新型コロナウイルスの猛威、私が感じたN.Y.の強さ
2019年の冬にN.Y.に移住した私。11月のサンクスギビングや12月のクリスマスと、ホリデーだらけのアメリカ生活は毎日がキラキラした瞬間の連続で、友達も増えて、英語も段々聞こえるようになり、“リア充”という言葉は私のためにあるような、そんな気さえしていた。
◆新型コロナウイルスのニュース、当時はまだ誰も危機感を持っていなかった
年が明けて、アジア各地で新型コロナウイルスの感染がニュースになったが、2020年2月末までニューヨーカーたちは異国の感染病だと、自分事に捉えていなかった。私も日本にいる夫に「居酒屋とか行ったらダメだよ!」とか言いながら、自分はマンハッタンのレストランに行きまくっていた。
そして、2020年3月1日。N.Y.で初めての感染者が確認されてから、この街は一気に世界中の注目を浴びる感染地と化していった。
2週間後には、街に人がいなくなった。ホームレスしか歩いておらず、食料の買い出しすら命がけに感じた。クオモ知事が「家が一番のシェルターだ」と自宅待機を呼びかけ、あっという間に飲食店は全て閉鎖となり、命の危険を本気で感じた私はロックダウン直前に日本に逃げ帰った。
◆それでも自分の目で確認したかった
そこから5ヶ月以上、日本で暮らした。周囲からは危険を犯してまで戻る必要はないと言われ続けたが、自分の目で確認せずして、全く判断がつかないことを日々痛感し、ようやくようやく2020年8月末にマンハッタンへ戻ることを決心した。
成田空港からの直行便に乗ったが、今も機内はガラガラ。エコノミーでも4席繋げて、寝ながら過ごせるほど。家族連れが結構いて、みんな日本に避難していたのかなと感じた。ちなみに、空港の免税店も飲食店もほとんど開いておらず、空港と思えない静けさだった。
JFK空港に降り立つと、日本のようなPCR検査はなかった。入国の際も、「日本以外に滞在した国はあるか?」「アメリカでは何の仕事をしているのか?」この2点しか質問されず、2週間隔離の話もないまま、サラリと入国出来た(もちろん、就労ビザを持っているからだが)。
どの国からの入国か、また米国のどの州からの移動か、それ次第で対応が違うようだが、日本からの入国に関しては、隔離も“推奨”というレベルだと領事館からのメールで後から知った。
正確な情報は随時更新されていくので、完璧に把握するのが難しい。空港からの移動も、日本は事前予約のハイヤーや、レンタカー、誰かの迎えが準備出来ていないと、勝手に移動出来ないようだが、N.Y.にそんな規制は皆無だった。入国者はどんどんタクシーに乗っていく。むしろ、不法タクシーに注意! というアナウンスが流れていた。
そして、久しぶりのマンハッタンを見て、まずは驚いた。2020年8月末時点では、店内飲食が許可されていないので、店先の道路や歩道にテーブルが並べられ、そこで多くの人が食事を楽しんでいて、音楽が街中から聞こえた。そのせいなのか、街に活気が戻っているように見えた。5ヶ月前と同じN.Y.の匂いがして、まずは妙にホッとしてしまった。
ただもちろん、街をよくよく見ていると、以前繁盛していたレストランがすでに無くなっていたり、特にオフィス街であるミッドタウンは平日も人がまばらだ。以前はビジネスマンで溢れかえっていたのに。
私の知っている現地在住者で、オフィスに今出勤している人は2~3人で、ほとんどの知り合いはリモートワークを継続している。そのおかげでN.Y.にいる必要がないので、暖かいロサンゼルスにしばらく移住していたり、州税が安い場所に引っ越していたり、自由が効いている。
一つ気になるのは、マンハッタンにそびえ立つビル群は大半がオフィスなので、これからこの不動産たちの行方が経済にどんな影響を与えるのか、想像するだけで恐ろしい。今はどの建物でも、入り口に「No Mask No Enter」の文字があり、アルコール消毒液が至るところに設置され、感染対策が細部まで徹底されている印象を受ける。
声がこもるのでマスクをずらして話そうとすると、「マスクをちゃんとして!」と指摘されるほど、人々の感染リスクに対する意識が変わっていた。アメリカでは冬にマスクをしていると、重病人扱いされるので、マスクなんて誰もしていなかった。3月の時点でもマスク着用をあんなに嫌がっている人がいたのに、今では東京以上の徹底ぶりだ。
◆自分の目で見たからこそ実感できたN.Y.の強さ
2020年9月、ようやくジムや美術館がオープンを許され、学校も一部再開し始めている。そして、先日ニューヨーカーが歓喜に沸いていたのが、月末からレストラン内飲食が許可されることになった。ただ、店の収容率の25%しか入店出来ないというルール付き。
試験的に再開し、感染者の増加が見られなければ、徐々に割合を増やしていくのだろう。本当に慎重だ。二度とあの惨劇に戻らないように、どの州よりも厳しいルールを長期間強いている。ミュージカルは、年内はオープンしないという話だ。
あの派手で、歓喜に溢れていた街が、ここまで今も我慢している。その忍耐力に感動すら覚える。どんな悲劇が起こっても、立ち直る術を知っている街なんだと思う。オンラインの情報ではなく、自分の五感で状況を確認する。本当に大事なことはこれに尽きる。
◆これまでの連載はこちら
古瀬麻衣子
1984年生まれ。一橋大学卒。テレビ朝日に12年勤務。「帰れま10」などバラエティ番組プロデューサーとして奮闘。2020年、35歳で米国拠点のweb会社「Info Fresh Inc」代表取締役社長に就任。現在NY在住。日本人女性のキャリアアップをサポートする活動も独自に行なっている。
Instagram:@maiko_ok_
HP