- 1 「自分が前に出るより、一人ひとりに目を配りたい」販売・人事・広報を経て、変わらず大切にしている思い
- 2 広報部でチームリーダーを務める30代
- 3 3つのアルバイトを掛け持ちしていた学生時代
- 4 自然体でいられる仕事を目指して出会ったのが、「東京ばな奈」の会社
- 5 販売職から人事部へ。自身の新たな可能性を模索して
- 6 やりがいを見出したきっかけは、累計数百人を店舗へ送り出した研修
- 7 入社3年目に産休を経験。「ロールモデル」がいないなか、フルタイムで復帰
- 8 フルタイムと育児の両立は忙しすぎて、当時の記憶がほとんどありません!
- 9 働く母として、次世代の「道」になるために
- 10 人事部から広報部リーダーに異動。「私だからできること」を常に考える
- 11 何事も「なんとなく楽しい」で終わらせるのは、もったいない
- 12 50年、100年と愛され続ける商品のために
「自分が前に出るより、一人ひとりに目を配りたい」販売・人事・広報を経て、変わらず大切にしている思い

圓光寺 遥さん:1990年 広島県生まれ、東京都[圓光寺育ち。大学卒業後、2013年に株式会社グレープストーンに入社。バームクーヘン専門店「ねんりん家」の販売職を経て、2015年から人事部で採用やスタッフ教育を担当。2度の産休・育休を経て、現在は広報部リーダーとして活躍中。プライベートでは、小学生の息子と5歳の娘、夫と4人暮らし。
広報部でチームリーダーを務める30代
新卒でグレープストーンに入社して13年。現在は広報部リーダーです。メディア対応やリリース制作、新ブランド・店舗の内覧会運営などを担いながら、5人のメンバーをマネジメントしています。

圓光寺さん ある平日のスケジュール
6:30 起床、洗濯物をたたむ
7:00 朝食や身支度
8:00 子供を保育園へ送る/小学校登校を見送り→自転車で職場へ出勤
9:00 業務スタート
13:00 ランチ
14:00 業務スタート
18:00 退勤(下の子のお迎えは夫が担当)
18:30 上の子の宿題確認→終わり次第夕食
19:30 片付け、自由時間
20:45 下の子とお風呂
21:30 子供の寝かしつけ
22:00 食器の片付けや翌日準備、自由時間
0:00 就寝
30分ほどの自転車通勤を習慣にし、運動不足対策に。部下に体調管理を呼びかける以上、自分自身も健康でいたいからです。年齢とともに無理がきかなくなっている実感もあり、日常のなかでこまめに体を動かすよう心がけています。
3つのアルバイトを掛け持ちしていた学生時代
大学時代はサークル活動よりもアルバイトに熱中。カフェ・居酒屋・塾講師と、3つの職場を掛け持ちしていました。毎日のように何かしらバイトの予定があって、当時はとても元気だったのでしょうね。今やろうとしたら絶対に無理だと思います(笑)。
なかでも記憶に残っているのは、カフェでの仕事。レジ、ドリンクやフードの提供、接客…目まぐるしい現場だからこそ、スタッフ同士の連携や、お客様が何を求めているのかを観察することを意識していました。
そんな環境で、周囲の動きを把握しながら、自分が次に何をするべきかを考える。そういう働き方が、昔から好きだったのだと思います。
自然体でいられる仕事を目指して出会ったのが、「東京ばな奈」の会社

就職活動では、やりたいことがはっきり決まっていたわけではなく、まず目指したのは営業職。学生時代の私にも比較的イメージしやすかった一方で、どこか無理をしている感覚もありました。
自分がどんな社会人になりたいのか、まだよくわからない。それでも、アルバイトだけは一生懸命やってきたし、接客や販売をしているときは自然体でいられた。自分に合っている仕事は、これなのかもしれない。そんな思いに至り、出合ったのが「東京ばな奈の会社」であるグレープストーンだったんです。
販売職から人事部へ。自身の新たな可能性を模索して

