韓日翻訳家・編集者 岡崎暢子さんインタビュー
「今日から、必死に生きないと決めた」その言葉に、自分をすり減らす毎日から抜け出した
美大でデザインを学んだものの、バブルがはじけた直後の氷河期世代。就職活動はうまくいかず、しばらくは設計事務所や舞台の大道具など、学生時代のバイト先を頼って非正規で働きながら過ごしていました。
20代半ばになっていよいよ社員として働ける会社を探すのですが、なぜかことごとくブラックで(笑)。入って2ヶ月で所属部署がなくなってクビになったり、がらんとしたオフィスに机と電話しかなくて怪しげだったり。ひとり暮らしで切羽詰まっていたし、もうデザインが関係なくてもなんでもやろうと思って応募したのが、とあるバイク便の会社。話を聞くと、人材派遣事業もやっているから、出版社で広告の進行管理をやらないかと紹介してもらいました。それが旅行ガイドブック『地球の歩き方』の広告部の仕事だったんです。
担当は、アジア・アメリカ。韓国も含まれていました。ちょうどそのころ、H.O.T.という韓国アーティストにハマったのを機に、週に1回韓国語教室に通い始めていまして。当時、地球の歩き方には『成功する留学』という部署があって、会社の方が「韓国留学したいんだったら手伝おうか?」と申し出てくださったんです。推薦状は社長さんが書いてくださって。当初は思ってもみなかったことですが、先に留学した友人に学費と生活費でひとまず100万円あればなんとかなると聞いて現実味が増しました。といっても、20代派遣社員のお給料では全然足りず、夜は居酒屋さんでバイトする生活。さらに友達が厚意で貸してくれたお金を足してなんとか間に合わせ、3年間お世話になった職場を辞めて、高麗大学の語学学校に入りました。
韓国での生活と仕事
30代からは韓国語を使って仕事をしたいと思って決めた29歳での留学。韓国は数え年なので現地では30歳の扱いです。年功序列がしっかりしているので、歳の差がある在校生には気を使われましたが、困っている人にすぐ手を差し伸べる文化は、韓国の人の大きな魅力。私もたくさん助けられました。この10数年で日本のようなおひとりさま文化が芽生えて変わったところもあるけれど、当時は自分と人の境界線がゆるくて混じり合っているような感じ。出かけると「どこ行くんだ」「何してるんだ」とよく世話を焼いてもらいましたね。
1年学んで日本に帰ってからは、韓国系出版社でデザイナー兼編集者として働くことになったのですが… またしてもブラック企業(笑)。私を含めて社員が数人いたのに、社長がお給料も払わず高飛びしてしまったんです。ある日、職場のみんなで残業していたら、コワモテのおじさんたちが入ってきて「社長どこだー!」って大騒ぎ。先輩は、「もう絶対給料もらえないから、私、このコピー機もらってくわ」ってゴロゴロ転がして運んでいくし、なかなかパンチの効いた思い出になっています(笑)。
そこから40代前半まで、数社の出版社で韓国語学習誌の編集や、韓国映画やドラマの関連本を探して編集する仕事をしていました。翻訳チェックなどで原文とほかの人が訳した文章を読み続けるうちに、「自分ならこういう言い回しにしたいな」と感じることが増えてきたんですね。日本語の推敲と似ている。視点や方法を活かせば、もしかして私にもできるかも? と。
翻訳をやりたいなと思い始めていたころ、出張で訪れた現地の書店で出合ったのが、韓国のベストセラーエッセイ、『あやうく一生懸命生きるところだった』です。長く売れていて目立つところに積まれていたのは認識していたものの、実際に手に取ってみたら、序章の「今日から、必死に生きないと決めた」というフレーズに心をつかまれて、ワーッと一気読みしてしまったんです。「たしかに、私はなんのためにこんなに苦しい思いをして働いているんだろう」と思い立ち、会社を辞めました。
いつも中途採用で人が足りないところに入るものだから、仕事が忙しいわりにひとりでやるしかないという役回りが多かったんです。周りのすすめもあり、40代で契約社員から正社員になったのですが、自分で自分を追い込んでしまった。数字を上げなきゃと、大変な業務の工程を圧縮して工夫しながら生産性を上げたら、生じた隙間にまた仕事を振られるように。自分でもまだ頑張れると思って挑戦したけれど、際限がなくてどうにもつらい。最後のほうは、心と体が疲れきって朝の通勤電車に乗れなくなっていました。
〝みんなと同じ〟を求めて苦しむより、〝他人と違う自分〟を認めて心地よく
退職後まもなく、「『あやうく一生懸命生きるところだった』が日本で出版されるから下読みしてほしい」と、声をかけられたときは驚きましたね。「私、もう読んでます!」とふたつ返事でOKして要約書を出したものの、結局、そのときは結実しなかったんです。残念だけどしょうがないなと思っていたら、版権を獲得したダイヤモンド社さんが翻訳者を探していると教えてもらって。実はあちこちで、「こういういい本があって、翻訳したかったけどダメだったんだよね」と話していたんです。つないでくださったのも、その中のひとり。信じられない思いでしたが、やりたいことや好きなことを口に出していたおかげか、翻訳の道が開けていきました。
本作の中で影響を受けた言葉のひとつが「すべてが自分の選択にゆだねられると考えるのは実に傲慢だ。」です。たとえば、面接で落ちたら、特に若いときは自分がダメなんだと思ってしまいますよね。でも、採用する立場になると、実家暮らしだとか体力がありそうとか、能力や人柄以外の側面を重視するケースもあるとわかる。世の中って、たまたまのめぐり合わせで成り立っていることが実は多い。著者のハ・ワンさん自身は30代で身を粉にして働いた方。努力してできることはやったうえでたどりついた境地は説得力があるし、気持ちをラクにしてくれます。
ハ・ワンさんの作品で一貫しているのは「だれが決めたかわからない〝普通〟って何だ?」「客観的な視点ではなく、主観的に生きてみたらどうだろう?」という主題。人はみんな違う、と昔から世界中で言われているのに、日本や韓国ではみんなと同じにならないと「変な人だ」と思われがち。でも、本来はみんなだれかにとっては理解できない変人。そう考えると人に優しくなれるし、多様性を認めるには、〝他人と違う自分〟も認めることが大事だと感じます。
たくさんの共感の声をいただき、おかげさまで新たな仕事につながっています。今後の抱負は、現状維持(笑)。バランスを取りながら波に乗っていかなくてはいけないので簡単ではないですよね。波から落ちてしまっても、どこかに流れ着くから大丈夫と思いつつ翻訳を続けていきたいです。
2021年Oggi7月号「The Turning Point〜私が『決断』したとき」より
撮影/相馬ミナ 構成/佐藤久美子
再構成/Oggi.jp編集部
岡崎暢子(おかざき・のぶこ)
韓日翻訳家・編集者。
1973年、熊本県生まれ。女子美術大学芸術学部デザイン科卒業。10代から韓国語に興味をもち、出版社などでの勤務を経て29歳で韓国留学。高麗大学などで学ぶ。帰国後、韓国人留学生向けフリーペーパーや韓国語学習誌、韓流ムック、翻訳書籍などの編集を手がけながら翻訳に携わる。訳書に、『あやうく一生懸命生きるところだった』(ダイヤモンド社)、『頑張りすぎずに、気楽に』(ワニブックス)、『自分をすきになる こころの練習帳』(小学館)など。