築地場内の豊洲移転問題。
新事実が次々に明らかになって、各TV局のワイドショーは連日の報道。小池知事就任後初の都議会定例会開催、市場問題プロジェクトチームの会議開催、小池知事の定例記者会見での豊洲市場問題の調査結果公表と、9月最終週はこの問題から目が離せない状況でした。これに加えて東京五輪関連の諸問題も浮上。ぐしゃぐしゃの様相です。
果たして築地場内市場は豊洲に移転できるのか、できるとしてもどのくらい先になるのでしょうか。
この問題の影響で、当初10月15日開業と発表されていた新場外市場「築地魚河岸」のオープンが1か月余り先になり、今のところ11月19日開業とアナウンスされています。
そんな中、毎年行われている築地場外市場秋祭りの季節がやってきました。今年は10月8日(土)、9日(日)に開催。こちらは例年通り、いや話題になっているだけに、ひょっとして例年以上の盛り上がりを見せるかもしれません。
築地、明石町は記念碑の密集エリア
さて今回のテーマは、このコラム3回目で予告して延び延びになっていた「築地に点在する私学発祥の地、探訪」です。
今年は秋雨前線の停滞で、東京は鬱陶しい天候の毎日が続いていますが、気温も徐々に下がり、雨さえ降らなければそろそろ散策には最適の季節到来。あなたの母校発祥の地を訪ねてみませんか、というお話です。
では、築地、明石町アドレスに私学発祥の地の碑がいくつあるのか、ランダムに挙げてみましょう。
慶應義塾大学、女子学院、雙葉学園、立教学院、立教女学院、明治学院、青山学院、女子聖学院、工学院大学、暁星学園、東京中学院(関東学院の源流)。実に11の記念碑が建っています。
このほとんどが聖路加国際大学、聖路加国際病院の周辺に集中しているのですから、まさに記念碑密集エリアですね。
特にミッション系の私学が多いのは、明治の文明開化期、外国人居留地が設けられていたことによるものでしょう。
慶應義塾大学の碑
この私学の碑、すべてについて語ると長くなるので、中でも目立つ碑について綴ることにしましょう。まずは、慶應義塾大学から。
書物を開いた形が特徴の「慶應義塾発祥の地」の碑。聖路加国際病院のすぐ近く、交差点に設けられた三角形の土地に碑はあります。福沢諭吉は大分県の中津藩藩士であり、安政5年(1858年)に、この地にあった中津藩中屋敷内の蘭学塾教師に就任したことを起源とするため、ここが発祥の地とされているのです。
▲慶應義塾発祥の地、の碑。設計は谷口吉郎。重厚な黒御影石の台座に書物の碑が特徴的。
記念碑は書籍を開いた特徴的な形で、表面には「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の文字が刻まれています。この文字は「学問のすゝめ」初版本の活字と同じ書体だそうです。建立は慶應義塾創立百年の昭和33年(1958年)4月23日。
隣には、「蘭学の泉はここに」という碑が建っています。これは、同じく中津藩の藩医だった前野良沢が杉田玄白、中川淳庵とともに江戸時代、1770年代にオランダ語の解剖書「ターヘルアナトミア」の日本語訳を行ったことを記念するもの。この話は日本史の教科書に出てきましたよね。以上2つの碑を合わせて、ここには「日本近代文化事始めの地」をいう説明板が設置されているのです。
立教学院、立教女学院の碑
次は立教。2つあります。ひとつは「立教学院発祥の地」の碑、もうひとつは「立教女学院 築地居留地 校舎跡記念碑」です。どちらも聖路加国際大学の敷地内にあります。
▲立教学院発祥の地、の碑。「すべての人に仕える者になりなさい」という聖書の一節が。
▲立教女学院記念碑。左側に初代の立教女学院校舎の情景が。2007年、創立130年を記念して建立。
立教大学のホームページには、明治7年(1874年)、「ウィリアムズ主教、築地に聖書と英学を教える私塾を数名の生徒で始める」とあります。現在の池袋に移転したのは大正7年(1918年)。また、立教女学院短期大学のホームページによれば、設立は明治10年(1877年)、現在の文京区湯島でしたが、2年後の1879年、築地に移り、1923年、関東大震災での校舎焼失の後、現在の杉並区久我山に移転したそうです。
碑はどちらも実にユニークな形状。特に「立教学院発祥の地」の黒色半円形の重厚な石碑は目を引きます。立教創立125周年を記念して平成12年(2000年)に建立されました。
雙葉学園の碑
11校すべてを紹介するととてつもなく長くなってしまうので、もうひとつだけ。「雙葉学園発祥の地」の記念碑です。
▲雙葉学園発祥の地、の碑。「徳に於いては純真に 義務に於いては堅実に」の文字が。
雙葉学園のホームページには、明治42年(1909年)雙葉高等女学校設立、築地明石町にて開校。と記されています。翌1910年には麹町に新校舎建設、移転とあるので、「え? 1年だけ?」と思ってしまいますが、高等女学校設立以前の明治8年(1875年)には築地居留地内に修道院を開設とあるので、築地での歴史は30年以上にわたって刻まれているようです。
以上、3校の記念碑をご紹介。
この秋から年末、場外市場へ出かけられた際は、明石町周辺まで散策の足を延ばしてみてください。
初出:しごとなでしこ
T.KOMURO
編集者。主として男性向け情報誌の編集長を歴任。2015年5月、住居を築地に移し、愛犬の悟空とともに週末TSUKIJIライフを楽しんでいる。