入社後、最初は販売職として大丸東京店の「ねんりん家」に配属。2年目には店舗責任者になりました。社員、パート・アルバイト含め20人ほどが働く店舗を任せてもらうことに。
接客の仕事は変わらず好きでしたが、その道のエキスパートとして接客スキルを磨くことよりも、チーム運営にいっそう力を注ぎたくなってきたのがこの頃。そんなタイミングで、人事部への異動辞令が。自身の新しい可能性を見つけるには絶好の機会。前向きに受け入れました。
とはいえ、異動当初は何をすればいいのかわからず、悩む日々でした。店舗では目の前にお客様がいて、商品を販売するという、比較的わかりやすい役割がある。でも、人事の業務はすぐに結果が出るものではなく、自分の仕事が何に役立っているか実感できないまま、数か月が過ぎました。最初に感じたこのギャップは、想像以上につらかったことを覚えています。
やりがいを見出したきっかけは、累計数百人を店舗へ送り出した研修
仕事が面白くなったのは、研修業務を任せてもらってからです。本社では、販売アルバイトを対象にした2日間の研修を毎週行っていて、今まで数百人を店舗へ送り出しました。
そのなかには1週間だけ働く短期スタッフもいれば、1年以上働く予定の方もいます。グレープストーンの商品をよく知っている方も、まったく知らない方もいて、さまざまな背景を持つ方々に、限られた時間のなかで、販売職の面白さを伝えるにはどうすればよいのか。商品に愛着を持って店舗に立ってもらうにはどうするべきか。こういったことを考えるのが、私はとても好きでした。
振り返ると、カフェアルバイトでも新人に仕事を教える機会が多くて。一人ひとりが少しでも効率よく仕事を覚えられるよう、自分なりに工夫していたことを思い出します。目の前の人をよく見て、気持ちを感じとる。飲食でも販売でも、人事の仕事でも、私が大切にしていることはあまり変わらないのかもしれませんね。
入社3年目に産休を経験。「ロールモデル」がいないなか、フルタイムで復帰

2016年に第一子を出産し、産休・育休を取得。当時、社内では育児を機に退職する先輩もまだ多く、仕事と子育てを両立するロールモデルはほとんどいませんでした。私自身、復帰後の生活も想像できないまま産休へ。
一方で私の両親はずっと共働きでしたし、女性が働くことが自然な家庭で育ったので、仕事は絶対に続けたいし、やるなら100%向き合いたいのも本音でした。子育てにも全力で取り組んでいたものの、1年以上の育休で子供と一対一で過ごしているうちに、「もっと外に出たい!」と少し窮屈な気持ちが芽生えてきたというのもあります(笑)。
やるなら仕事も全力で。そう考えて、時短勤務ではなくフルタイムで復帰。会社サイドは「そんなに頑張らなくてもいいよ」と言ってくれていたのですが…今考えると、何がなんでも両立したい!という意地も少しあったのかもしれませんね。
フルタイムと育児の両立は忙しすぎて、当時の記憶がほとんどありません!
案の定、仕事と子育ての両立は、本当に慌ただしいものでした。与えられた仕事を全部こなし、延長保育を利用して、19時に保育園まで子供を迎えに行き、21時までには子供を寝かしつける。とはいえそうスムーズにはいきませんから、気づけばもう22時半!ということもよくありました。
今振り返ると、どうやって生活していたのかわかりません(笑)。忙しすぎて、当時の記憶がごっそりないんです。それでも子供は無事に育ち、今では小学生。2021年には第二子も誕生し、その頃には「産休・育休を楽しもう」という心の余裕も生まれました。大変だったあの日々も、すべて必要なものだったのかなと、今は思います。
働く母として、次世代の「道」になるために

ただ、上の子が小学校に入学すると、また別の課題が立ちはだかります。宿題、音読、持ち物チェック…子供に鍵締めをお願いしたら、テレビも電気もつけっぱなしにしていた、なんてことも。この時初めて、小学生育児の難易度の高さを思い知りました。
当時の社内規定では、時短勤務は子供が3歳になるまで。その後はフルタイムに戻るか、退職や雇用形態の変更を検討せざるを得ない状況でした。当時はちょうど私より下の世代が、次々に産休や育休へ入る時期でもあり、悩んだ後輩から相談を受けることも。
実際に子育てをしていると、3年は本当にあっという間です。さらに、それ以降は楽になるかと言われたら、そうでもないと私も身をもって実感している今こそ、下の世代が安心して働ける環境を整備する時ではないか。それが私の役割なのかもしれない。そこで会社に働きかけ、時短制度の見直しに取り組みました。今では時短勤務は小学3年生まで延長され、子育てしながら働く後輩社員も増えています。
ロールモデルとなる先輩社員がいないなか、がむしゃらに走ってきた私ですが、だからこそ、若い世代に「道」を作っていきたかった。後輩たちが働きやすくなれば、結果として自分にもよい形で返ってくると思っています。
人事部から広報部リーダーに異動。「私だからできること」を常に考える

