【タサン志麻】さんインタビュー
料理は心までつくるから、相手をしってとことん考える
暗黒の時代と言いますか、進む道を悩んで抜け出せなくなっていたのが30代前半の自分です。フランスの料理学校や三つ星レストラン、日本の老舗レストランでの修業を経て、職場は有名なビストロ。女性が少ない料理人の世界で奮闘していたことで、周りも期待して応援してくれている。傍から見れば順調だったかもしれません。
20代初めから友達とも遊ばず働いて、休日まで勉強漬けの日々。料理だけでなく、語学や歴史、音楽、映画や小説、詩、哲学まで。フランス人がどんな背景で育ち、何を考えてこの料理をつくって食べているのか、学びたいことが山のようにありました。疲れを知らない火だるまみたいでしたね(笑)。
でも、料理界では、ある程度の年齢になると独立してお店をもつという目標があたりまえで。自分も流れに乗って全力で走ってきたけれど、ハッと気づいたら「私こっちの道に行きたいわけじゃないんだけど、どうしよう?」と。好きなのはクラシカルな家庭料理なのに、トレンドは科学的な分子料理に向かっている。開業にも新しい技術にも興味がもてなくて、進み方がわからなくなってしまったんです。
根底にあったのは、「フランス料理をもっと力を抜いて楽しんでもらいたい」という思い。フランスで修業していたころ、現地の家庭で見たシーンに衝撃を受けました。食べているものは質素なのに、食卓を囲んで家族や友人とずっとしゃべっていて、笑いが絶えない。ゆっくり会話する時間を大切にしている姿に、人生を心から楽しんでいるなと感じて。非日常の演出や緊張感もフランス料理の一面ではあるのですが、そうではないフランス料理を好きになりすぎて、どうにか日本でも実現できないかともどかしさを抱えていました。
同時に、当時の私は人に負けない努力をしてきたという意識があり、周りも自分と同じことをしなきゃいけないと勝手に思い込んでいました。厳しいお店で、仕事を教えても教えても後輩がどんどん辞めていく。なんでみんな歯を食いしばって頑張ろうと思えないんだろうと。ただ、自分で全部やればいいと抱え込むほど、寝る間もなくなり好きな勉強もできなくなってしまって。
もし私が人をうまく動かせて、余裕をもって働いていたら追い詰められることもなかっただろうし、自分がつくり出した環境に苦しんでいたんですね。「もう辞めるしかない。また渡仏してごく普通の家庭で料理を学ぼう」と思い立ち、10年勤めたお店を辞めました。お世話になったシェフに不義理な辞め方をしてしまってすごく後悔したし、この先フランス料理の世界には戻れないなと覚悟しました。
自分を追い詰めて人に優しくなれなかった。家政婦になって知った、人を思って料理する幸せ
レストランを辞めた後、最初に働いたのは焼き鳥屋さん。留学資金とホームステイ先のツテを求めて、フランス人スタッフばかりのお店を選びました。そこで夫と出会い、縁あってつきあい始め、結婚。35歳アルバイトの私と20歳学生の夫ですから、何より自分たちがごはんを食べていけることが優先でした。
でも、やってきたことをムダにしたくはなかったし、フランスの家庭料理は一生かけてでも勉強したい。フランス人のベビーシッターをやれば、フランス語を話せて料理もつくることができて、かつフランス人の知り合いもできていいなと。それで家事代行のマッチングサービスに登録しました。
とはいえ、実際はフランス人のお客さんはなかなかおらず、4年前はまだ家事代行といえば掃除がメインでした。最初は「なんでもやります」と登録していたら、やはり半分くらいは掃除の依頼。もちろん必要とされる仕事なのですが、フランス留学までさせてもらって、15年すべてを料理にかけてきたのに、なんで人のおうちでトイレ掃除をしているんだろう…とやりきれなさを感じたことも。親にも友達にも言えずにコソコソ生きていた気がします。
それでも目の前の仕事を一生懸命やり続けるうちに、少しずつ料理を依頼されるようになって。簡単なフランス料理をつくってみたところ、家でお箸を使って気軽に、家族一緒にすごくおいしそうに食べてもらえたんです。その瞬間、「あ! これがやりたかったんだ!」と。
