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「悪法もまた法なり」の正しい意味とは
「悪法もまた法なり」は、たとえ不完全で理不尽に思える法律であっても、社会の秩序を保つためには従う必要がある、という考え方を示す言葉です。
ここでいう「悪法」は、道徳的に問題があったり、自分には不都合だと感じられたりする法律を指すといえるでしょう。
しかし、個人の判断で法律を無視すれば、社会全体の規律が崩れかねません。そのため、善悪とは別に、法を守ることの大切さを説いたことわざといえます。
ただし「悪法もまた法なり」は、無条件に悪法を肯定するものではありません。その背景とされている事柄を知ると、言葉への理解がより深まるでしょう。
悪法も又法なり
出典:小学館 デジタル大辞泉
たとえ悪い法律であっても、法は法であるから、廃止されない限りは、守らなければならない。
「悪法もまた法なり」はソクラテスの言葉?
「悪法もまた法なり」は、古代ギリシャの哲学者・ソクラテスがのこしたという一説も。ソクラテスの考えは、後世の哲学者に大きな影響を与えました。
ここでは彼の歩んだ道を振り返りながら、「悪法もまた法なり」が生まれたと考えられる背景や真意をみていきましょう。

古代ギリシャの哲学者ソクラテス
ソクラテス(紀元前469年頃〜紀元前399年)は古代ギリシャの哲学者であり、教育者です。彼は著作をのこさなかったとされ、弟子たちとの対話や問答を通じて人々に思考を促しました。
その思想は現代まで受け継がれ、哲学の基盤となっています。後にまた解説しますが「無知を自覚することの重要性」や「善く生きることの意味」などが、その代表といえるでしょう。
「悪法もまた法なり」が生まれたと考えられる背景
ソクラテスは70歳になった頃、国家の信奉する神々を否定して青年たちに悪い影響を及ぼすしたという罪で裁かれ、最終的に死刑判決を受けます。このとき、弟子たちは脱獄を勧めましたが、ソクラテスはそれを拒否しました。
「悪法もまた法なり」がソクラテスの生きざまや哲学から導かれたとの見方もあるのは、死刑判決を受け入れた彼の態度は「善く生きる」という自らの倫理観に基づき、国家の法のもとで生きてきた以上、たとえ不当な判決でも従うべきだという信念からの選択だったのではと考えられているからのようです。
「悪法もまた法なり」において、実際には、同じ言葉を彼が発した記録は残っていません。ソクラテス自身は著作を残しておらず、弟子たちが記した対話篇にしか彼の考えは伝わっていないためです。
このような行動が後世の思想家たちによって引用・解釈され、「悪法もまた法なり」という考え方として受け継がれてきたと考えられます。ただし近年は、ソクラテスの言葉ではないという見方も相応にあるようです。
「悪法もまた法なり」の使い方
「悪法もまた法なり」は、納得しがたいルールや決まりに従わざるを得ない場面で用いられます。
やや堅い表現のため、ビジネスや議論の場などでの活用を検討するとよいでしょう。
・新しい社内規定は不便だが「悪法もまた法なり」だから守らないとね…
・理不尽なルールでも、組織に属する以上「悪法もまた法なり」かもしれない
・納得はしていないが「悪法もまた法なり」で従うしかない
・制度に問題はあるが、まずは「悪法もまた法なり」として運用する必要があるだろう
ソクラテスの名言・格言・考え方
ソクラテスは、人間の知や徳、生き方について数多くの言葉をのこしたとされています。その代表例といえるのが「無知の知」と「善く生きる」です。
これらは現代にも通じる普遍的な考えとして、自己理解や倫理観を見つめ直す手がかりとして引用され続けています。

「無知の知」
「無知の知」は「自分が何も知らない」と自覚することの大切さを説いた言葉です。
ソクラテスは、賢者と呼ばれる人々との対話を通し、多くの人は「物事を理解している」と思い込んでいるだけで、実際には知恵を有していないことに気付きました。
人は物事を知っていると思い込むと、学ぶ姿勢を失ってしまうもの。だからこそ、無知を認める謙虚さが探究心を生み、成長の起点になるとソクラテスは説いたとされています。
この考え方は、日常生活や仕事の場面でも応用できます。自分の知識や判断を見直すきっかけにもなるかもしれません。
・専門職に就いて10年になるが、いつまでも「無知の知」の精神を忘れずにいたい
・堅実に学び続ける彼女の姿勢は、まさに「無知の知」といえる
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「善く生きる」
ソクラテスは生涯を通して「善く生きる」ことの重要性を説いたといわれています。
「善く生きる」とは、ただ長く生きるのではなく、道徳的価値や徳を備えて質の高い人生を送るという考え方のことです。死刑判決を受け入れた背景にも「善く生きる」という彼の信条が影響したのではないかとも考えられています。
・利益より信念を選ぶ彼女の姿は、まるで「善く生きる」を体現しているようだ
・判断に迷ったときは、「善く生きる」という視点に立ち返りたい
「ねたみとは魂の腐敗である」
「ねたみとは魂の腐敗である」は、他者へのねたみが人の精神を蝕み、人格の健全さを失わせることを意味するとされています。
比較や嫉妬に心を支配されると、人を非難したり、傷つけたりしてしまいがち。結果的に、自分自身の成長や幸福から遠ざかってしまうでしょう。
だからこそ、他者ではなく自己の向上に意識を向けるべきだとソクラテスは説いているのかもしれません。
・成功者を羨んでばかりいてはいけないよ。「ねたみとは魂の腐敗である」というでしょう
・最近、周囲と自分を比較して落ち込むばかりだったが、「ねたみとは魂の腐敗である」と聞き考えを改めた
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「悪法もまた法なり」を正しく活用しよう
「悪法もまた法なり」は、社会秩序と個人の信念のバランスを問いかける哲学的な言葉です。
ソクラテスの生き方が示すように、法と倫理の関係を考えることは、現代社会においても重要なテーマだと考えられます。言葉の背景にある思想まで理解しながら、それぞれを適切な場面で活用していきたいですね。
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