“本当に必要なもの”だけスーツケースに詰め込む
荷造りをしながら呆然とする。2年間外国で生きるために必要なものってなんだろう?
ここ数日、美容液一本、ヒートテック一枚、歯ブラシ一本を持っていくべきか否か考え続けてうんざりしている。物価上昇に加えて、記録的な円安状態。スーツケースにぎゅうぎゅうになったすべては、全部本当に必要で、実際は何もいらないような気もする。
日焼け止め一本、リップ一つ、靴下一足と睨めっこするうちに、なんだかわからなくなってきた。日本でしか手に入らないものなんて、きっと一つもないのだ。
自分にとって本当に必要なものについて度々考える。なんでも持っているようで何も持っていない。今、私の手の中にあるのは、イギリスでの就労ビザ2年分と、ヒースローへの片道航空券、airbnbで取った1ヶ月弱の宿だけ。
「まだこれからなんでもできる」29歳
29歳。「まだこれからなんでもできるね」という言葉に曖昧に笑い返すことしかできない。知り合いもいないし、コネもツテもなく、仕事のオファーがあるわけじゃない。そんな状態でもイギリスに2年住むことが許されたのだから、たしかに、なんでもできるのだと思う。
「20代でしかできないことってなんだろう?」の答えは、私にとって『外国に住むこと』だった。私が手にした英国での就労ビザはYMSというもので、18歳から30歳までに応募資格を与えられる、2年間のフルタイム労働可能な自由度の高いビザだ。応募資格は本当に年齢制限だけと言って過言ではなく、イメージはワーキングホリデー、いわゆる“ワーホリ”に近い。
イギリスで就労ビザを得るハードルは高いそうで、気軽に応募できるYMSビザの倍率は必然的に上がる。コロナ禍以前は「宝くじに当たるようなもの」だと聞いたことがあった。
もともとヨーロッパに住むことに、漠然とした憧れがあった。だけど、東京でフリーランスの編集者・ライターとして働く日本語に依存した私が、今後『外国に住む』可能性はほとんどなかった。
29歳。ワーホリに応募できる期間はあとわずか。『外国に住んでみたい(できればヨーロッパがいい)』を叶えるなら、これが最後のチャンスなのかもしれない。
フランスやドイツの街並みは美しいけど、ほぼゼロから新たな言語を取得し、生活するのは厳しすぎる。せめて英語、となるとやっぱりイギリスか?
イギリスは特に倍率が高いと聞いたことがあるから、あまり期待せず、当たったときに考えればいい。
応募メールは数週間後、私に渡英の決断を迫ることになった。
やりたいことをやる、というリスク
私の人生は、多分これまでずっと「やりたいこと」にチャレンジしてきた。叶ったこともあるけど、叶わなかったこともたくさんあった。「やりたいこと」にはリスクが伴う。時間や機会、お金、労力、いろんなものを賭ける必要がある。やりたいことを全部やる、それは素晴らしく聞こえるけど、それって本当に幸せにつながってきたのかな。随分遠回りしたり、無駄足を踏んだり、自分を納得させるために茨の道を選んできた気がする。
29歳。女という性に生まれた私たちの幸せの形は無限だ。だからこそ悩む。私、まだこれから遠回りしたり、無駄足を踏んだりする気力と体力と時間、ある?
だけど、そもそも私がほしい幸せってどんな形だろう。やりがいのある仕事、条件のいい結婚、充実した家庭?
もう自分探しという歳でもない。私は私のことをそれなりにわかり始めたつもりだ。だけど、ときどきわからなくなる。今がそうだ。日本でしか手に入らないものが一つもないのと同じように、イギリスでしか手に入らないものだってきっとないのだと思う。
荷造りをする私の正直な気持ちは、「行きたいけど行きたくない」。本当のことを言うと、期待より不安の方が大きい。誰かに必要とされて移住するわけじゃないし、英語だって旅行で困らないくらいしかできない。だけど、東京に残らないといけない強い理由がないことにも気づいてしまった。行かなかったらきっと私、イギリスに行く決断ができなかった自分を許せなくなる日がくる気がする。
29歳。私は2年間イギリスで暮らすことに決めた。
#2につづく
小西 麗
1993年生まれ。日本女子大学卒業。モデルを経て、編集者・ライター。雑誌媒体を中心にインタビューや特集記事を作成。「男性同士のアツい関係」の意であるブロマンス好きが高じて、コラムの寄稿も。2022年、YMSビザで渡英。現在ロンドン在住。Twitter