スポーツ関連企業 代表・川上紗実さん インタビュー
MLBに携わるようになったきっかけは、アメリカ留学時代のボランティア
MLB(メジャーリーグベースボール)で仕事をするようになったきっかけは、アメリカ留学時代の恩師にすすめられたボランティアでした。
小さなころから街頭募金や遺児支援、乳がん撲滅運動などさまざまなボランティア活動に参加してきたので、日米友好に関わる国際大会のお手伝いができるならうれしいなという思いでしたね。
大会が終了する数日前に、当時の上層部に呼ばれて「MLBの日本オフィスを立ち上げる予定があるから、フルタイムで残ってくれないか」というオファーをいただいて。
実は元々スポーツがすごく好きで、研究が進んでいるアメリカの大学で学びたいというのが留学した理由でもあったのですが、社会福祉や人道支援にも関心が高まり、最終的に幅広い分野につながるビジネス学部を専攻したので巡り巡って不思議なご縁を感じました。
ただ、我が家には「修士課程までは必ず修了せよ」という両親との約束がありまして。25歳からフレックスで働きながら、フルタイムで大学院に通う二刀流生活を送り、毎日の睡眠は3~4時間足らずとがむしゃらな2年間でした。
日本オフィス立ち上げメンバーは3人、手探りのスタート
日本オフィス設立当初のメンバーは3人だけ。会社の印鑑をつくるところから法務、会計、人事、PR、営業など広く浅くなんでもやりました。
すべてが手探りでしたし、日米の文化や商習慣のギャップに慣れるのもひと苦労。たとえばお客様との接し方や交渉事でも、「常に強気でなくてはいけない」と指導されます。
数年留学したとはいえ日本育ちですから、相手といい関係を築くには穏やかさが大事だとわかっているのに、厳しいことを言わざるをえない。自分なりのコミュニケーションでバランスをとれるようになるまでは苦しかったですね。
女性が少なかった当時の野球界。悔しくて悲しくて、直談判をしたことも
成長の糧になったのは、2006年の第1回のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)での経験でしょうか。
韓国チームと中国チームの窓口になる代表コーディネーターの立場を本社から任されたのですが、当時はアジアの野球界に女性がほぼいない時代。
特に韓国では「女性で日本人で20代」の私が関わるとなると、歴史観や文化的背景から「受け入れがたい」という年上男性も少なくありませんでした。仕事をしているだけで、「日本チームのスパイだろう」「なんで女がここにいるんだ」と怒られて追い出されることも。
準決勝直前までその状態が続き、あまりに悔しくて悲しくて、これは直談判するしかないと先方のトップをつかまえて一対一で話す時間をつくってもらいました。
自分がどれだけの思いを込めてどんな仕事をしているのか、なんでこんな状態になっているのか、憤りも含めて溜まっていたものを全部吐き出したんですね。二回りほど年上の方でしたが、のみ込まずに伝えないともう先に進めないなと。
話をしたことで変わった関係性。新たな仕事のやりがいを感じた
話し終わるころには、「あなたがどういう人間かよくわかったし、本当に悪かった。今後は協力する」と謝ってくださったんです。翌日、関係者全員が集まるミーティングに呼ばれ、そこからチームの雰囲気も接し方も一気に変化。
アメリカからの帰国時に空港で見送る際も、選手やコーチ陣が私の手に香水やらチョコレートやらギフトを置いていくんです。私が感動したのはもちろん、状況を見ていた上司や強面の警備スタッフも涙ぐんでハグしに来るくらい(笑)。
3年後の第2回大会では指名を受けて再度ご一緒し、いい時間を過ごせたことは得がたい財産です。新たな仕事のやりがいを感じ、もっと直接対話できるようにと韓国語の勉強も始めました。
壁にぶつかったときこそ、社会のために自分は何ができるか考え続けて道を選ぶ
ナンバー2のポジションに就いたのは、2010年、30歳のころ。直後に起きたのが東日本大震災です。経済は大変な状況でしたが、社会奉仕活動を続けてきた自分の力が何か役立つかもしれないと思い立ちました。
