旅館女将・経営者 宮﨑知子さんインタビュー
エンジニアの妻になったつもりが2児の母にして旅館の女将に。倒産寸前の危機も、30年働けばなんとかなると思えた
一般企業の営業職として働き、29歳のときに自動車メーカーのエンジニアだった夫と結婚。まもなく切迫早産で長期入院することになり、通勤も普通の生活もままならなかったため、一旦キャリアを終える選択をしました。それまで大きな病気やケガもなく、まさか自分が! と衝撃でしたね。
第1子が無事に生まれた2年後、第2子の出産間近にさらなる衝撃がやってきます。神奈川・秦野で100年続く老舗旅館『陣屋』を営む義父が亡くなり、10億円の借入金があることが判明。しかも夫が連帯保証人になっていると。義母も看病疲れから倒れてしまい、私たち夫婦が後を継ぐことになったんです。
ふたりともまったく想定していない人生でしたから、初めはM&Aを検討したのですが、当時はリーマンショックの直後。たいてい断られるか、買取金額1万円で負債だけ残る条件を提示されるなど散々で。考えてみれば、10億円ってサラリーマンの生涯賃金を超えていますよね。まだ幼い子供たちに借金を負わせるわけにはいかない。もうこれは、「旅館」と「人材」という残された資産から何かを生み出して、価値を増やして返すしかないな、と腹を括りました。
ただ、夫は幸運なことに「希望の会社でなりたい職種に就けた」人。責任あるプロジェクトリーダーも任されていたので、その道をあきらめて大丈夫かな? と心配していました。でも、3日ほど悩んで「陣屋は僕しかいないけど、会社は技術者が1000人いるからなんとかなるよ」と決断して。私自身も、60歳定年とするならあと30年働ける、なんとかなるんじゃないかと(笑)。あのとき私たちの唯一の武器は、若さでしたね。
IT化、マルチタスク化、週休3日。業務改善で、コロナ禍でもタフなチームに
いざ女将になってみると、マネジメントをあまり経験せずに来てしまったので最初はなかなかうまくいかなくて。指示の出し方が難しく、自分で動いたほうが早いなとやってしまうんです。1万坪もの敷地内すべてには目が届かないので、もちろん仕事が回りません。スタッフが指示を待って動くだけでなく、自分で最適だと思う判断ができるように、全員と面談して「どんな旅館を目指すのか」というクレド=共通の信条を掲げることから始めました。
あとは情報共有などバックヤードの業務をIT化で圧縮して、お客様をお迎えする時間を確保するべく体制を見直し。私たちが着任するほんの10年前まで、あらゆることが手書き台帳だったんですよ(笑)。しかも分業制で、料理を部屋の前まで運ぶだけの係、炭火をおこすだけの係、さらには入口の陣太鼓を鳴らすだけの係までがいました。
これではやはり非効率で、マルチタスク化を進め、担当の壁を越えて仕事ができるようにしなくてはと。昔ながらのやり方を変えたくないという人もいましたが、インカムから導入し、タブレットでお客様のリクエストやアレルギーの有無、館内の状況まで即時確認できるようになると、反応が一変。ひとりで複数の仕事を効率よくこなせるようになり、他のスタッフのサポートにも自発的に動けるんですね。
このシステムは夫が開発した『陣屋コネクト』というクラウドアプリで、私が現場で運用しながら使い勝手を改善していきました。現在では、予約・顧客情報から、各設備や清掃の状況、勤怠・経営・マーケティングの一元管理が可能に。外販して全国の旅館やホテルをサポートさせていただく、新規事業となりました。サービス業未経験ゆえのお𠮟りもいただきましたが、だから気づけることも多く、会社員時代同様にわからないことはどんどん聞きに行くスタイルで、ブラッシュアップしていきました。
平日に一部休館して週休3日を取り入れたのは、後を継いで3年たち、黒字化してきたころ。従業員のみんなに疲れが見えるようになっていました。「倒産させない」という一心で、がむしゃらになんでもやるという方針についてきてくれたメンバーに、なんとか還元したいという思いでしたね。お給料を毎年少しずつ上げていく体制は維持しながら、週休3日にしました。「うまくいかなければまた働けばいいや」と試したところ、スタッフの心身の負担が減り、余裕のあるサービスを提供できるのでお客様にもご満足いただきリピートにつながって。
実は、この仕組みがコロナ禍でも下支えになりました。少数精鋭で平日の稼働を減らし、10年間業務改善してきたこともあって雇用を維持できています。旅館って取引先がすごく多業種にわたっているので、客室数20と小規模な陣屋であっても、月々の取引先が100社以上あるんですよね。私たちの後ろには事業を支えてくださる方がたくさんいて、予約が入れば一緒に喜んでくださる。スタッフも働けることの尊さを、この1年半でみんな痛いほど感じていて。私自身も「忙しいって楽しいね!」という姿勢で向き合っています。
エンジニアと結婚したつもりが、突然夫婦で旅館を営むことになり、自分にできるのか、合っているのか、好きか嫌いかさえも選択する余地がない一本道でした。外では話せない心配事が多く、当初2年間ぐらいはお互いがお互いをサンドバッグにしてしまったことも。共につらい時期を乗り越え、私は0から1を生み出すことは苦手だけれど、夫がつくった1を5や10にしていくことはできるのかなと感じています。
2022年は、事業継承した長野の旅館がリニューアルオープンします。『陣屋コネクト』を活用してくださっていた創業130年の緑屋旅館さんが、「後継者はいないけど名前を残したい」と相談をもちかけてくださって。今、観光地では投資目的で外資に水源や源泉などの地域財産を買い占められてしまうなど、さまざまな問題が起きています。温泉の継承は通常は親族間のみに認められていて非常に難しいのですが、自治体や旅館組合、観光協会が応援してくださり、これはお役に立ちたいなと。
昨今はおうち時間が増えていますが、家族で集まるとなるとホストの負担は大きいもの。面倒なことはスタッフにお任せいただき、一棟貸しで家族三世代でゆったり過ごしていただけるような空間を建設中です。同時に、人と非接触で素泊まりできる宿も開業、街のお店にも回遊していただけるような仕掛けで地域を活性したいですね。
旅行は衣食住に直結しないので、災害や緊急事態下ではどうしても後回しにされるものですが、その状態を抜けたときに、人が人として生活しうるのに大切な役割を担っていると思っています。エンターテインメントのように、心の安定や知的好奇心をもたらしてくれるもの。私たちも、そんな息吹を感じる時間をお客様に提供していきたいです。
2022年Oggi2月号「The Turning Point〜私が『決断』したとき」より
撮影/大社優子 構成/佐藤久美子
再構成/Oggi.jp編集部
宮崎知子(みやざき・ともこ)
1977年生まれ。陣屋代表取締役。大学卒業後、リース会社の営業職に7年従事し、結婚を機に退職。第2子出産後の2009年10月に倒産の危機にあった『鶴巻温泉 元湯陣屋』の女将に就任。夫とともに、分業制の廃止、ITを使った業務効率化を進め、少数精鋭でおもてなしができるシステムをつくり上げる。さらにブライダル事業を成長させ、週3日定休でも増益、従業員の定着率97%の優良企業に。自社開発のクラウド型旅館・ホテル管理システム『陣屋コネクト』は、全国で300超の施設で活用されている。2018年第2回日本サービス大賞総務大臣賞受賞。