相手に「察してほしい」というのは無意味
恋人同士やパートナーと、ほんの些細なことで険悪になったり、ケンカになってしまうことってあります。
「私はこんなにあなたのために○○しているのに、あなたはどうして何もしてくれないの」あるいは「こっちだって忙しいんだから、これくらいやってくれてもいいじゃない?」なんて具合に…。では、お互いが上手に折り合うためには、どうしたらいいの?
こういう些細な言い争いって、トゲになって後々響くのですよね…。でもこの問題への対処としては、相手に自分の要求を「率直」に伝えることだと思うんです。ところが、私たちはなかなか率直になれないものなんですね。相手のことをまるで「気の利かない冷たい人」であるかのような、“決めつけ口調”になってしまいがちです。
自分の要求を相手に伝えることに成功したいなら、お互いが落ち着いて話し合える時間とタイミングをはかって、自分の要求をあくまで素直な“お願い口調”で伝えることです。
でも今回はこの対処法についてというより、相手に「思いをおしはかってほしい」「察してほしい」という思いが募ってしまうことについて話を掘り下げてみますね。
名越さんが回答「我慢してやっているのだから、そこを察してほしい… というのは当然の思い」
先日僕のところに、同じような問題を抱えた女性が相談にきたのですが、彼女は「自分の感情ばかりを優先して、相手のことを非難することばかり考えていました。問題解決については、深く考えていなくて…。自分は感情に振り回されてばかりの、ひどい妻だ」と言うのです。
でも、そこで自分を責める必要はひとつもないと伝えました。なぜなら、自分は我慢してやっているのだから、そこを察してほしい… という思いはだれにでもあり、それ自体は当然のことだから。
でも「わかってほしい」という一途な感情は、相手に「わからせてやる」という、勝ち負けを競うような気持ちにいつのまにか変質するのです。これを専門用語で“権力闘争”といいます。
そもそも、人間の気持ちは本質的にはわかり合えないもの。「それって絶望的じゃないか」と思われるかもしれませんが、それは事実としてそうなだけであって、決して絶望的ではありません。
なぜかというと、「感情は一瞬ごとに変わるもの」であるから。自分の感情でさえ目まぐるしく変わるものなのだから、相手の気持ちをわかることなんて簡単にはいきません。それがわかって初めて、相手の考えを冷静に聞こうかな、というちょっと謙虚な気持ちになっていけるんですね。
相手が自分のことをわかってくれているだろう… というのは実は幻想。もし、心をモニタリング(観察)したいと思ったら、お風呂でバスタブに浸かりながら、目を閉じて胸の奥をのぞいてみてください。
「幸せ」「不幸」「焦り」「不安」が、目まぐるしく駆け巡る様子が垣間見られると思います。そこで心は変わり続けるものだと実感できたとき、あなたに小さな変化が訪れるはずです。
2019年Oggi3月号「名越康文の奥の『ソロ』道」より
イラスト/浅妻健司 構成/宮田典子(HATSU)
再構成/Oggi.jp編集部
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名越康文(なこし・やすふみ)
1960年、奈良県生まれ。精神科医。臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など幅広く活躍中。著書に『SOLO TIME「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』(夜間飛行)ほか多数。