そんなふうに、10年近く在籍した人事部での経験が、自分なりに形になってきた頃。そのタイミングで、広報部リーダーへの異動を打診されました。人事部も広報部も、ちょうど自分が新しいことを始めたいと思った時期に異動の話が来ました。もしかすると、その気持ちが周囲に滲み出ていたのかもしれません(笑)。
人事部では「人」に接し、その成長を見ることが仕事の中心。一方、広報は「ブランドや商品」をたくさんの人に届けるのが仕事です。
広報部のメンバーは、それぞれに得意なPR技術をもっています。そんななかで「私だからできる広報活動」とは何か、どう成果を出せるか。それを常に考えるようにしています。
現在力を入れているのは、会社所在地である杉並区の子供たちに向けた広報活動。杉並で生まれた東京ばな奈が、地元の子供たちにとっても「思い出の味」になってほしい。そんな思いで取り組んでいます。
子供たちには東京ばな奈について詳しく紹介したり、販売員の仕事について職業講話をしたりしています。「商品のよさをお客様に伝えるには、どうすればいいだろう」と子供たちに考えてもらうことも。販売職として店舗に立っていた経験も、こうした活動に生きていると感じています。
何事も「なんとなく楽しい」で終わらせるのは、もったいない
仕事そのものに不安を感じたとき、120%の準備をすることでネガティブな気持ちを解消するタイプです。でも、「なんでこんなことになっているんだろう」「今、何が嫌なのかわからない」──そんなふうに、言葉にできないモヤモヤを感じることも、もちろんあります。
そのときは、とにかく友人とたくさん話します。会社も職種も違いますが、仕事に熱意を持っている同世代。食事やお酒を楽しみながら、3時間、4時間と同じテーマについて話し続けることも。「なぜ嫌だと思ったんだろう」「何に対して不満を感じているんだろう」と考え、今の気持ちにぴったり合う言葉が見つかるまで話すんです。
同じような悩みを抱えている人がいる、とわかるだけでも気持ちがやわらぐこともありますし、しっかり言語化できれば「すっきりしたから、また頑張ろう!」と思えます。
だから部下と面談するときも、「言葉にすること」は大切にしています。「楽しかったです」と言われたら、何が楽しかったのか、どの瞬間にそう感じたのか、ちゃんと言葉にしてもらう。似た仕事ではどうだったのか、何が同じで何が違うのか。選択肢を示しながら、一人ひとりにしっくりくる言葉を一緒に探します。
自分の得意なことや、苦手なことには、意外と一貫性があるもの。それを言葉にできていれば、「これは以前、自分が得意だと思った仕事に似ている」「私はこういうことが起きると、いつも悩みやすい」と、次の仕事に応用できます。
なんとなく楽しい、なんとなく嫌だ、というまま過ごしてしまうのは、もったいないと思うんです。誰かと話してもいいし、紙に書き出してもいい。諦めずにアウトプットすることを大切にしてほしいと思い、リーダーとしてそのサポートしていけたらと考えています。
50年、100年と愛され続ける商品のために

グレープストーンのスタッフは、自社製品への愛情が本当に深いんです。それぞれに商品への思い出や思い入れがあって、それをまっすぐお客様に届けたいという強い気持ちがある。
東京ばな奈をはじめ、私たちの商品がこれからも50年、100年と愛され続けるためには、関わる私たち自身が楽しく、幸せに仕事をしていることも大切だと思っています。だからこそ、広報の視点からも働きやすい会社づくりに貢献していきたい。
販売職としてお客様を見つめ、人事では働く仲間に向き合い、広報として商品や会社の魅力を届ける。振り返れば、どの仕事にも共通していたのは、目の前の相手をよく見て、その人に届く言葉や方法を探すことだったように思います。自分が前に出るより、一人ひとりに目を配る。そうして誰かが安心して力を発揮できる場所を整えていくことが、今の私にできる仕事なのかもしれません。
取材・文/徳永留依子