まずは個人でヘドロ除去や家屋の片づけなどの支援に出向き、会社としてもサポートしましょうと発信。社員を1名連れ、被災した東北3県を縦断し、何ができるかを探し始めました。
野球関連の施設や団体を何十か所と回ってお話を聞くうちに、「地震であちこち壊れたけれど、津波の直接的被害を受けていないので政府の補助金が受けられない球場がある」と。それが、自衛隊の拠点として活用された石巻市民球場でした。
「ぜひ支援させてください!」と、MLB本部や選手会から総額1億円以上の寄付を集めて修復を実現。継続的なサポートのひとつとして、私たちが主催するリトルリーグの大会「MLB CUP」決勝戦の会場としても利用し、毎年全国から何百人という方が訪れてくださっています。
リーマンショック後の激動に加えてメンバーの退職が続き、たびたび「辞めようか」と揺れていた私が、今いる場所でも自分の目指していた社会貢献ができるんだと発見し、踏みとどまることができた転機でもあります。
MLB JAPANの代表に就任。絆を強めるスポーツの力で、世界を元気にしていきたい
2019年からは、MLB JAPANの代表を務めています。実は打診を受けた際、一度お断りしていまして。経験値も知識も未熟な自分にはとても全うできないと思ったんですね。しかも第2子である娘を出産したばかり。
ただ、私が引き受けなければ外部から来る人に任せることになる。最終的には、同僚たちと汗水垂らして築き上げてきた事業や環境を守るには自分がやるしかないという境地に。
幸いなことに、35歳で産んだ息子も含めて、育児をサポートしてくれていた両親や姉弟にも「みんなで助けるから挑戦してみなさい」と背中を押してもらい、決断することができました。
無理をすれば、周りにも我慢させてしまう。肩の力を抜いてラクをすることも能力
役職柄、スポーツ界に限らずトップリーダーにお会いする機会も増えました。ある方には「常に120%で頑張ると倒れてしまう。肩の力を抜いてラクをすることも経営者の能力」というお言葉をいただいて。
私が無理をしているがために、周りにも我慢させてしまう。ハッとして、今まさにライフスタイルを見直している最中です。特にここ4〜5年、ただただ走り続けて目標を見失っていましたが、最近ようやく心身に余裕が生まれるようになり、この先の人生が楽しみになってきました。
自分を飾らず、「わからないから教えてほしい」と後輩にも学ぶ
近年のMLBでは、オフィス業務だけではなく、球団の編成や監督、フィールドでの指導などに携わる女性が増え、現在15名が活躍しています。
私自身は代表には力不足でまだ恥ずかしい気持ちですが、自分を飾っている場合ではないので「わからないから教えてほしい」と、後輩にも学ぶようにしています。
第1回から携わったWBCも、今年はMLBのスターがそろう大型イベントへと成長しました。今後も野球の競技人口やファンの方を増やすという課題に多角的に取り組みつつ、絆を強めるスポーツの力で世界を元気にしていきたいです。
見逃せないスター選手が集結! MLB2023が開幕
アメリカ現地時間の3月30日(木)に、メジャーリーグの開幕戦、全15試合がプレイボール。10月まで続くレギュラーシーズン中、全162試合を戦う。昨年活躍した大谷翔平選手、ダルビッシュ有選手に加え、レッドソックスの吉田正尚選手、メッツの千賀滉大選手、アスレチックスの藤浪晋太郎選手にも注目を!
2023年Oggi5月号「The Turning Point〜私が『決断』したとき」より
撮影/石田祥平 構成/佐藤久美子
再構成/Oggi.jp編集部
川上紗実(かわかみ・さみ)
1980年、石川県金沢市生まれ。神奈川県横浜市育ち。メジャーリーグベースボール ジャパン(MLB JAPAN)マネージングディレクター。米国Salve Regina Universityにてビジネス学部マーケティング学科卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科(現:経営管理研究科)にて経営管理修士(MBA)を取得。2004年にメジャーリーグベースボール(MLB)の日本オフィス立ち上げメンバーとして入社して以来、15年間にわたり会社の経営全般に携わり、2019年より代表を務める。