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2022.04.16

不妊ピア・カウンセラーがたどり着いた〝普通という枠〟からの解放〈連載 ザ・ターニングポイント〉

選択の多い女性の人生に、決断は欠かせないもの。各界の第一線で活躍する先人たちは、どんなターニングポイントを迎えてきたのか。特別養子縁組で新しい家族を迎えた不妊ピア・カウンセラーの池田麻里奈さんにお話をうかがいました。〈第一線の女性たちもアラサーで「選んで」きた The Turning Point~私が「決断」したとき~〉

不妊ピア・カウンセラー 池田麻里奈さんインタビュー

「普通」の枠にさえ入れば呪縛から逃れて世間の雑音も消えて、ラクになれると思っていた

結婚したのは、28歳のとき。外資系企業の経理として働いていたのですが、夫が独立するタイミングだったこともあり、まずは家庭に集中して支えていこうと退職しました。「ここから新しい人生をつくっていくんだ! 次のステップは子育てだな」とワクワクした気持ちでしたね。

でも、現実は赤ちゃんを授かることができずに過ぎていく毎日。仕事では、失敗してもそれを糧にキャリアを積んで乗り越えてきたけれど、妊活では努力が通用しなくて。2年たって夫婦で検査を受けたのですが、明確な原因はわかりませんでした。

周りの同世代は出産ラッシュで、「まだなの?」「あなたも早く子供をつくればいいのに」とあちこちで言われます。私自身、風邪で会社を休んだこともない自分がまさか不妊だとは受け止められなくて、だれにどう相談していいのかもわかりませんでしたね。

子供がいないならずっと家にいてもな… 思い立ち、いずれ妊娠したときに職場になるべく迷惑をかけないように有期雇用の派遣社員で仕事を再開。育児情報誌や健康雑誌の編集部など、自分の興味の赴くまま職場を選べたのはアシスタント職ならではかもしれませんが、責任ある仕事を引き受けられないもどかしさもありました。

とはいえ、フルタイムで働きながらの不妊治療はなかなかに過酷です。体外受精となれば、月に何度も通院して筋肉注射の痛みに耐え、全身麻酔をする採卵で丸一日休まなくてはならない日もあります。自費診療ですから経済的負担も大きい。だからといって、成功が約束されているわけではありません。治療を始めてから5年の間には2度の流産、そして孫を切望していた父の他界を経験しています。

36歳のときには、人工授精で3度目の妊娠が叶ったものの、7ヶ月健診で「赤ちゃんが動いていません。亡くなっています」と告げられて。死産の末、冷たく眠る赤ちゃんを抱きながら夫と一緒に泣き明かしました。期待しては喪失をくり返し、心も体も疲れ果てていました。

“産むこと”への期待から解放されて“育てること”への幸せにたどり着いた

不妊ピア・カウンセラーとして開業したのはそれから2年がたったころ。「ピア」とは仲間、同じ経験をした人には相談者が心を開きやすいという観点からアメリカで広がったサポートのひとつです。

養成講座では、不妊がなぜつらいのか心理学の見地から言葉にしてもらえたことで、自分のつらさがひもとかれていく感覚で、私にとって初めての光でした。当初は、友達の妊娠すら喜べないほど人が変わってしまった自分をどうにかしたいという一心でしたが、半年くらい学ぶと、ひとり孤独に悩んでいる女性たちにも知ってもらいたいと思うように。自分はまだ解決の道半ばだったけれど、支える側へと進んでみることにしました。

ずっと「自分は欠落している」と思って生きていた30代。変わるきっかけをくれたのは、死産後の社会復帰で始めた、子供の声を聴くボランティアのメンバーです。大学生から70代まで参加する中、だれひとり「お子さんは?」と聞いてこないどころか、「40歳なんて人生これからね!」と言ってくれるんです。

