絶大な刺激! 壮絶なアメリカ生活スタート!
まだまだ秋の涼しさを日本で楽しんでいたのに、10月末のN.Y.はしっかり寒かった。フライトの疲れを引きずりながら、仮住まいへと荷物を移動させ、家主の裕福そうな白人夫婦に拙い英語で挨拶し、ふぅと我に返った。「とうとう生活が始まった」近くのスーパーでケチって買ったサンドイッチはまずくて、日本のコンビニ飯の旨さを早速懐かしく思ったりした。
◆こんなはずじゃなかった… 壮絶なN.Y.生活のスタート
N.Y.2日目から早速物件探し。日本から連絡を取り合っていた不動産ブローカーの女性と落ち合い、マンハッタン中を歩いて内見する。この時は「35歳でシェアハウスなんて到底耐えられない」と、一人暮らし用のワンルームを希望した。入り口にドアマンがいて、なるべくセキュリティが整ったところを。
一軒目、バスタブなし、もちろん洗濯機も置けない、狭い部屋が月に$2900。立地とセキュリティを優先するとマンハッタンはこうなる。二軒目、エレベーターなし、5階の部屋に入ったら現在住者のペットが排泄しまくっていて、ブローカーと目を見合わせて、10秒で内見終了。月額$2300。分かっていたけど、この環境でこの値段かよと目を覆う。何軒見ても唖然となった。
とぼとぼ部屋に戻り、夫に電話した。安心して住める部屋さえも借りられないかもしれない自分を想像して、「あたし、これで良かったんだよね?」と思った瞬間に涙が溢れてきた。夫は2日目から泣く私に驚愕していたが、泣いても泣いても不安は減らなかった。10代に戻ったような、そんな不安定な気持ち。これ以上、暗い気持ちになりたくなくて、夜8時に寝た。
翌日、部屋探しを続けながら、ソーシャルセキュリティナンバー(SSN)の申請に向かった。整理番号を呼ばれたので窓口に行くと、ラテン系のおばさんに大声で怒鳴られた。
「何回も呼んでるのに何ですぐ来ないの! どうせ携帯ばっか見てたんだろ!」
呼ばれた瞬間、向かったのに、謎すぎる恫喝。機嫌が悪かったのか。英語が下手だと、言いがかりに文句もうまく返せない。「Sorry」と謝るしかなかった。
また泣きそうになったので、家でお風呂に浸かって元気を出そうとしたら、なぜか、ぬるま湯しか出てこず、白人夫婦は外出してるし、イライラが募る。早速、この街が嫌いになりそうだった。キッチンから鍋にお湯を入れて、20往復してお風呂を溜め、疲労困憊の半身浴。
もはや、全てがネタだ。こんなはずじゃなかった自分ばかりが現れてくる。ダサくて、情けなくて、あたふたしっぱなし。これが1週間は優に続いた。
街を歩けば、奇声を発する薬物中毒者が平気でいるし、地下鉄では浮浪者にお金をたかられるし、毎日鍋でお湯を運ばなきゃいけないし…。六本木のオフィスで気の知れた仲間と働き、夜は広尾でおしゃれなイタリアンへ行き、湾岸沿いのタワマンで暮らしていた1週間前の自分がもはや他人だった。
◆絶大な刺激! 私を高鳴らせるこの世界こそN.Y.だ!
一から人生が始まった。そんな感覚すら覚え、開き直る以外に道はない。そんな折、私を雇ってくれたオーナーから連絡が来た。急用が出来てしまったので、自分が行くはずだったパーティーに代わりに行って欲しいと。何のことやら訳が分からないまま、オーナーに言われた通りにヒルトンホテルに向かった。
会場に入った途端に、何だか場違いなところにいることだけは分かった。N.Y.の日本商工会議所が主催する、年に一度の盛大なパーティーで、1000人近くの人がみんな正装。有名商社の米国社長や私でも知っている世界的金融機関のCEOなどが講演し、挨拶する人たちも、普通では会えない肩書きの人ばかり。N.Y.で頑張る日本人にも沢山お会いして、急に元気を取り戻した。こんな別世界がすぐ隣に存在するのがN.Y.だと。
この日、さらに私を高鳴らせる、素敵すぎる女性2人との出会いもあった。元駐日アメリカ大使のキャロライン・ケネディ氏と、日本人女性初の国連事務次長・中満泉氏。特別ゲストで出席していたお二人の講演を聞いて、妙に精神が安定した。
新しい挑戦の始まりは涙と恐怖に満ち溢れていると思っていたが、東京で決して感じることの出来ない“絶大な刺激”が共存していると確信出来たから。こんな体験をしたいか、したくないかは、各自の自由だ。
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古瀬麻衣子
1984年生まれ。一橋大学卒。テレビ朝日に12年勤務。「帰れま10」などバラエティ番組プロデューサーとして奮闘。2020年、35歳で米国拠点のweb会社「Info Fresh Inc」代表取締役社長に就任。現在NY在住。日本人女性のキャリアアップをサポートする活動も独自に行なっている。
Instagram:@maiko_ok_
HP