動を開始し、1834年にはイリノイ州の下院議員に選出されます。この頃には独学で法律を勉強し、1837年には弁護士業も始めました。1846年には合衆国下院議員を務めますが、その後しばらく政治の世界から遠ざかっています。
1854年に奴隷制を擁護する「カンザス・ネブラスカ法案」が出されると、それを反対する立場で政界に戻ることに。1858年、民主党のS.A.ダグラスとの公開討論会では「分かれたる家は立つことあたわず」という演説を行い、「自由州と奴隷州が入り混じっている状態では、国の存続はできない」というメッセージを伝えます。
第16代大統領に就任するも、南北戦争が勃発
選挙は敗北に終わったものの、リンカーンの名は全国に知れ渡りました。そうして2年後の1860年、ついにリンカーンは大統領選に勝利。翌年には、共和党初の大統領(第16代)に就任しました。
しかし、リンカーンの当選は南部の奴隷州の反感を買ってしまうことになります。南部諸州は連邦の離脱を宣言し、アメリカ連合国を建国。これをきっかけに、アメリカの北部と南部が対立する南北戦争が始まります。戦争中の1863年、リンカーンは「奴隷解放宣言」を公布し、1864年には大統領に再選。翌年の1865年には、南軍が降伏し、4年続いた戦争がようやく終結したのです。
56歳という若さで、人生の幕を閉じる
南北戦争は北軍の勝利で終わったものの、リンカーンに悲劇が起こります。それは、戦争が終わった5日後のこと。ワシントンD.C.のフォード劇場にて観劇をしていた時、南部出身の俳優J・W・ブースに撃たれてしまうのです。リンカーンは国の再建を見届けることなく、翌朝、生涯を終えました。
リンカーンが残した有名な言葉とは?
リンカーンが残した最も有名な言葉といえば、「人民の人民による人民のための政治」でしょう。英語の原文は、「government of the people, by the people, for the people」です。この名言は南北戦争の激戦地であったペンシルベニア州のゲティスバーグで、リンカーンが行った演説の中の一説。
演説は、アメリカ独立時に掲げられた「全ての人間は生まれながらにして平等であること」という建国理念に触れることから始まります。そして、「人民の人民による人民のための政治」という言葉で締めくくり、民主主義の理念を強く訴えました。
ちなみに、演説自体は2分程度のものだったそう。短い演説の中で、今もなお語り継がれている名言が残されたとは意外ですね。
リンカーンの名言を紹介!
貧しい家の生まれであったものの、ついには大統領にまでのぼりつめ、奴隷解放宣言や南北戦争の勝利など数々の偉業を成し遂げたリンカーン。「人民の人民による人民のための政治」という言葉以外にも、彼は数々の名言を残しています。ここでは、心に響くリンカーンの名言をいくつか紹介しましょう。
1:「Determine that the thing can and shall be done, and then we shall find the way.(できる、やると決断すること。方法はその後で見つけるのだ)」
何かを行う前には、事前にやり方を調べて、自分にはできないと思って足踏みしてしまうことがありますよね。そして悩んでいるうちに、タイミングを逃してしまうことも。ですが、リンカーンは実現する方法に考えを巡らすよりも、まずは「やる!」と決意することが大事だと言っています。
決して恵まれた環境で育ったとはいえないリンカーン。ですが、後に大統領として国を率いるまでの偉大な政治家となった彼の言葉には、やはり大きな説得力があります。
2:「Most people are about as happy as they make up their minds to be.(ほとんどの人は、自分が決意した分だけ幸せになれる)」
幸せになろうと努力しても、思うような結果が得られないだろうと諦めてしまうことがあります。しかし、幸せの度合いは自分で決められる、そして決意した分だけ幸せになれるんだと思えたら、希望が持てますね。
3:「I will prepare and some day my chance will come.(準備しておこう。チャンスはいつかやってくる)」
南北戦争の最初の頃、北軍は劣勢だったそうです。そんな中でもリンカーンは、「奴隷解放宣言」の準備を行い、1863年に交付。翌年には大統領選に再選し、最終的には戦争にも勝利します。どんな状況下でも、いざという時のための準備を怠らないことの大切さを教えてくれる言葉です。
4:「The person providing for own improvement should have no time when he quarrels.(自分自身の向上を心がけている人は、喧嘩する暇がないはずだ)」
自分に集中している時は、不思議と周りのことが気にならなくなるもの。逆にいうと、誰かと喧嘩したり、周りや環境への不満や愚痴が増えたりする時は、やるべきことに集中できていないのかもしれません。
5:「You cannot escape the responsibility of tomorrow by evading it today.(今日、責任を逃れることができても、明日は責任を逃れることはできない)」
たとえ今日うまく責任逃れをできたとしても、結局その責任からは逃げることはできない、ということを伝えている言葉です。自分がしたことは、自分で責任を負うしかない。このことを心に留めると、一つひとつの行動に重みが感じられるのではないでしょうか?
最後に
「奴隷解放の父」とも呼ばれ、数々の偉業を成し遂げたリンカーン。「人民の人民による人民のための政治」という名言は有名ですが、いろいろな職を経験したこと、幼少期には満足な教育を受けられなかったものの、独学で弁護士になったことなど、初めて知ることも多かったのではないでしょうか?
挫折と成功を繰り返した彼が残した言葉には、重みと説得力を感じられます。人生に迷う時、壁にぶちあたった時に、ぜひ読み返してみてください。
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