▶︎前回の記事はこちら
ロンドンの冬は長い
クリスマスが終わると、街並みからキラキラが消えて寒さとどんよりとした天気が残り、長いロンドンの冬の続きが始まる。
そんな冬の重さに押され気味だった私は布団の中で過ごす時間が増えていた(そしてOggi.jpでの連載をサボタージュしていた)。こんなことではいけない。布団から這い出て、同居する犬をなでるだけの日々を変えなくていけない。
告白すると、私にはイギリスで叶えたい大いなる野望があった。もう一度、モデルの仕事がしたいのだ。
3日間で17社の面接を受けた過去
大学生から25歳頃まで、私は芽の出ないモデルとして芸能活動を続けていた。24歳頃に始めたアルバイト代わりのライターという仕事が増えるにつれ、自分の適性や情熱をどこに傾けるべきかこんこんと考え、転がり始めたライターや編集の仕事に注力すると決めた。
当時、事務所は既に退所していたからモデルの看板を下ろすのはあまりに呆気なくて、こだわっていたのは自分だけだったのだと気づいた。自分の心に決着をつけた瞬間、これが夢を諦めるということかと思った。あの胸のギュッとする痛みはまだ忘れられない。
実は23歳になる頃、一度ロンドン旅行のついでにモデルエージェンシーを回ったことがある。
海外の事務所は、オープンコールといって志望者の応募を受け入れる時間をとっているところが多い。書類審査を通さず事務所の人間に飛び込みで直接会うことができるwalk inは、多くの志望者にとって大きなチャンスだ。
ブックと呼ばれる写真が詰まったポートフォリオを背負って、ケイト・モスを輩出した名門モデルエージェンシー・STORMのインターホンを押した。もうモデルを続けることを誰かに否定してもらいたかった気持ちがあったのを覚えている。可能性がないんだと誰かに終わりにしてもらいたかった。そうじゃないと、亡霊のような「まだやりきっていない」という気持ちに取り憑かれてどこにもいけなくなりそうだった。
妙な期待とは裏腹にSTORMは丁寧に対応をしてくれた。ガチガチに緊張する私からブックを受け取って、1枚1枚ページをめくった。どんな仕事をしたいのか聞かれて、最後に身長を測って「あなたはうちで仕事をするには背が小さすぎるけど、他の事務所なら可能性があるかも。Good Luck!」と、STORMと同じ連盟に加入しているエージェンシーのリストを渡された。
私はそれに従って、次々とエージェンシーのドアを叩いた。「東京から来た!」というと、「うちには日本人のモデルはいないの」と門前払いをくらうこともあったけれど、ほとんどの事務所はブックを丁寧に眺めて私の話を聞いてくれた。そして「Good luck」と新しいリストを渡された。その繰り返し。
このとき私は3日間で17社の事務所を回った。17社目のある事務所が「ロンドンに住んでいて、働けるビザがあるなら所属できるよ」と言ってくれた。一番いい返事だった。
今思うと正気の沙汰ではない。だけど「異国の地で自分はこんなガッツを見せることがあるのか」と不思議な感動があった。言葉もままならないなか、こんなチャレンジができるなら日本に戻ったらなんでもできるような気がするとも思った。
2年間イギリスで働けるVISAがある幸運さ
ロンドンに住む、ビザを取得する、ということは思い切りとお金と運が必要だ。それが現実的ではなかった当時から長い時間が過ぎて、その間にコロナ禍があり、私はビザを片手にロンドンに住んでいて、walk inを受け付けている事務所は激減したけれどゼロじゃない。
二兎を追う者は一兎をも得ず。そう思っていたけれど、ロンドンにいる間くらい夢を見てもいいはずだ。
あの頃、私がモデルを終わりにしようと思ったのは、ライターとしての自分にまだ自信が持てなかったからだ。
現在29歳、この仕事を始めてもう5年。ライターとしてプロの仕事をしているという自負と、一人前のフリーランスだという自覚がある。今モデルの仕事をしたからってライターとしてのスキルが落ちるわけではない。今更ふらりと海外生活を始めてしまったと思っていたけれど、少しばかりの貯金と仕事先がある今だからできたことなのだ。
ロンドンに住んでいて働けるビザがある。布団に転がっている場合ではない。あまりに長い時間が経ってしまったのと、OKをくれた事務所が今はwalk inを受け付けていないことから、まずはまたゼロからwalk inが可能な事務所を訪れることにした。
#13につづく
小西 麗
1993年生まれ。日本女子大学卒業。モデルを経て、編集者・ライター。雑誌媒体を中心にインタビューや特集記事を作成。「男性同士のアツい関係」の意であるブロマンス好きが高じて、コラムの寄稿も。2022年、YMSビザで渡英。現在ロンドン在住。
Twitter