それまでは「1日でも早く」と爆弾でも背負っているかのようにタイムリミットを意識して心臓が苦しい感じ。今世の人生だいたい決まったと思っていたのに、「これから」と言ってもらえたことが本当にうれしくて。何かにつけ「私、子供いないんで」と言い訳のように口にしていたけれど、子供がいる・いないで線引きすることなく認めてくれる人たちの中にいると、「そのままの私でいたらいいんだ」と心から思えるようになりました。

そうやって自己受容が始まると、自分のことを人に話せるようになるんですね。匿名でピア・サポートの活動をしていたのですが、夫が「名前も顔も背景もわかったほうが相談しやすいんじゃない?」と助言をくれて、いいことだけじゃなく妊活中に夫婦がすれ違っていたことも含めてリアルに公開して、本格的に相談を受けていこうと決めました。クライアントさんからも、治療だけではなく夫婦関係についてご相談を受ける機会が増えていきましたね。

特別養子縁組で息子を迎えたのは44歳のとき。不妊治療を優先して後まわしにしてきた子宮腺筋症が悪化し、子宮全摘の手術をしたことが後押しになりました。わずかに残っていた〝自分で産む〟という期待から解放され、産めないけれど育てることはあきらめたくないという思いがより鮮明に。夫も受け入れてくれました。

もちろん、養親は希望すればなれるものではなく、しっかりとした研修を受け、あっせん団体のサポートや実親さんの決断があってのこと。そして、普通ではない選択をした私たちを応援してくれる家族や仲間たちの存在にも助けられています。

息子のお世話に明け暮れて食事さえままならなかった乳児期には、おいしいお惣菜をたくさんもって手伝いに駆けつけてくれ、顔を見せに行けば抱っこリレー。養子という区別なく、詮索することなく、赤ちゃんを迎えたことをただただ一緒に喜んでくれました。血のつながらない子を愛せるのだろうかという不安は息子を初めて迎えたその日に消え去り、自分自身の成長や達成とは違うこんな幸せがあるんだ、と日々感じています。

「普通は結婚して子供を産むでしょう」といういつ刷り込まれたかもわからない「普通」の枠。その枠の中にさえ入れば呪縛から逃れて世間の雑音も消えて、ラクになれると思っていたのですが、どんな人でもどんな家庭でも苦労はある。普通なんてないんだと気づいたことで、いろいろな選択ができるようになりました。

なぜお母さんになりたいのかは、自分の生い立ちまで掘り下げて問い続けました。私の場合は父子家庭で育ち、母親は自由を選んでいなくなってしまった人だったので、困ったときに親に隣にいてほしかったという強い気持ちがありました。ボランティアや里親は期間限定。継続して間近で見守る親になりたかったんですね。すべては今したいことにつながっていて、それには自分だけの理由がある。根源を見つけて進むと、迷いが消えるんだと身をもって知りました。

息子はもうすぐ2歳。今は目の前のことに家族で取り組むのに精いっぱいですが、どうすれば養子が社会で生きやすくなるか考え続けています。奥底にあるのは〝すべての子供に家庭を〟という願い。発信を続けていくことで、社会的養護が必要な子供たちを施設ではなく家庭支援で育てるイギリスのようなしくみが日本でも浸透する一助になればと思っています。

2021年Oggi8月号「The Turning Point〜私が『決断』したとき」より
撮影/大社優子 構成/佐藤久美子
再構成/Oggi.jp編集部

池田麻里奈(いけだ・まりな)

1975年、東京都生まれ。「コウノトリこころの相談室」主宰。家族相談士。30歳から10年以上不妊治療に取り組む。死産を経て、2012年から不妊ピア・カウンセラーとして活動を始める。’17年、東京から鎌倉へ移住した後、子宮腺筋症で子宮全摘手術。’19年に特別養子縁組によって養子を迎える。全国から寄せられる不妊、流産・死産、特別養子縁組にまつわる相談を受けながら、メディアや大学などで講演活動も行う。


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