【須永珠代】さん独占インタビュー
やりたいことがわからなくてこのままではいけない、と焦っていた20代の終わり。輝いている方は、ひとつのことを深めて究めていったり、何かすごく好きなことがあったりしますよね。私は子供のころからアイドルやアニメにハマったりしたこともなく、〝夢中になる〟という感覚がわからなかったので、周りがうらやましくて。ただ、いつか没頭できるものが仕事になれば、長い人生で幸せなことだなと思っていました。
だから、20代は派遣社員やアルバイトでいろいろな職を転々としながらもがいていましたね。経理、販売員、省庁会議の議事録係、結婚相談所のアドバイザー…。飛び込み営業で、だれにも相手にされないつらさも味わいました。
28歳のとき、先々はインターネットに関わるスキルを身につけないと就職もやりたい仕事もできないだろうと思い、WEBデザインの勉強を始めることに。働きながら夜間の学校に通って1年学び、29歳でW EBデザイナーとして派遣で働き始めました。
派遣という働き方には最初は不安もありました。理由は、やれる仕事が限られること、そしてそれ以上に「正社員がいいに決まっている」という思い込み。今考えれば〝洗脳〟で、現実はどんな会社でも将来的にどうなるかはわからないので正社員だって確かな保証はないのですが、世間が言うから、親の目があるから、そう思っていた気がします。そんなモヤモヤが吹っ切れて覚悟ができたのは、本当にやりたい仕事をするなら起業しかないと心を決めてからです。
特に、中途半端な自分をやめようとスイッチが入ったのは、30代前半に働いていたベンチャー企業の社長の言葉。「いずれ起業したいんです」と話したら、「WEBデザイナーをやっている場合じゃない。もっと経営を勉強しなさい」と言われて。このまま仕事にどっぷり浸かっていいのかなと思う反面、これはすごいチャンスだからとにかく3年は経営スキルを学ぼう、と決めました。それまでの私の人生、2年で飽きて転々としてきたので、〝石の上にも3年〟で何か見えるんじゃないかなと。そこからは社長のすべてのミーティングに同席させてもらい、思考を吸収。同じ情報を得ても見え方、考え方が変わってきて、徹底的に考え抜く習慣が身につきました。
地域を元気にしたいという思いから、ふるさと納税の使い道とお礼の品を紹介し、寄附の申し込みまでできる総合サイト『ふるさとチョイス』を起ち上げたのは、38歳。資本金は50万円、社員は私ひとりでした。当時は、ふるさと納税の認知度も、自治体の方の関心も低くて。最初の2年はほぼ売り上げなしです。WEBコンサルタントのアルバイトで運転資金を確保しながら、ふるさと納税がもつ可能性を全国の自治体職員さんに懸命に伝えて回る日々。地道な挑戦でしたが、意欲的な自治体には自ら足を運び、地域の魅力が伝わるようなお礼の品を一緒に考えることで、億単位で寄附金が増えた事例も。いい事例が次の工夫につながり、徐々に市場が盛り上がっていきました。
若いスタッフ、農家の方、自治体の職員さん、政府の方…さまざまな立場の人と仕事をするうえで大事にしているのはただひとつ、平等であることですね。どんなに偉いとか、社会的地位があるとかは関係なくて、それぞれが何か強みをもっている人たち。その強みをもち寄ってひとつの課題を解決するのにどちらが上も下もないし、対等な立場で正直に接することを心がけています。
スタートから6年。ふるさと納税が普及し、仲間が増えた今でも大変だなと思うことはしょっちゅうですが、ヘコみにくくなった気はします。どこを見ているかで、悩みや落ち込みは変わってくる。相対的で狭い世界に生きるのではなく、自分がどう思うのかを大事に、未来は? 世界は? と視野を広げる。そうすると、いいことは何倍もの喜びになるし、うまくいかなかったことを教訓にして活用できる範囲も広がってきました。事業としていちばんのリスクはセキュリティ。今までも小さな失敗はあって、その都度、会社というものはあっという間につぶれる可能性があるなと実感することもありました。ただ、絶対に会社を存続させなきゃというよりは、その時々の身の丈に合わせてできることをしようという考え。これからの時代は会社という形態があまり意味をなさなくなり、仕事はどんどん「個」になっていくのではないかと。今では140名を超えたスタッフに対しても、ほかに行きたいところがあれば好きに選んでほしいし、そのときは受け止めるだけ。固執するほどお互い息苦しくなってしまいますから。一方で、何か起きたときは全部自分の責任だなとも思っています。
社長ではあるものの、いわゆるマネジメント力はないんです。「須永さんにそこ求めてもダメだよね」と、おそらく期待もされていないんじゃないかな(笑)。でも、何を考えて何をしたいか芯の部分はわかってくれているのでありがたいですね。昔は私も「しっかり管理しなきゃ」と肩ひじを張っていました。何ごとも全部100点じゃないとダメだと思っていた時期もあったのですが、それってムダだなと気づいて。もちろん、スキルとして落第点を取らないくらいにもっていく努力は必要。それ以上は周りの得意な人を巻き込んで、その分自分の得意分野はさらに頑張るようにしたら、生き方がラクになりましたね。
人生100年と言われる時代。リーマンショックで無職を1年経験したこともあるので、「スキルアップはできないけど安定しているから…」と同じことをずっと続けているほうがリスクがあるのではないかとも感じます。Oggi読者の方は今に不安がなければもちろんそのままでいいと思いますし、起業がすべてではないですが、いつかもし決断を迷ったら、世間体や固定観念という殻を破ったあとに残る自分の気持ちを大切にしていただきたいですね。熱意あるところには、必ず力を貸してくれる人が引き寄せられます。今後は、築き上げた自治体のネットワークをもとに、地域の生産性向上に取り組みたいと思っています。日本は生産性が低いと言われていますが、実は東京は素晴しく生産性が高く世界でもトップクラス。ふるさと納税のしくみも活かしながら地域の産業づくりを仕掛けて、いい循環を生んでいきたいですね。
Oggi5月号「The Turning Point〜私が『決断』したとき」より
撮影/石田祥平 構成/佐藤久美子
再構成/Oggi.jp編集部
すながたまよ
1973年、群馬県生まれ。大学卒業後、派遣社員やITベンチャー勤務を経て、2012年トラストバンクを起業。同年、ふるさと納税総合サイト『ふるさとチョイス』を立ち上げ、普及を牽引する。2015年「日経WOMANウーマン・オブ・ザ・イヤー2016」大賞を受賞。ふるさと納税を通したクラウドファンディングや災害支援の仕組みを提供するなど、地域を支援する幅広い事業を手がける。著書に『1000億円のブームを生んだ考えぬく力』(日経BP社)。
災害や保護犬、五輪の支援にまで寄附できる『ふるさとチョイス』
須永さんが開設した『ふるさとチョイス』では全国1788のすべての自治体のふるさと納税の「使い道」や「お礼の品」を掲載。寄附の申し込みからクレジットカード決済まで直接できる自治体も多数。平昌冬季五輪のカーリング女子の活躍で、北海道北見市に寄附が急増したことも話題に。