働くお母さんはみなさん忙しくて、ヘトヘトで帰ってきてそこから夕食をつくってお子さんに食べさせ、夜もやることがたくさんあるのでご自身は急いで食べざるをえない。どんなに一生懸命つくっても、それを楽しく味わえなかったらおいしさは半減してしまうと思うんです。だから、ゆっくりおいしいごはんを食べる時間を届けて、少しの間でも疲れを忘れてもらえたらなと。
3時間で1週間分のおかずをつくる「つくりおき」を支持していただき、いつのまにか料理だけで依頼が来るようになっていきました。家政婦になって、世界が広がりましたね。さまざまな職業の方に出会ってお話を聞き、フランス料理だけでなく和食も中華も含めてひとりひとりに合わせてつくる楽しさを知りました。仕事先のご家庭で調理器具や食材、調味料が足りないことも、自分の幅を広げる勉強だと思って取り組んでいます。
食べることは、人をつくること。体だけではなく心もつくっていると感じます。レストランに行っておいしくなくてもそのときだけで済みますが、家庭の料理は毎日のこと。責任ある仕事で、喜んでもらうには相手のことをもっと知って考えなくてはいけない。
お仕事の状況、生活パターン、お子さんの好き嫌い、ときにはこんな夫婦喧嘩をした…といったお話も聞きます。お客さんのことを家族のように思って食事をつくれるのはすごく幸せなことですね。料理自体はお店のように完璧な火入れをしたり、手の込んだソースを準備できるわけではないけれど、その気持ちだけは負けないと思ってやっています。
レストラン時代は人に優しくできずツンツンしていて、思い出すと本当に申し訳ないくらいですが、ずっと見てきてくれた先輩が「そういう時代があったからこそ今の志麻ちゃんがある。気づいて変えることができたなら、それでいいんじゃない」と言ってくださって。もしあのときに辞めることを決断できずにいたら、自分に噓をついて目標を設定して、今でもずっと苦しかったんじゃないかと。
私を恨んでいる人はいるかもしれないけれど、それでも胸を張って「今こういう仕事をしています」と、やっと言えるようになりました。フランス人は食べたものを覚えていないけれど一緒に食べた相手との会話は覚えている…という言葉があります。そんな食べたときの空気を覚えていてもらえる、空間まで提供できるような料理をつくっていきたいです。
『志麻さんの自宅レシピ「作り置き」よりもカンタンでおいしい!』
『沸騰ワード10』(日本テレビ系列)や『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK)など、メディアを通じて紹介される志麻さんは、「つくりおきの達人のイメージ」でも、自宅では30分以内にちゃちゃっとつくって食べられる料理がほとんどなのだとか。まとまった時間をとれなくても、プロの味が楽しめるレシピを大公開! ¥1,300/講談社
Oggi3月号「The Turning Point〜私が『決断』したとき」より
撮影/石田祥平 デザイン/Permanent Yellow Orange 構成/佐藤久美子
再構成/Oggi.jp編集部
タサン志麻(たさん しま)
1979年、山口県生まれ。辻調理師専門学校および同グループフランス校を卒業し、ミシュランの三つ星レストランでの研修を修了。帰国後は東京の老舗フランス料理店やビストロなどで15年間働く。結婚を機に家政婦の仕事を開始。冷蔵庫にある食材で家族構成や好みにきめこまやかに応じた料理が人気を集め、「予約がとれない伝説の家政婦」としてメディアから注目される。著書に『志麻さんのプレミアムな作りおき』(ダイヤモンド社)、『沸騰ワード10×伝説の家政婦シマさん 週末まとめて作りおき平日らくらくごはん』(宝島社)など。2月中旬には初のエッセイ付きレシピ本を発売予定。「つくりおきマイスター養成講座」の講師や、食品メーカーのレシピ開発など多方面で活動中。