なぜエスカレーターでの立ち位置は東京と大阪で違うの?
エスカレーターでの立ち位置は東京は左、大阪は右ってご存知ですか? どうして違いがあるのでしょうか。今回はエスカレーターの立ち位置の違いに迫ります。
◆エスカレーターは日本橋の三越呉服店に初登場
日本にエスカレーターが初めて設置されたのは、1914年の日本橋の三越呉服店(現在の三越百貨店)。1923年の関東大震災で被災してしまい、残念ながら現在は日本初のエスカレーターを見ることはできません。それでも歴史を感じさせる重厚な建物は、残った鉄骨などを活かし、リニューアルされました。その後も増改築などを経て、2018年には重要文化財に指定されているんですよ。
設置当初は楽に上の階に行けることがエスカレーターのウリであり、片側に一列に並んで乗り、もう片方を急いでいる方が進めるようにあけるということはありませんでした。優雅なお買い物のひとときをサポートするものだったんですね。その後、エスカレーターは百貨店だけでなく、駅などにも広まっていきました。
◆高度経済成長期の到来でエスカレーターの乗り方に変化
大阪で右側に立つのが主流になった理由はなんでしょう?
高度経済成長期に入ると、経済発展を支えるべく、人々の忙しさが増していきました。
そのため、エスカレーターの乗り方にも変化が…。大阪の阪急梅田駅では先を急ぐ方のため、左側をあけるようアナウンスを流すようになったそう。このアナウンスが大阪ではエスカレーターに乗る際は右側に立ち、左側をあけるようになった要因のひとつと言われています。※現在は事情があって右側に立つことが難しい方もいらっしゃることからそのようなアナウンスは行なわれていません。
なぜこの時、左側をあけるようにアナウンスしたかというと、紳士の国イギリスのルールを参考にしたため、または日本人は右利きが多いことを踏まえ、右側に立つ方が手すりにつかまりやすいなどの理由があったようです。
そのほか、1970年に開催の大阪万博にはたくさんの外国人が来日することから欧州で主流であったエスカレーターの右立ち・左あけが徹底されたとの説もあります。大阪の通勤圏である兵庫や奈良は、大阪同様に右立ち・左あけとなっています。
東京で左側に立つのが主流になった理由
一方、東京は特段、駅のアナウンスなどがなされることはなく、自然発生的に左側に立つようになったと言われています。
もともと日本は、武士が左脇に下げている刀がぶつかってトラブルになってしまうことがないよう左側通行でした。そのため、左側に立つことは自然だったんですね。
戦後、道路交通法改正により、人の流れは左側通行から右側通行に変更されることとなりました。しかし、駅などの建物の構造が左側通行を前提として作られていたことから、左側通行せざるを得えない場所も多かったそう。左側通行をしているとエスカレーターに乗る際も左側に乗るのがスムーズな流れであったことから、左側に立つことは変わらなかったようです。
結果として、東京は左側が走行車線で右側が追越車線という、日本の車道のルールと一緒になりました。世界的に見ても、各国の車道の走行車線と追越車線の位置関係と、エスカレーターの立ち位置がリンクすることが多いんです。ただし、欧州をはじめとする海外では日本とは逆で右側を走行車線とする国の方が多いため、大阪のような右立ちが世界標準と言われるんですね。
◆これからは両立ちの時代?
実はエスカレーターは歩いて上り下りすることを想定して作られていません。だからエスカレーターの一段は階段の一段より少し高めなんですね。転倒などの恐れや事故もあることから、駅などを中心に左右ニ列に並んで手すりにつかまって利用するように呼びかけられるようになってきています。
今はまだ、急ぐ人のために片側をあけることが暗黙のルールとなっており、あけておく側に立っていると流れを止めてしまっているようで不穏な空気になることが多いように感じますが、だんだん両立ちに変わっていくかもしれませんね。
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鶴田初芽
都内在住のOLライター。マナーインストラクターであり、実用マナー検定準一級や敬語力検定準一級など、ビジネスにおけるマナーや、マネーに関する資格(2級ファイナンシャル・プランニング技能士、金融コンプライアンスオフィサー、マイナンバー保護オフィサー)などを保有。丁寧な暮らしに憧れ、断捨離修行中!